第四章 旅路5

 それより、食べましょうか、とシュゼットはテーブルの料理を指差した。


「冷めてしまったらおいしくないわ」


 リックはじっとシュゼットを見つめていたが、やがてイスを引いて着席した。シュゼットも座り、ふたりは夕食をとった。


 ランタンの淡い光に照らされた料理はまだ温かく、湯気が立ちのぼっていた。


 焼いた肉にはソースがかかり、小さく切ったパセリが載せられている。同じ皿には蒸したジャガイモもあって、うえに載せられたバターが熱で溶けかかっていた。


 スープは牛乳をベースにしたもので、切ったシャケとたまねぎ、にんじんにキノコが加えられてあった。


 サラダはキャベツ、レタス、アスパラガスとブロッコリーの四種類。アスパラガスとブロッコリーは、いったん茹でてから冷ましてあった。


 小皿のほうれん草はバターで和えてあり、もうひとつの小皿にはチェリーがいくつも載せられていた。ライスとパンはどちらも作りたてで、いい匂いをただよわせている。


「なんだか、すごく豪勢だね」


 リックは目を丸くして料理をながめた。


「クニークルスの里には、ほかの種族がしょっちゅう来るからね。野菜や穀物はどうしたって必要だし、地上は物々交換が主流だから、ある意味で一番色々な食材が集まる場所でもあるのよ、クニークルスの里は」


 ここは地上の交易拠点なのだった。


「じゃあ、魚や肉は全部? あ、でもあのフェーレースの人が狩りを……」


「あれは例外的なものだと思うわ。本人もそんな感じのことを言っていたし。わたしの知るかぎりでは、肉はフェーレースかカニス、魚介類はアウィス、牛乳や卵なんかはカペルが持ってくるのが普通よ。お肉に関しては、カペルも持ってくるんだけど」


「何か違いがあるの?」


「カペルはあまり狩りをしないから。自分たちで牛や豚、鶏、羊なんかを育てているのよ。フェーレースは野生のスイギュウとかガウルとかバッファローとかを狩るんだったかしら。カニスの場合はシカやイノシシ、ヤギね。もっとも、どっちも稀にクマを狩ることもあるらしいけれど」


「えーと……カニスは中型、フェーレースは大型動物狙い?」


「そう聞いたわ。詳しくは知らないけどね」


 リックがいぶかしげな顔になった。


「クニークルスの里には、フェーレースやカニスも来るんでしょ? 会って直接聞いてみればわかるんじゃ……?」


「無理よ」


 シュゼットは苦笑した。


「いえ、頼めばできるのでしょうけれど、わたしはやったことがないの。実際、いざこざが起きる可能性があるから。わたしにかぎらず、面倒事はごめんなのよ」


 クニークルスの里には、空挺手をはじめとして様々な種族がやってくる。だからこそ迂闊に接触して問題が起きたりしないよう、クニークルスたちは気を遣う。


 泊まるところはもちろん、クニークルスと物々交換の交渉を行なう場まで、普通は離れていて、お互いに接触できないようになっている。


「この里も例外ではないはずよ。たぶん、わたしたちが過ごしているこの辺りに、フェーレースやカニスはやって来ない。いえ、下手をすると空挺手すら近寄らない可能性があるわね。なにせ人間とフェーレースが一緒に旅してるんだもの。向こうからすれば、どうしたって神経をとがらせることになるわ」


「複雑なんだね、色々と……」


「慣れればそうでもないわ」


 ふたりは他愛ない話をしながら食事を食べ終えた。そうして満腹感で心地よくなってきた頃、また髪の長いクニークルスがやって来た。


 ノックをして、返事をもらってから、お風呂の用意ができました、と彼女は言った。


「リック、先に入る?」


「え? 一緒に入るんじゃないんですか?」


 思わず、といった調子で髪の長い女が口をはさんできた。


「――ああ、考えてみればそういう反応になるのが自然ね」


 半ば感心した様子でシュゼットは言った。リックは頬を染めて恥ずかしそうに目をそらした。彼は頬をかきながらぼやくように言った。


「一緒は、さすがに……」


「わたしは別にかまわないわ」


 リックが仰天した顔でシュゼットを見た。


「そんなに驚くことかしら?」


「だ、だって……!」


 と一度は抗弁しかけたリックだったが、すぐに真剣な顔になってシュゼットにたずねた。


「僕と一緒に入っても、いいの?」


「リックがいいのなら」


 髪の長い女は小さく手を打った。


「やっぱり仲睦まじいんですね」


 リックは微妙そうな顔つきで髪の長い女を見た。


「あのさ、思い込みが激しいって言われたことない?」


「いえ、記憶にありませんが……?」


 髪の長い女は不思議そうに首をかしげた。


「お風呂場まで案内してもらえるかしら?」


「はい、こちらですよ」


 クニークルスの女はテーブルのランタンを手に取ると、扉を開けて廊下に出た。シュゼットとリックはそのうしろを歩いた。


 階段を登って一階へ行き、三人は浴室に向かった。隣が台所であるため、風呂場には先ほど食べた料理と同じ匂いがただよっていた。


 分厚いカーテンで仕切られた浴室は、それほど大きくない。小さな脱衣所には、脱いだ服を入れるためのカゴが無造作に置かれている。


 その奥に、洗い場と浴槽があった。浴槽には湯が張られていた。


「ちゃんと二人で入れそうね」


「今さらだけど、本当に一緒に入ってもいいの?」


 リックは緊張した顔つきでそう言った。


「言い出したのはわたしよ。それに、ここはクニークルスの里だもの。お湯を沸かすだけでも一手間のはずよ。でしょう?」


 シュゼットがたずねると、髪の長い女は曖昧に笑った。


「そうですね……。温め直す手間もありますし、確かに一緒に入っていただいたほうが効率はいいです。あ、でも私たちは気にしませんよ? 時間帯をずらしても問題は――」


「お湯なら、シュゼットが沸かせばいいんじゃ……」


「客人にそういうことはさせられません」


 髪の長い女はまじめな顔で言った。


「手持ちがなくて、物々交換ができないというのでしたら、労働で支払ってもらうのは当然ですけれど、シュゼットさんたちはすでにお菓子や絵皿、写真なんかを提供してくれているんです。こちらもそれ相応のものを差し出さなければいけないんですよ!」


「そ、そうなの……?」


 リックは戸惑いの顔をシュゼットに向けた。


「物々交換用のものがなくなったら、そうやって旅するつもりだったのだけれどね」


「それでいいんだ?」


 リックは意外そうに言った。


「需要はあるもの。魔術で上質な紙を作ったり、土壌を耕したり、肥料を作成したり、害虫を駆除したり……ほかにも変異種退治とか井戸掘りとか、わりとなんでもやるわ。もちろんお湯を沸かしたり、料理を作ったりも」


 最後の一言をおどけたように言うと、リックはシュゼットが作った料理のことを思い出したらしく、複雑そうな顔をした。


 ――あれも需要があるのか……? あの調理法で? と、その表情は物語っていた。


「入りましょうか。せっかくのお湯が冷めてしまうわ」


 シュゼットは服を脱ぎ始めた。リックは顔を赤くした。


「服は洗濯しなくていいわ。あとで魔術でやるから」


「い、いえ、そういうわけには……」


 髪の長い女は困り顔だったが、いつまでもここにいるわけにもいかず、彼女は早々に浴室から退散した。あとには、裸になったシュゼットと、まだ服を着ているリックだけが残された。


「ほら、リックも脱いで。入るんだから」


「い、いや! ちょっと待って! やっぱり待って!」


 リックは後ずさった。


「その、シュゼットは恥じらいというか、せめてタオルで隠すとか――」


「わたしが脱がせましょうか?」


「遠慮します!」


 観念した様子のリックは、恥ずかしそうに衣服を脱ぎ、カゴのなかへ入れた。シュゼットは桶で浴槽の湯を体にかけた。


 髪と体を濡らすと、石鹸で洗い始め、同時にリックを手招きした。リックは前を隠しながらシュゼットの隣まで歩き、同じように体を濡らして洗い始めた。


 ひと通り汚れを落とすと、ふたりは湯船に浸かった。お湯は少し熱かったが、すぐに体が慣れて、ちょうどよく感じるようになった。


「あのさ」


 と、リックは何度も深呼吸を繰り返して気を落ち着けたあと、おもむろに訊いた。


「何かあった? さっきもそうだったけど」


 リックはシュゼットを見ないようにずっと顔をそらしていた。


 だが、ときおり横目でちらちらと、お湯で火照ったシュゼットの体を見てしまっていた――その視線は、自然とお湯に浮かぶ胸の大きなふくらみに向いていた。


「それを訊くために一緒に入浴することにしたの? 恥ずかしさを押し殺して」


「からかわないでよ」


 リックは不満げに言った。


「ちょっと様子が変だったからさ。心配になったんだよ、僕は……。余計なお世話なのかもしれないけど」


 シュゼットは手でお湯をすくって体にかけ、大きく息をついた。


「ごめんなさい。別に不安にさせるつもりはなかったの。ただ……」


「ただ?」


「わたし個人の、子供じみた空想よ。頼りがいのあるお姉さんなら惚れるんじゃないかな、なんてことがふと頭に思い浮かんで、それで――」


 シュゼットは困ったように笑った。


「それだけね。特に深い意味があるわけじゃないの。わたしがリックの立場だったら、そうなっていたんじゃないかっていう、ただそれだけのお話。でも、あなたはあなたであって、わたしとは全然違うのよね。当たり前だけれど」


「……どういうこと?」


「気にしなくていいわ。ただ、わたしとあなたの立場が逆だったら、きっとわたしはあなたに憧れて、間違いなく惚れていただろうっていうだけ。うらやましい?」


「そ、そんなこといきなり訊かれても――」


 リックは恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「でも、好かれて悪い気はしないんじゃないかな? そりゃ……」


「そう。でも、今のあなたは別にわたしに憧れたり惚れたりはしていないのよね?」


「そうなってほしいってこと?」


 リックは困惑した様子でシュゼットを見た。


「さぁ、どうかしら? 少なくとも、わたしはあなたに好かれて悪い気はしないわよ?」


 シュゼットは悪戯っぽく笑ってリックに近づいた。


 リックは慌てて顔をそらし、横目でうかがうようにシュゼットを見た。彼女は流れるような動作でリックを抱きしめた。


「人間の十一歳は子供だけれど、フェーレースの十一歳は立派な大人なのよね」


「そ、そうなの? さっき言ってた、地上の民は早婚っていうやつ?」


「フェーレースにとっては、狩りができるかどうかが大人と子供の境目らしいから。だいたい十歳ぐらいで成人、早いものだと八歳で大人の仲間入りを果たすそうだわ。あなたぐらいの年で、もうお嫁さんがいる人もいるとか」


「あ、あのさ……結局、シュゼットは僕に対して何を求めてるの? どうしたらいいの、僕?」


「大人なんだから、自分で決められるでしょう?」


「……その、言っちゃあなんだけど、僕はまだまだ子供だと思うよ? そりゃ狩りはできるけど、知らないこともたくさんあるし、できないことも多いからシュゼットにも頼りっぱなしで……胸を張って大人だと言えるような立場じゃ――」


「一人じゃできないことがあるのは普通だし、わたしだって知らないことはたくさんある。あなたは自分に何ができて、何ができないのかをちゃんと理解してる。自分が知っていることと知らないことを区別できるなら、適切な判断も下せるわ」


 リックは黙った。シュゼットは苦笑いでリックの頭を撫でた。


「ごめんなさい。困らせるつもりはなかったの」


 シュゼットは立ち上がった。


「あまり長く浸かっていると、のぼせそうね」


 湯船から出て行くシュゼットを、リックは気遣うような目で見ていた。だが、それもシュゼットが体を拭き、新しい服を着るまでのあいだだけだった。


 彼女は持ってきた白光石で洗濯物の汚れを綺麗さっぱり落とし、ついでのように歯みがきも敢行したのだ。自分の歯と一緒にリックの歯もみがく。


「何回やっても慣れない……」


 リックは嫌そうな顔でぼやいた。


「清潔になるんだから喜びなさいな」


 シュゼットは澄まし顔で小さく笑った。


 ふたりは部屋に戻り、一緒のベッドで寝た。リックは今さらのように「床で寝る」と顔をそらしながら主張したが、シュゼットが許さなかった。


 風邪を引いたら大変だからと言って、シュゼットは無理やりリックをベッドのなかへ連れ込んだ。

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