抜けるような青空
笠原久
序章 浮遊島
晴れ渡った空の下で、雨が降っていた。日の光を反射した雨粒は、空にいくつもの虹をかけながら、ゆっくりと地面に落ちていく。
草原に生える背の高い雑草が、雨の重みで穂を垂らし、水滴が流れるたびにかすかに揺れた。地面に水たまりができて、そこから茎と茎のあいだを通って、水が小川のように流れていく。
浮遊島は、その名の通り空に浮かぶ島だ。はるか上空を飛んでいる。
浮遊島から見る空に、雲はない。雨の日でも快晴だ。スムルシュ島も例外ではない。空は綺麗な瑠璃色をしている。
ひとりの少年が、丘の上から岬をながめていた。
今は雲海によってさえぎられているが、草原の先にある岬からは地上の様子を見晴らせた。浮遊島より高い位置に雲はない。
だが、雨の降る時にだけ、島の周りに雲海ができる。白い霧が集まって雲を作り、そこから水滴を舞い上がらせるのだ。
そうして、無数の水滴が雨となって浮遊島に降りそそぐ。いくつもの虹を作り出す。
少年は、美しい虹に見惚れていなかった。彼はただ、雲海の様子を見つめていた。厚手のローブを着て、フードをかぶり、傘を差している。
背中には手製のパラシュートがあった。
やがて、雲海が揺れ動いた。雲は散っていき、浮遊島の周囲にこびりついていた雲の群れが消失した。すると、真っ白な霧を突き破るようにして地上の光景が飛び込んでくる。
草花と木々に彩られた緑の大地が、日の光を受けて水面をきらめかせる青い湖が、そしてそびえ立つ大きな山々が少年の目に映った。
雨はすでに止み始めていた。
傘に雨が当たってぱらぱらと音が鳴っているが、その勢いが徐々に弱くなっていった。大降りの雨は、やがて小雨となり、霧雨となり、あるときを境に水滴ひとつ落ちてこなくなった。
少年は軽く傘を振って雨粒を飛ばすと、ゆっくりと傘を閉じ、地面に突き刺した。雨で濡れた島の大地はやわらかく、傘は易々と突き立った。
少年はフードを目深にかぶったまま、ゆるやかに歩を進めた。
岬にむかって、一歩一歩ゆるやかに近づいていく。身にまとったローブは裾が長く、靴を履いた少年の足は、ちらりとしか見えなかった。
少年は岬に近づくほど早足になった。
早足は駆け足に変わり、彼は草原を蹴るようにして走り出した。そうして、まっすぐに岬へ――その先にある地上にむかって、彼は体をバネのように鋭くしならせて跳躍した。
放物線を描き、少年は矢のように猛然と地上にむかって落下していく。
背後で、島の大地がどんどん遠ざかっていった――フードをかぶった少年は、ただ地上だけを見ていた。真下にある緑の草原だけを。
彼は、体にしっかりと巻きつけた手製のパラシュートをさわった。いつでも開けるように準備しておく。
少年は押し返されるようなすさまじい風圧を喰らいながら、一気に落下していった。
ところが、ある地点を境に少年の体はまったく落ちなくなった。落下方向から恐るべき突風が吹いてきて、体が浮いてしまう。
少年は、なんとか下に落ちようと手を伸ばした。細くしなやかな腕が――小さく繊細な指先が、ちぎれ飛びそうなほどの風圧に襲われる。
だが、少年はあきらめなかった。まっすぐに腕を伸ばそうとし、懸命に下へ――地上へ落ちようとする。
しかし、どうにもならなかった。少年の小さな体はまったく落下しない。見えない壁にせき止められたかのように空中で静止した。
そして、少年の必死の足掻きをあざ笑うかのように、下から吹き上げる猛烈な突風は、彼の体を天高く舞い上げて逆に島へ押し戻した。
少年は歯ぎしりし、鋭い犬歯をのぞかせて、忌々しげに自分をはばんだ風圧の壁を――気流の境界線をにらみつける。彼は苛立ちをうなり声にして吐き出し、スムルシュ島に舞い戻った。
少年はふわりと着地した。
地面にぶつかりそうになった途端、あの忌々しい突風が少年の体を優しく抱きとめ、羽根のように降ろしたからだ。少年は、長くゆっくりとため息をついた。
そうして体に巻きつけておいたパラシュートを外し、八つ当たりのように地面を蹴った。強烈な蹴りが地響きをとどろかせる。砂埃が舞った。
彼はまたため息をつくと、手製のパラシュートを見て、
「せっかく作ったのに……」
と悔しそうに言った。
彼はしばらく岬から地上をながめていたが、やがて踵を返した。
丘の上に刺しっぱなしになっていた傘を乱暴にとると、彼は姿を消した。小さく――次の手を……とささやいて。
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