終章 神話1

 体が重かった。


 シュゼットは、自分がベッドで寝ていることに気づいた。目を開ける前から、シーツや毛布のやわらかさを感じる。


 しかし同時に、横になっている自分の体が、何かに押さえつけられていることにも気づいていた。寝返りを打とうとして、何かの重みで背中や腕がうまく動かせなかったのだ。


 拘束されている……? と彼女は顔をしかめた。


 ゆっくりとまぶたを開けると、猫の顔が視界に入ってきた。


 え、と思う間もなく、彼女は反射的に顔を動かして、自分の毛布のうえで、ごろんと寝ているたくさんの猫たちを見た。


 どいつもこいつも気持ちよさそうに寝ている。


 シュゼットのすぐそばにいた猫が、ひょいとベッドから降りて部屋を出て行った。しばらくすると、その猫と思しい鳴き声が部屋まで聞こえてきた。


 すぐに足音がして、ひとりの少女が部屋に入ってきた。起きている姿を見るのは初めてだった。ロゼールだ。


「おはよーございます、シュゼットさん」


 のんびりした調子でロゼールは言った。


「できれば、この子たちをどけてくれないかしら?」


 はーい、と気の抜けるような返事をして、ロゼールはシュゼットのベッドで寝ていた猫たちに声をかけた。


 その一言で、猫は一匹残らずベッドから退散し、別の部屋へ行くなり、あるいは同じ部屋の床やイスに座るなりしていた。


「ちゃんと目が覚めたみたいね」


 今度はシュゼットが言った。ロゼールはふふっと笑って、


「おかげさまで。リックから聞きましたよ? ずいぶんお世話になっちゃったみたいですね。見ず知らずの私たちのために、本当にありがとーございます」


「リックは?」


「狩りに行ってますよ」


「狩り?」


「浮遊島の獣は、それなりにおいしいんですよ。といっても」


 とロゼールはイスを引きながら言った。イスに座っていた猫を抱き上げる。


「食材はたくさんあまってるから、別に狩りをする必要はないんですけどね。でも、もーすぐシュゼットさん目覚めると思うよーって言ったら、新鮮なの狩ってくる! お祝いしなきゃ! って出て行っちゃって」


「はしゃいでるみたいね、リックは」


 大喜びですよー、とロゼールは笑ってイスに座った。抱き上げていた猫を膝に載せる。


「わたしは、どれくらい寝ていたのかしら?」


「ざっと十日くらいですかねー。私は大丈夫って言ったんですけど、リックが結構大騒ぎするので、ちょっと困りました」


 ロゼールは楽しそうに笑った。


「わたしが寝ているあいだにずいぶん仲良くなったみたいで、ちょっぴり嫉妬です」


「それなりに信頼関係があるのは否定しないけど、あくまでも――」


「でも男女の関係になるのに、やぶさかじゃないんですよね?」


 シュゼットは軽く咳き込んだ。


「リックから聞いたのかしら?」


「割と簡単に」


「問い詰めたのね……」


「当然でーす」


 ロゼールはにこにこ笑顔で答えた。


「だって知らないあいだに女の人と仲良くなってるんですよ? あのリックが。しかも胸が大きくて、綺麗な目をした美人さんです。気にするなというほうが無理ですよ」


 ロゼールはじっと横になったままのシュゼットを見つめた。


「さすがに体を起こさないと失礼かしら?」


「そのままで結構ですよ。病み上がりですしね」


「じゃあ、わたしの体に何かついてるのかしら?」


「胸に大きいのが二つほど」


「わたしはまじめに訊いて――」


「いえいえ、きょーみ深いんですよ。やっぱり寝るときは仰向けにならないんですね」


「それなりに重いもの。仰向けだと、胸が物理的に苦しくなってしまうわ」


 シュゼットは苦笑いをした。ロゼールも笑って、


「猫にも気に入られたせいで、せっかく横向きで寝たのに意味なしですか」


「そうね。お世辞にも寝心地がいいとは言えなかったわ」


「じゃ、回復のための魔術をかけておきますね。少しでも早くよくなってもらわないと」


「ああ……そうね。仕事も終わったし、さっさと治して、わたしは出て行きましょう」


「ここに留まる気はないんですか?」


 シュゼットはちらりとロゼールに目を向けた。


 別に社交辞令で言っているわけではないらしい。ロゼールの顔は、本当に物悲しそうに見えた。


「リックが悲しみますよ? 私だって、シュゼットさんが邪魔だから早く追い出そうとか、そういうつもりで言ったんじゃないんですよ?」


 ロゼールは立ち上がってイスのうえに猫を置くと、シュゼットのベッドにもぐり込んできた。


 甘えるようにしがみついてきて、シュゼットの胸に顔をうずめる。


「知らないあいだに、妙になつかれているような気がするわ」


「そりゃー、なつきますよぉ。むしろ、なつかない理由がないじゃないですか」


 心底おかしそうにロゼールはくすくす笑った。


「だって、ね? あれを見たら、誰だってなつくでしょー? ましてや相手が綺麗なお姉さんだったら憧れちゃいますよ、普通」


「あれ?」


 何かやったかしら……?


 シュゼットは心当たりがないか探ってみたが、これといって思い浮かぶものはなかった。そもそもロゼールとは今日が初対面だ。


 寝ているときに何度か顔を合わせただけで、これまで会話をしたことすらない。


「爆心地のことです。巨人の森を吹っ飛ばしたあれのことですよ。もしかして記憶の混濁ですか?」


「見たの?」


「いったん戻ったんです――あ、これ、呪言石ですよ。シュゼットさんとリックで仕留めたやつのー」


 ロゼールは銀色をした球状の物体を取り出した。まごうことなき呪言石だ。


「あのあと、ひとまずシュゼットさんに治癒魔術をかけて、それから爆心地のほうに戻ってみたんですよねー。呪言種はリックがとどめを刺したそうなんですけど、すぐに逃げちゃったから呪言石は未回収で……せっかくだから取っておこうって思って」


 あ、でも、大変だったんですよー、とロゼールは呪言石をベッドのうえに置くと、またシュゼットの胸に顔をうずめて気持ちよさそうに吐息をした。


「抱き癖でもあるの?」


「母のいない少女なので、色々とさびしいんです。シュゼットさーん、年上のお姉さまの魅力で、私を優しく慰めてあげてください」


「抱きついているだけで、十分癒やされているように見えるけれど?」


「気のせいです」


「嘘くさいわねぇ」


 えへへ、とロゼールはごまかすように笑った。


 シュゼットがため息をついた途端、階下から激しい足音が聞こえてきた。音はどんどん近づいて、やがて部屋の扉が開いた。


 リックが顔を出した。


「元気そうね」


 シュゼットが言うと、リックは何か答えようとして口を開いた。


 だが言葉が出てこないようで押し黙ったまま、ゆっくりとうつむいて深呼吸をした。それから落ち着き払った足取りでベッドまで近づいてきて、


「おはよう、シュゼット」


「うん、おはよう」


 シュゼットが笑顔で返すと、リックも泣きそうな顔でほほえんだ。


「いいなー、リックばっかりシュゼットさんと仲よさそうで」


 はぁ、とため息混じりにロゼールは言った。


「いい加減、離れてほしいんだけれど?」


「絶対にいやですー」


「即答するのね……」


 リックがきょとんとした顔で言った。


「それって治療に必要なんじゃ……?」


「もしかしてこの子、わたしが意識ないときもずっと抱きついてたの?」


「うん、魔術の効きをよくするには、この方法が一番だって――」


 急にリックの耳と尻尾の毛が逆立った。


「や、やっぱり嘘なんじゃないか! 僕にもやれとか言い出したあたりで怪しいとは思ってたけどさ! 意識のない人になんてことしてるの!」


「だってリックがー、とっても物欲しそうな顔してるからー」


 すねたような口調でロゼールが言った。


「リックはもっと自分の欲望に忠実に生きるべきだと思うなー。そうやって、なんでもかんでもガマンガマンーじゃ、気疲れしちゃってしょうがないでしょー?」


「ロゼールはもっと自重すべきだと思うよ……」


 リックは疲れたようにため息をついた。


「ごめんね、シュゼット。ロゼールも根は悪い子じゃないから」


「そんなことより、ここまでなつかれた理由のほうが知りたいんだけれど?」


 シュゼットの言葉に、ロゼールが少し怒った顔で言った。


「シュゼットさん? 私をなんだと思ってるんですか? これでも立派に魔術師の端くれなんですよ? あれを見て、心が震えない魔術師なんていませんよ?」


「ああ……そういえば、泣いてる人もいたね」


 リックはげっそりした様子で言った。


「なんかシュゼットのこと、さわりたがる変な人だったけど」


「リックが威嚇したせいで、ちょっとした決闘騒ぎになりそうだったよねー、あれ」


「ちょっと待って。本当にわたしが寝てるあいだに何があったの?」


 自分の知らないところで色々なことが起きているらしかった。

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