6 鯉
「ふうん」
「律子は知ってるかもしれないけど、飼育された鯉は流れのある浅瀬も泳ぐが、野生の鯉は流れのない深みに潜むらしい。こんなところにいるんだから、あかくろを野生の鯉と呼ぶのはおかしいけど、元が野生だったんだろうね」
後にわたしが調べたところでは鯉の生命力は極めて強い。
魚にしては長寿で、平均で二十年以上、稀に七十年を超す個体もあるという。
また汚水に適応力がある。
更に水から上げてしばらく置いても生き続ける。
まあ、他の魚より長時間という意味だが……。
川の中流や下流/池/湖などの淡水域に生息する。
岡田笙が言ったように産卵期以外はあまり浅瀬に上がってこないようだ。
だから様々な土地で池での主という別名が付くのだろう。
「わたしも見たいな、あかくろ」
「いずれ見れると思うよ」
そのときチャポンと音がする。
もしやと思い、わたしが音のした方を見遣るといたのは亀。
池の中ほどに生えた木の傍にいる。
わたしのいる場所から十メートルほど離れた場所だ。
木があるのだから周囲に土があるのだろうが、わたしには水面しか確認できない。
「ここから見てあの大きさだから結構大きいんじゃないかな」
わたしが言うと、
「亀もいたのか。知らなかったな」
岡田笙が驚く。
「実はここの新参者なんだな、岡田笙」
「今日で五回目だから当たりだよ」
岡田笙のその言葉でわたしの興味が美術館にシフトする。
そこに一体どんな訳アリ彫刻があるというのか……。
「律子が満足したなら本丸に進もう」
そんなわたしの気持ちを察したように岡田笙が誘う。
「うん、そうしよう」
わたしが素直に誘いに応じる。
その前に亀に別れの挨拶をし、手を振ったが……。
そんなわたしの行動を岡田笙が背後から見ている。
守られている感じか。
けれどもそれは幼い頃、父や母から感じたものとは違うようだ。
姉のそれとは若干似るが、やはり違う。
これが恋の始まりなのか。
とりあえず、そう思ってみるが手応えがない。
わたしが経験不足だからか。
それとも恋ではないのだろうか。
……とすれば、いったい何だ。
プレ恋なのか。
あるいは別の感情。
自分の気持ちの落とし所が定かでないから、どうにも岡田笙を振り返れない。
これが恋ならニッコリ笑いつつ岡田笙に振り返れば良いはずだが……。
わたしのキャラには似合う、似合わないはともかくとして。
さて、これからどうすれば……。
「主を待っているのか」
すると岡田笙がポツリと言う。
「いや、そういうわけでは……」
きっかけができたので、ありがたく振り返える。
岡田笙を見ると普通の顔。
だから、わたしもいつもの表情を浮かべる。
岡田笙にニッコリと出来なかったことを少しだけ悔やみながら……。
「じゃ、行こう」
わたしの顔色を確認すると岡田笙が言う。
わたしが右隣に並ぶのを待ち、歩み始める。
……といっても美術館までは大した距離ではない。
池近くの土が白い砂利道(の終わり)に変わり、コテージの出入口正面に出るまで一分ほど。
コテージにも様々な種類があるが、ここには低い前階段(五段)があり、昇ると木製の広いポーチ。
ポーチの上には当然雨避けの庇があり、形はコテージの屋根に合わせた緩い逆Ⅴ字。
ポーチには前階段覆い用と思われる板が置かれている。
車椅子などを想定したバリアフリー設計なのだろう。
出入口は普通に玄関でドア構造。
ただしノッカーがライオンでも魔人でもなく魚で笑える。
ドアを開閉する部分はノブではなくレバーハンドル。
これはコテージやバンガローならば普通か。
ドアが外開きだと岡田笙が無造作に開けてわかる。
玄関内に入ると右手側に一応受付のような窓口。
だが、もぎりがいない。
けれども岡田笙は気にせず、奥に進む。
だからわたしもおっかなびっくり後に続く。
「ねえ、聞いてなかったけど、この美術館の名前は……」
ふと気になりわたしが問うと、
「みんなは里山美術館って呼んでるけど……」
と岡田笙が応える。
「けど、ってことは……」
「正式には芹沢好哉(せりざわ・こうや)美術館って名前だよ」
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