【第3話】 何者だお前は
――なんだこれ
「で、掃除?いやー疲れるな、やることありすぎでしょ。これなら普段の方が楽だね」
誰かも分からない声が耳に届く。にしては親しみやすさも感じられるのだから不思議だ。
そしてようやく状況理解に追いつく、カビ臭さが半端ないぞこれは。
すぐに掛布団をどかしたのなら、今度は周囲に目が泳ぐ。起き上がって早々忙しないものだ。
「どこだここ、みたことも――」
「っー!何考えてるの私。ここにはしけこんでる訳でもないのに」
「あっ…」
忙しない所に、襖を引きずり割り込んでくる女がそこには居た。綺麗だ。
蒼白の髪に蒼い瞳、それに目のやり所に凄く困る薄着姿ときた。とても、美しい。
「おい、てめぇ――」
「ち、違うのごめんごめん。これはね、そういう卑しいのじゃなくてさ」
「は?なんだそれ」
勝手な謝罪に少し気を苛立たせる。この女、今卑しいとか言ったか。
初対面で卑しいも何も無いだろう。と話しかけようとすると――、
「…今なんて」
――いやいや、こちらのセリフなのだが
と言いたくはなったが、本来の目的のためにもそれはやめておき、見た瞬間からずっと気になっていた疑問を投げつける。
「誰だ」
この女はとても美しい、からこそ気になって仕方ない。誰なのだろう。
と、少し浮気性のような感慨に耽る。貧相だが魅惑的な頬につい目が奪われてしまう。
「へ?あーうん、忘れちゃったかぁ。ミナだよ…。ミナちゃんって呼んでくれてた、んだよ……」
「みな…」
名前は知れた。それだけで何故か満足気になっていたが、それよりも重要な事柄に気づく。この体のことを何も知らない。名前も、どうやって生きてきたのか、何を感じたのかさえも。
優先順位を間違えた気がするが、別に後悔もしていない自分に驚かされる。
と、多様な思考を巡らせていると、女が突然泣き崩れていった。
「そう、か。うぐっ、ごめんほんとごめんって。分からない?んだよね、ひぐぅ」
「初対面でなんなんだよお前は――」
「は!そんなこと言わないで!」
地雷を踏んだのか、落ち込む姿の女が今度は叫ぶように叱咤してきた。なるほど、分からん。
顔も知らぬ相手にこの態度でこられては混乱もする。
正直、これ以上の厄介事はご勘弁願いたい所だが――、
「す、すまん、何かあったのか。相談ならのる」
「やっぱいつでも優しいね、君は。相談したいのは君の方だろうに、ぐすっ、うぅん」
らしくもなく、優しく振舞ってみると今度は泣き止んだ。とりあえずは話が聞ける雰囲気に、なりつつある。
「おい――」
「ごめん、もうちょっとだけ待って、うわぁん、何でなんっでぅえ」
そう思った矢先だ、また泣かれてしまう。感情的なのは魅力だが、ここまでくると病的な何かに思えてくる。
情緒不安定な女にただ振り回さているだけ、のようにもみえるが収穫はあった。
――どうやら自分は記憶喪失らしい
が、これ以上の豊作になる気配も感じられない。
相手をしているのも到頭面倒くさくなり、奥に外へ続いてそうな戸があることを確認し――
「お前じゃ話にならねぇ、じゃあな」
~=~=~=~=~=~=~=~=~=~
――それだけ残し、去っていった訳なのだが
「お前な、急に殴ってくんじゃねえよ!知ってる?俺、記憶喪失なんだけど」
「ご、ごめん」
逃げ出したはずの女に追いつかれ、また号泣されそうになっている。分かってやっているのか、相当な悪女だ。
それにややこしいのが三人に増えている。泣き崩れる女が二人に、こちらはまだ話が通じそうな中年男性がぼっ立ち。
「そ、そうですよ。記憶がこれ以上飛んでったらどうすんだ!ってね」
「……」
「ヒッ、じょ冗談ですよ。許してくださいって」
さっきまではみせていなかった新たな顔を女が披露する、おぞましい。人ひとり殺してもおかしくないくらいには。
こんな顔もするのかと、また目が奪われてしまっている自分に呆れる。見惚れていると、美顔が朱に染まっている事実にも意識がいく。
「お前、顔も目も真っ赤じゃねえかよ」
つい口にしてしまった、が本気で惑わされるくらいには朱に染まって染まって仕方がなかった。
無粋で野暮な行為なのは、重々承知している。
「あんたのせいじゃろうが!」
「っ――」
中年が目をかっぴらく。よっぽど珍しいものでも見たのか、驚愕で口も閉まらなくなっている。
すると、遅れてようやく気がつく。歌女とかいう老婆に、先ほどの一撃より幾分強さが増した平手打ちを食らったことにーー、
「お前――」
「いい加減にしろ!話したじゃろこのおじさんが!あんた何で今日こうやってお天道様の元で暮らせてんだい!なんで今ここにいられている!」
「分かんねぇって…」
「分かんねーじゃない!若いくせしてそんなんも分からんか!この嬢さんのおかげじゃろが!」
「うっ、うるせぇ……」
自分も恩恵を受けている、その自覚は持ち合わせている。さっき言ったのも心配が勝って仕方なくーー、
「お前は関係ないだろうが」
「あ?」
からこそ、見栄を張ってしまう。だってそうだろう、自分なりに寄り添う形を取っただけなのだ。他人に指図されてはいい気分になれやしない。
もう女と親類関係にでもなったつもりでいる、のは重症だが。
「帰ろ」
「ちょ、おい――」
華奢な体格からは想像もできない力で女に引っ張られる。先程の攻撃が挨拶代わりだったのか、と錯覚するぐらいには。
「お前今度は……てか、手バカいてぇから!放せこのバカ!」
「い、痛かった?そんなつもりは無かったんだけど――」
「あでっ」
即座に手放され、地面に顔面ごと突進する。場に似合わぬ強硬な交通路に血を垂らし、嘆く。
「なんなんだよ、クソがぁ――」
「まだ、話は終わっとらんぞ若造!」
散々な状況すぎて出る言葉も見つからない。老婆は憤っている、女を泣かせたことに。
罪悪感はもちろんある、癪ではあるがもう素直に謝罪しよう――
「もう、話はありません。これ以上関わらないでください」
「なっ」
「――は」
まさかだった。女が老婆を拒絶したのだ。
「嬢ちゃん、確かにわしも悪いとこはあったかもしれん。だが、見過ごすわけにもいかんくて――」
「鶴川さん、高橋さん、お世話になりました。これをご自由に」
紙束がばら撒かれる。普遍的なよくある紙に見えたが――、
「お、おう、ありがとな。金だよ金、善も積めば山となる、金と成る!」
「あんた、何やってんだい――」
中年を見た限り、そういう訳でもなさそうだ。衝撃で動かなくなっていた体も、情けない姿勢で紙屑の収集に尽力している。
老婆は中年と交代制で、口こそ開いていないが黙ってしまった。
「怪我しちゃったなら帰って治そ」
「お前のせいだろ――」
状況は解決に導かれるはずが、どこで間違えたのか無茶苦茶だ。
「嬢ちゃん」
「なんですか――」
「この坊主が逃げ出してきた理由がよく分かったよ、あんたおかしい」
老婆は中年を置き去りに田んぼ道へと足を進めた。
置き去りにされた当人は紙屑はまだ落ちていないか、今だ目をかっぴらいている。
「この世はこういう人ばっか。情けないでしょ?」
「お、おう」
整理が追い付かず、まともな言葉選びも出来やしなかった。
手は随分と優しく握られるようになり、女は指を絡めてくる。もう片方は這いつくばる下衆を指さしていた。
「もう一度聞く」
「ど、どうしたの?」
「――誰だ」
「ミナちゃん、中野美奈…本名まだ言ってなかったけ?ごめんね」
「あ、おう」
つい、言葉足らずに質問をしてしまったことを後悔する。
「ねぇ、そんな反応薄いとまた泣いちゃいそうだよ」
「………いや、スゲエいい名前だぞ。心からそう思う」
「そ、そう?照れちゃうかなーふふっ」
――何者だお前は
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