第11話

 潮風が吹いて居る。海猫うみねこが鳴いた。海猫は滄海そうかいの上を気持好きもちよさそうに滑空して居る。町からう遠く無い浅瀬で魚を捕って居た。


 猫の多い町だった。彼方此方あちこちに居た。首輪はして居ない。野良の様だ。野良猫は屋上同士を結ぶ縄の上を危な気無く渡って行く。うして時折、住民から餌を貰って居た。


 猫は日当ひあたりの好い屋上で寝転がって日向ひなたぼっこを楽しみ、腹が空く頃合には適当な人間を見繕みつくろって餌を強請ねだった。


 甘えた、文字通りの猫撫で声を出して、体をこすり附けて何とか餌を分けて貰おうと懇願して居る。要求された人間は余り物の魚を贈って居た。

 猫は魚をくわえると一目散に駆け出し、誰も居ない屋上でゆっくりと食事を楽しんだ。海猫が自力で食料を調達して居るのとは対照的な光景だった。


 町の建物は外周に行く程に低く、中央部に行く程に高かった。外側の大海に面した部分は一階建てしか無く、れよりも内側は二階建て、さらに内側は三階建て、また内側は四階建て……と云った具合に増えて行き、丁度中央に有る建築物は十七階建てにって居る。


 屋上とを結ぶ縄は同じ高さだけでなく異なる高さの場所にも設置してある。運動能力の高い猫――に限らず人間――は勾配の有る縄でも気にする事無く移動して居る。


 しかし自信の無い者、あるいは運動能力が低い者は舟を使う様だ。人間ならば自力で舟を動かす者が多いが、猫にような真似は出来ぬので、彼等かれらは遠慮無く人の舟に乗って彼方此方あちこちを行ったり来たりして居る。


 うしても思う所に行けない場合はあきらめるか、例の猫撫で声で懐柔するかの何方どちらかの様だ。


 建物の内部は普通の住居にって居る。ただし最も外側に有る建物は別で、漁をするための道具がしまわれて居る。


 れから傘を作るための材料のたぐいも有った。二階建てよりも高い建物は家屋で有る様で人が住んで居た。勿論もちろん空部屋あきべやも大量にる。


 誰も住んで居ない建物さえ存在してり、一人が一つの家屋を専有してもだ余りが出てしまう程にの町の人口は少ない。人と、猫と、海猫うみねこ以外の生き物は居なかった。


 屋上と屋上の間は縄で結び附けられて居る。中央の一番高い建物から見ると、蜘蛛の巣を思わせる。中央には誰も住んで居ない。大抵の人間は外側の海に近い二階建てや三階建てに居を構える。


 内側に住むかわり者はず居ない。猫も寄附よりつかず、海猫もここには来なかった。十七階建ての高層建築物は、海の果ての水平線まで判切はっきりと見せてれた。


 三六〇度、視界の端から端まで見渡して見ても、他の町や陸地は見えなかった。遠くに漁船が有る。しかだけだった。漁船はの町の物で、別の町からって来た物では無かった。漁を終えればここに帰って来るようだ。


 周囲に十七階建てよりも高い建築物は存在しない。ゆえに太陽の明かりをさえぎる物も存在して居なかった。日差しが容赦無く照り附けて来る。暑い。年若い男は十七階建ての屋上で溜息を吐いた。


 施錠されて居ない扉から屋内に移る。直射日光を浴びなければ涼しい様だ。外を歩く時は日傘が欲しい所だが、移動術に使って消費してしまった影響か紛失して居た。


 何処どこかで調達する必要が有った。町の中心である十七階建ての建物から外にむかわなくてはらない。


 面倒だな……と年若い男は思った。一つ一つの屋上の面積はれなりに広く、お負けに建物と建物の間は可成かなり離れて居た。


 縄をつたって移動しようと思えば、うしても落下の危険を考慮せざるを得ない。流石さすがに十七階建ての屋上から落ちる事態は避けたかった。何しろ町の中心部には人が居ない。


 当然、舟も近寄って来ないのだ。落下して水面に叩き附けられれば怪我をする可能性が高く、人が居ないのでは助けて貰える確率も著しく下がる。ゆえに縄を使う選択肢は無い。


 年若い男は下へ下へと階段を降りて行く。最初は一気に降りるために昇降機を探したのだが見附みつからなかった。作られて居ないと云うより町に存在して居なかった。


 電気が無いために作った所で役に立たないらしい。仕方無く年若い男は螺旋階段を降りて行く。目がまわるので余り好かなかったが、これしか階段が無いのだから仕方が無い。


 渋々ながらも年若い男は一階までって行った。の建物の中には誰も居ない。何と無くの少年が居るのでは無いかと思ったのだが当てが外れてしまった。


 否、の少年ならば此方こちらの能力から隠れる事くらい造作も無いだろう。能力に頼らずに探して見よ、とう事だろうか。れとも仲間を捜してから来いとう事か。


 何方どちらにしてもずは人の居る所におもむかなくては話にらない。年若い男は一階に着くと扉を探して外に出た。都合好く水路に舟が一艘いっそう、停まって居た。


 かいを使って漕ごうとする。しかし不慣れである故、中々うまさばく事が出来ない。


 結局可成かな手子摺てこずってしまい、海沿いに出る頃には夜にって居た。電灯の無い家々の窓には松明たいまつあかりが揺らめいて居た。


 満月の夜で、盆槍ぼんやりとだがう経路を通って行けば好いのかは判断出来た。年若い男は慎重にかいを操って水路をく。


 髭面ひげづらの男が年若い男の乗る小舟に気附きづいて、手を振って自分の方に来る様に誘導した。年若い男は髭面ひげづらの男の指示に従って舟を動かす。


 髭面の男の表情は丁度影にってしまってうかがい知る事が出来なかった。が、声の調子から敵意は持って居ない事はわかった。年若い男が船着き場に舟を停めて降りると、髭面の男は近寄って来て言った。


「旅人かい? 珍しいもんだな。ここの所あんたみたいな人が来る事はず無かったんだがね」


「人を捜して居るんです」と年若い男は言った。何処どこから説明すべきか判断が附かなかったので取敢とりあえずはう発言して置いた。相手は特に不審に思う様子も無く答えた。


「人捜しとは厄介なもんだな。けど生憎と先刻さっきも言った通り異邦人がの町に来たって話は聞かないぜ。もっとも、の町も何だかんだで広いからな……知らない間に誰かがどっかの家に這入はいり込んでるって可能性も十分にる。他の連中に訊いて見ると好い。あんた、今夜の宿は?」


きまって居ません」と年若い男が首を振ると、「れなら俺の家に来ると好い。なあに、金の事なら気にするな。うせ何時いつも大漁だからな。もっと所為せいで魚介類ばっかりだけどな」と髭面ひげづらの男は豪放に笑った。世話好きであるらしい。


 髭面の男は自宅に案内すると言って歩き出した。年若い男はれにいて行く。船着き場には何艘もの船が碇泊ていはくして居た。


 の町には電気が全く存在して居ないために船の動力はもっぱら風にってまかなわれて居た。海と町とが隣接したの場所には一定の間隔で松明たいまつが灯されて並べられて居る。


 燈火はれ程強い物では無く弱々しい物だった。空に真ん丸い月が浮んで居なければ、の辺りはもっと薄暗かっただろう。月の光は水に反射して明るさを増して居た。


 水揚げにも使われるの場所は、陸路が全く存在しない町の中枢部分とは一線をかくして居た。夜の暗さをまぎらすため態々わざわざ松明たいまつを灯すのだと髭面の男は言った。


 余り使うと松明たいまつに使って居る木々が燃尽もえつきてしまうんじゃないですか、れは貴重品なのでは無いですか、と年若い男が問うと髭面の男は不思議そうに、あんたの町じゃ木は消耗品だったのか? と言った。


 の町の木は燃えて無くなったりはしない様だった。年若い男は歩きながら近場の松明たいまつを分析して見た。髭面ひげづらの男は夜の暗さを紛らすためと言って居たが、実際には朝から晩までつけっ放しだった。


 の炎は消える事が無く、また燃料が切れる事も木が燃尽もえつきる事も無いのだった。ゆえ松明たいまつ取替とりかえる事も無く、すくなくとも三〇〇年以上は変えられて居なかった。ずっと燃焼し続けて居るらしい。


 髭面の男は焚火たきびの周囲に集まって居る十数人の人間に、自分の所でしばらく預るからと言って年若い男を紹介した。


 集まっている人間は男女合せて十三人だった。男が七人、女が六人。海産物の他にう見てもの辺りでは取る事が出来そうに無い肉や野菜と云った物も食して居た。時々うして集まって食べたりもするのだと髭面の男は言った。


もっとも今日は参加しないけどな」と髭面の男は豪快に笑う。


「あんたもここしばらく過ごせば嫌でも誘われるぜ? 朝までどんちゃん騒ぎだからなぁ……お負けに逃げようとする奴は、意地でも追掛おっかけて行って強制参加させるから、覚悟しといた方がいぞ。まぁもっとも、兄ちゃんみたいな旅人は大抵逃げるのもうまいみたいだから、捕まえられるかうかの鬼ごっこにっちまう事が多い。別の意味での覚悟が必要かもな」


 まぁしばらくは大丈夫だろうから俺の家でゆっくり英気を養うとい、と髭面ひげづらの男は言った。


 れから焚火たきびの集まりを辞した。離れるに際して、折角だから食事を摂って行ったらうかとの申し出が多数有った。


 しかし髭面の男が、悪いが今日は家内が飯を作っちまってるんだ、と言って断ってれた。れでも誘う者が幾人か有ったがこれに対しては年若い男が、僕はしばらくは滞在するつもりですからの時にまた御願いします、れに申しわけ無いんですが今日は着いたばかりで疲れてしまって居るんです、と言ってしりぞけた。


 う言われては流石さすがにしつこく誘って居た者もうする事も出来ないらしく、あきらめて見送った。髭面の男は自分にいて来る様に言ってから再び歩き始めた。


 しばらくは松明たいまつの灯を追いながら進んだ。松明たいまつを七つ程通り過ぎると船着き場に辿り着く。其処そこには小舟が一艘停まって居た。


 髭面の男は結んであった縄を解いて舟を出せる様にした。うして髭面の男はかいを手に「乗りな」と年若い男に言った。年若い男が舟に乗込のりこむと、男はおもむろに漕ぎ出した。


 出発してぐに水路に盆槍ぼんやりと浮ぶ燈火が目にいた。比較的短い――大凡おおよそメートル――の間隔で松明たいまつが立てられて居た。光はほのかに周囲を照し出してる。


気附きづいたかい? 兄ちゃんは運が好かったぜ。兄ちゃんが通って来た水路には松明たいまつが灯されて居ないからなぁ……彼処あそこは夜にるとほとんど真っ暗で周りが見えないんだ。今日は満月だからいけどな、これが新月にろうもんなら、もう慣れた奴でも満足に進めない。う言う意味じゃ、夕暮れの光が残って居る内に港近くまでって来られた上に、其処そこから先は満月の光を頼りに舟を漕ぐ事が出来た兄ちゃんは物凄い幸運だ。まぁもっとも地元の人間じゃない兄ちゃんには今一つ実感が湧かないだろうけどな」


「いや、わかりますよ」と年若い男は答えた。


「僕は舟を漕いだ経験がほとんど有りませんから、慣れるまでに相当の苦労が有りましたし、あれで周囲が暗闇に包まれて居たらと思うとぞっとしますね。丁度満月の夜で助かりましたよ。れに当然の事ながの辺の地理にも余り明るくは有りませんから。迷ったらうしようかと……」


「いやいや謙遜しなくても好いんだぜ、兄ちゃん。の町に来る旅人はわけか地理に明るいと言うか、初めての道でも平然と何処どこに何がるのかわかっちまうんだ。勿論もちろんまれに方向音痴の奴が来たりもしたみたいだけどな。でも基本的には道に迷ったりする事の無い奴ばかりだ。兄ちゃんだっての口だろう? あの道を使うのは旅人だけなんだよ。旅人は大抵が中央部からって来るからなぁ……毎度毎度不思議で仕方が無いんだけどよ。周りは海ばっかりだろう? 俺達もよ、一往いちおうは行って見たりとかすんだよ。けどな、だけ進んでも島一つ見えやしねぇ。何処迄どこまで行っても陸地なんざ有りゃしない。れでも何処どこからか旅人がって来る。って来るとうか……実はの町の何処どこかに隠れてるだけなんじゃ無いかって話もるんだけどな」


 う言って大声を出して笑う。音が山彦の様に反響した。音の反射がむと、舟を漕ぐ音が耳に這入はいって来た。


 髭面の男はかいたくみに操って舟を漕いで行く。舟は最初、ぐに前方を進んで行ったが、四つ目の十字路を右に曲った。さらに道幅が狭くなる。


「まぁしかし実際問題、隠れて居る筈は無いんだよなぁ」と髭面の男は思い出した様に言った。道をまがって、しばらく無言で漕いだ後の事だった。れからまた少しの間黙って、再び喋り出した。


たしかにの町は何だかんだ言って結構広い。だから何処どこかに隠れて居るだけだって説には、そこそこの信憑性がる。だがう考えてもれじゃ説明出来ない事がる。食料をって調達して居るかとか、れから行商人の存在にいても隠れて居るだけじゃ説明し切れない。の辺りじゃ絶対に取れない果物だとか野菜だとか肉だとかを持って来るんだ。週に一度くらいの割合で。其奴等そいつらが居るんだから、何処どこかに経路がるんだろう。れさえも秘密の場所で生産された物だって言う奴も居る。けど、俺は知ってる。行商人や旅人の事は俺も餓鬼がきの頃から不思議に思って居て、れでの町を探検して調べまくった事が有ったんだ。でも何処どこにも秘密の生産場なんて無かった。海に出て仲間と一緒に島を探し出そうとした事も有った。だが見附みつかりゃしねぇ。りよ、どっかに秘密の――生産場じゃなくてよ――道っつーか入口がるんだろうな……うだろ?」


 髭面の男は少年の様な笑みを浮べて訊いた。年若い男はうなずいた。


うか……旅人はみんなう言うんだ」と言って今度は寂しそうな笑みを浮べる。


 れから髭面ひげづらの男は無言で舟を漕いだ。揺れが心地好ここちよかった。静かな町だと年若い男は思った。


 水の飛沫しぶきと舟を漕ぐ音以外には何もきこえなかった。建物の玄関とも言うべき船着き場には必ず松明たいまつが一本灯って居る。薄ぼんやりとした輝きを放って居た。其処そこゆるやかに通って行く。


 年若い男は何とも言えない気分にった。何と無く、ままずっとうして舟の上に居たい様な感情に駆られる。しかう思った直後、髭面の男が目的地に到着した事を告げた。


 髭面の男は小舟を着けると縄で縛って動かない様に固定した。れからいて来な、と言って年若い男を促した。


 髭面の男は扉を開けて建物の中へ這入はいった。年若い男も後に続く。中にはず広間がる。そして二階への階段が目の前に伸びて居る。照明は洋燈ランプが灯って居るだけで内部は薄暗かった。


 窓から室内に月光が降り注いで居る。無月の夜ならば屋内はほとんど見えないのでは無いだろうか。年若い男はう思った。


 建物は四階建てで、髭面の男の部屋は三階にるとの事だった。


 事実上、の建物に住んで居るのは自分達家族のみなのだから、別に殊更ことさらに三階だけを自分達の物であるかの様に言わなくても好いのだが、うしても建物全部を使う気にはれず――とうより、そもそも広い面積は要らない――結局三階のみを自分達の物として占有するに留めて居るのだとう。


 髭面の男は階段を登りながう教えてれた。足許は暗いが、見えなくて困るとう程では無かった。


何時いつもなら」と髭面ひげづらの男は先導しつつ言った。


「夜は見ての通り暗くて何も見えないからな、手許に照明を持って行くんだが、今日は満月で曇っても居ない。だから洋燈ランプ要らずってわけだ。り月夜は好いもんだな」


の町に松明たいまつ洋燈ランプ以外のあかりは無いんですか? 見た所、電気は存在しない様ですが」


「『電気』ってのが今一つ何の事だがわからないんだが……取敢とりあえず心当こころあたり有りそうな物は思いうかばんな。多分、兄ちゃんの言うような物は無いぜ。前に来た旅人も言ってたんだ。の町に来ると何世紀か前の時代にって来てしまったかの様に思えるってよ。う意味なのかは実はわからなかったんだが、つまりは古い町だって事だろう? ここには兄ちゃんが言う様な便利な物――と、思うんだが正直言って見た事も使った事もねぇから本当の所はうだか全く以てわからないんだが――は無いと思うぜ。ただ、俺達は別段れが不満だと思った事は無い。あんた等、旅人からすれば不便な様に見えちまうらしいが、俺達は気に入ってるんだ」

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