第9話
あ、はい……とだけこたえて、としわかい男はあしばやにすすんでいった。なぜここまで好かれているのかわからなかった。わからないことは恐怖だった。ふだんならば、情報をしゅとくすることで安心をえることができる。
しかし、いまのじぶんにはできないのだった。やはり、なんとしても能力をとりもどさなくてはならなかった。そうでなければ、この町にもどってくることができない。
としわかい男は森まできてから、あらためて町をながめた。八方からみずがながれこみ、みずうみのうえにそびえる都市がみえる。ずいぶんとながいあいだ世話になった。
しばらく、としわかい男はその風景をみつづけた。なにもいわず、大男とあだやかな女も町をみおろす。
「そろそろ出発しねぇか?」と大男がいい、としわかい男は同意した。あだやかな女はもうすこし見ていたかったようだが、みじかく「わかったよ」といって先をあるきはじめた。
森のなかをすすんでいくと、くちはてた線路があった。少女のはなしによると、いまはもう使われなくなった線路があり、それをたどっていけば駅につくとのことだった。
線路のほとんどは草におおわれていて、注意ぶかくみないと発見することができなかった。鉄の部分にはすでにこけがはえている。木製のかしょにいたっては、くさりかけていた。
雨風にえんえんさらされつづけてきたなによりのあかしだった。使用されなくなってから、かなりのじかんがたっていることがうかがいしれた。
線路はまっすぐにしかれている。ときおり、まがりくねってカーブをえがいていた。森をぬけて、野原にいたってもまだまだ終わりはみえない。
坂道をのぼり、森がみえてきたところで、昼食をとることにした。日はすでに昼になったことをしめす位置にきていた。
「なんかあれだな……これってもう『ちょっととおい』ってレベルじゃねぇだろ」
「たしかにねぇ、朝から昼まであるきつづけて、いまだにつく気配がないってのはねぇ……」
「なれたひとなら、そんなにとおいとはかんじないんだろう」ととしわかい男はいった。
「ぼくたちははじめていくんだし、それしか移動手段がないんだから、文句をいえる立場じゃない。それに、とおいことはべんとうをわたされた時点であるていど予測できた。駅ではべんとうをうっているそうだし、それならわたす必要はなかったはずだ。わざわざこれをもたせたということは、昼前につくことはできないってことだろう」
あだやかな女は大仰にためいきをついた。
「最初にどのくらいの距離なのかをきいておけばよかったよ。いいかげん、あるきつかれてきたしね。できることなら、あの森にはいってすぐに到着って事態になってほしいものさ。あたしはひたすらにそれを熱望するよ」
はたして、そのとおりになった。べんとうをたいらげて森のなかにはいると、すぐに駅がみつかった。
しかし駅はすでに廃墟になっていた。つたが壁をおおいつくし、巨樹が屋根をつらぬいている。そうして、当然のごとくだれもいなかった。駅は無人であり、これがいったいどういうことなのか、きくべき相手は見あたなかった。
「おいおいどういうことだ。まさかおれたち、だまされたんじゃないだろうな」
「そりゃないさ。だましたところでなんの得にもならないんだから。最初に線路をみつけてすすむときに、反対方向にいっちまったってことなんじゃないかい?」
「マジかよ姐さん、ってことはあれか? また逆もどりってことか?」
「あからさまにいやそうな顔をしないどくれよ。あたしだってつらいんだ。やれやれ、ちょっとあの町でゆっくりしすぎてしまったかね。どうにも勘がにぶってしかたない」
「いや、もくてきの駅はここだよ」ととしわかい男はいった。
「そこの看板にかいてある。あたらしい駅にすべての業務を移行するって」
駅構内にはえている巨樹のねもとに看板はころがっていた。もとは幹にまいてあったとおぼしき針金ははずれてしまっている。人為的にはずされたわけではなく、幹の生長でふとくなったためにきれてしまったようだった。
「あの町のひとたちが利用していたのはずいぶんとまえのようだったから、そのあいだにあたらしい駅ができたんだろう。町とこの駅はけっこうはなれているし、利用者がなければ情報がつたわっていなくともふしぎはない。ともかく、みちはまちがっていなかったというわけだ」
「しかしよぉ、そのわりにゃ、腐朽のしかたがおかしくねぇか? こりゃどうみても三〇年か四〇年はつかわれてません、ってじょうたいだろう? しょくぶつも生長しまくってるし」
「樹木にかんしては、おそらくここの気候がえいきょうしているのだろう。きくところによると一年中、はるのような陽気であるらしいからな。ふゆがないぶん、草木の生長もはやいとかんがえれば、つじつまは合う。なにより――ここをふつうのばしょだと思ってはいけない。ぼくはそうかんがえているよ」
大男はため息をついた。
「まぁ百歩ゆずってだ、あのばかでかい木とか、つたのたぐいはいいとして、それじゃ天井やら壁やらのこわれぐあいは、どうせつめいするんだ? 線路にしたって、おれたちがここにくるまでにみてきたものとなんら変わらないぐらいに草やらこけやらがはえてるんだぜ?」
「そのあたりのことについては気にしたところでしかたないよ。おおかたあの娘とあった工場といっしょだろう。あそこもいろいろと矛盾するような情報がたいりょうにのこされていた。いまのぼくは情報をしゅとくするようなまねはできないが、おそらくここもしゅうしゅうしたら、あれこれとおかしな点がでてくるようになっているんだろう。つかわれていたのは五年まえなのに、線路は四〇年もせいびされていないとか、あるいはあの大木がうえられたのは百年まえだが、こわれている屋根は二十年まえにつくられたものだとか……」
「屋根にかんしては」とあだやかな女がくちをはさんだ。
「最初っからそういうデザインだった可能性だってあるんじゃないかい。大樹がはえているところに駅をたてて、わざと木が屋根をぶちぬいているかのようにみせるために一見するとこわれているかのようにつくった――とかね。まぁ、いずれにしてもいまのあたしらにはどうでもいいことさ。いまのあたしらにとって重要なことは、あたらしい駅がどこにあるのかってことさ。ここまできてわからなかったら、もうほんとうにどうしようもないからねぇ……」
そのことばにうながされて、としわかい男と大男は駅のなかをあさってあるいた。ここからあの水郷までの地図はみつかったのだが、あたらしい駅がどこにあるかを書いたものはいっこうに見あたらなかった。
駅構内をさがしまわってもみつからなかったために、いちど外にでて駅の周辺を探索してみた。すると、あっさりとみつかった。駅舎の壁にかかっている。
ただ、地図はぜんたいの四分の三ほどが、つたでおおわれていて見ることができず、まずはそれをとりのぞくことになった。
つたはおもいのほか頑強であり、作業は困難をきわめた。正確には、大男がこんしんのちからをこめて、ひきはがしにかかった。
としわかい男とあだやかな女は、つたをまったくとることができなかった。ゆえに、必然的に大男ががんばることとなった。大男は町でも鍛錬をおこたることがなかったから、ちからはまったくおとろえていないはずだったが、それでもなかなか終わらなかった。
けっきょく、作業がすべて終了し、あらたな駅がどこにあるのかわかったのは、その日の夕方になってからだった。さいわいにも駅はちかいところにあり、なんとか今日中にはいけそうだった。
さきほどまでとおなじように線路をおってすすんでいけばいいようだった。ただ、わかれみちがいくつかあり、それをまちがえるとたどりつくことはできない旨が地図にはかかれてあった。
三人はいそいで線路にそってあゆみはじめた。途中のわかれみち――線路が二方向にむかってのびているところ――は地図にかかれてあったとおりにまがる。
最初はみぎに、つぎもみぎに、三つめはひだりにすすみ、さいごのわかれみちはみぎをえらぶ。これであっているはずだったが、なかなか駅はみえてこなかった。わかれみちもない。
これまでは比較的はやくわかれみちに出くわしたが、こんどはわかれみちも見あたらず、とりあえずはまっすぐに進行していくしかなかった。
地図には、さいごにまがってから、こんなにながいとはかかれていなかった。まさかみちをまちがえたのかと不安におもうこともあったが、できるかぎりかんがえないようにして無心であるいた。
一行は、これであっているはずだと自分自身にいいきかせていた。そのかいあってか駅がみえてきた。すでに日がおちてから、そうとうの時間がたってしまっていた。ようやく駅に到着した。
駅舎にはわずかなあかりしかついておらず、全体的にくらい印象をあたえた。改札口にあるひかりがただひとつの光源であり、とまっている列車のなかを見とおすことはできなかった。
あたりには暗闇が濃くうつった。くもにさえぎられて月もみえない。かんじんの照明もよわく、駅すべてをてらすことはできずにいた。列車のまどに、電灯のひかりに反射してひとかげがうつっていた。
改札をぬけるとすぐに列車につく。列車だけは電灯のひかりでかろうじてみることができた。しろい外観をしている。列車は二輛のみだった。左右に目をむけて、だれかいないかと周囲を探索しようとするも、闇にはばまれかなわなかった。
線路のある部分の屋根はふきぬけになっている。ほんらいなら月あかりがそこからはいってくるはずだった。しかし月はかくれていた。かおをださずにいる。
しかし、しばらく電灯のしたでまっていると、やがて月光があたりをてらしはじめた。すこしずつひかりが上空からふってきた。駅ぜんたいがみえるようになる。左右にかおをむけると、駅のおわりが目についた。
べんとうをうっているというはなしだったが、夜であるためか売場は見あたらない。ベンチがふたつならんでおかれていた。ひとのいる気配はまったくない。駅は無人であるようだ。
「まさかここもつかわれてません、っておちじゃないだろうな」
大男のことばを、としわかい男は即座に否定した。
「列車があるし、こわれてもいない。ひとがいないのは単に夜だからだろう。あさになれば駅員なり利用客なりがやってくるだろうから、そのときをまてばいい」
「ってこたぁ……あれか、野宿か。おまけに晩飯ぬきか」
「たえよう」とだけいって、としわかい男は駅をあるきまわった。もっとも、あるきまわれるほどひろくはなく、はしからはしにつくのもすぐだった。
「ここってつかえそうじゃないかい?」とあだやかな女が駅員がほんらいいるべきところからかおをだした。
事務室のようになっているところであり、だれもいなかったため使うだけなら問題はなさそうだった。なかはおもったよりもひろかった。だが、さすがに三人が寝ころがるとなると難儀した。
大男はなにか食べものがないかとしつこくさがしまわっていたが念願かなわず空腹のまま床につくこととなった。あたたかい風土であり、夜になってもさほど気温はさがらなかったが、それでも毛布の一枚くらいはほしかった。
そうして当然のようにそんな気のきいたものがあるはずもなく、かぜをひかないことをいのりながら眠りについた。
あさになっても駅にはだれもこなかった。客はおろか駅員もこない。列車の運転手さえもすがたをみせなかった。としわかい男とあだやかな女はベンチにすわって、大男がもどってくるのをまった。
男は、空がしらみだしたころ「なんか食えそうなもんをさがしてくる」といって森にはいっていった。期待していたわけではないが、しかし空腹はどうしようもない事実だった。
しばらくたつと、ほんとうに魚を手にもどってきた。とりあえず火であぶって朝食をとった。完全に日がのぼってもなお、だれひとりとして駅にはやってこなかった。
ふいに、列車のとびらがひらいた。運転手や車掌はいないはずだった。どうする? ととしわかい男がいうと、のるしかないだろう、というへんじがかえってきた。
乗車した。とびらがしまる。列車がゆるやかにはしりだした。車内にはとうぜんのことながら、だれもいない。運転室までおもむく。だれもいなかった。
突っ立っていてもしかたがない、そうあだやかな女はいって席についた。としわかい男と大男もそれにならう。車窓をみると、すでに森をぬけていた。列車は野原をもうぜんと走っていた。
「おべんとうはいかがでしょうか?」という抑揚にかけた声がした。みしらぬ男がたっていた。
おどろきでなにもいえずにいると、「おべんとうはいかがでしょうか?」とまたきいた。大男はいちど、あだやかな女ととしわかい男をみてから、「三つたのむ」といった。
男は「ではこちらをどうぞ」といって、べんとうをてわたした。いつのまにか、男の両手にべんとうが出現していた。みしらぬ男はやくめを終えると、なにごともなかったかのようにあるきさった。
としわかい男はべんとうをイスにおいて、みしらぬ男のあとをおった。とびらをあけてうしろの車輛にいく。ねんいりに車内をみてまわるが、男のすがたはみあたらなかった。やはり、列車内は無人だった。
もどってきたとしわかい男をみて、あだやかな女は「どうだった?」ときいた。としわかい男はくびをふってこたえた。大男はすでにべんとうをほおばっていた。
すこしは警戒すべきではないか? としわかい男があきれながらいうと、「なやんだってしかたねぇだろ。朝飯はあれだけじゃ足りねぇんだし。それに腹はへるんだよ。人間なんだから」と大男はこたえる。
たしかにいまさらそんなことをかんがえていても、どうしようもなかった。としわかい男もべんとうをたべはじめる。三人はべんとうに舌つづみをうった。
昼食のじかんになると、みしらぬ男がもう一度あらわれ、「おべんとうはいかがでしょうか」と抑揚のないこえでいった。
大男が「四つたのむ」とこたえ、男はまた以前とおなじように、いつのまにか手にもっていたべんとうをてわたした。そうしてこんどは、たべおえたべんとう箱をかいしゅうして出ていった。
としわかい男はあとをおう。うしろの車輛にはいった。男はきえていた。としわかい男がもどってくると、あだやかな女がすでにべんとうをたべはじめていた。大男にいたっては二つめのべんとうにとりかかっているところだった。
よるになっても、またおなじことがくりかえされた。あいかわらず素性のしれぬべんとうをたべ、それをもってくる男の正体も不明のままだった。
列車はあさから変わらず草原をはしりつづけていた。車内にはうすぐらい照明がてんてんと咲いていた。そろそろねむくなる時間になると、べんとうの男はふたたびあらわれて、からのべんとう箱を回収するとともに毛布をおいていった。
つかえ、ということらしい。三人はそれにくるまって眠りについた。
あさになると、草原をぬけて水上をはしっていた。べんとう箱の男があらわれ、毛布を回収してべんとうをおいていった。その日も前日とまったくおなじことがくりかえされた。
昼にべんとうの男があらわれたとき、ここは海のうえなのか? ととしわかい男はきいてみた。こたえがかえってくるとはおもえなかったが、意外なことにべんとうの男は「はい。海上にございます」とこたえた。その日は一日、ずっと海のうえを走行しつづけた。
翌日、いつのまにか水上をぬけて、車窓からのぞく光景は砂漠になっていた。まどをあけようとしたが、あけることはできなかった。
しかたなく、としわかい男はうしろの車輛まであるいていき、そとのようすをながめた。きのうまでの海はみえなかった。
昼食後、しばらくすると急に列車がとまった。駅に停車していた。とびらがひらく。べんとうの男があらわれて、「またのご利用をおまちしています」とあたまをさげた。おりろ、ということらしかった。
駅におりたつと同時にとびらがしまった。しかし列車はうごくことなく、その場に停車しつづけた。駅はちいさく、ベンチが二つならべられていた。無人であり、だれもいなかった。
三人は駅をでて町にでる。雨がふっていた。雨水はすぐさま砂にすいとられていく。しかし砂は水分をきゅうしゅうしても砂のままだった。砂漠の町であるにもかかわらず、空気ははだざむく、雨はいまにも雪にかわってしまいそうだった。
「やあ」
だれもいないはずの路地からこえがした。かさをさしたくろい服の少年が顔をだした。
「ひさしぶりだね。よくぞここまでこられたものだよ。優秀なようでけっこうけっこう」
そういって近づいてきて、少年は三本のかさをそれぞれわたした。
「じゃ、いこうか」といって少年はあるきだした。としわかい男はまっさきについていった。
「そっちのふたりはこないのかい?」と少年はふりかえっていった。
大男とあだやかな女は、たがいに目くばせをしたあと、ともにあるきだした。少年はうすく笑んでまえをいく。だまったまま、つれだってあるいた。かさにあたる雨のおとが耳にこびりついた。
砂漠の町にはひとがほとんどいなかった。とおりをあるいていても、だれとも行きあうことはなかった。雨がふっているのに雲はでておらず、ゆえに町のようすは、とおくまで見わたすことができた。
家屋と家屋とのかんかくがひろく、またほとんどが一階建てであることもあって、町のはしからはしまで見える。上空からふりそそぐ水滴は、陽のひかりにてらされてかがやいている。そらから宝石がふっているようにもみえた。
少年はぶらぶらとあるいていた。としわかい男はうしろについていきながら、少年がどこへむかっているのかをかんがえた。少年はさきほどから、おなじとおりをいったりきたりしているようにおもえた。
しかしそれはまちがいなのだろう。建物はすべておなじような造りであり、みちも五十歩百歩だった。砂にあしをとられる。砂漠での歩行はむずかしかった。
直接きいてみるというのも手だとはおもったが、どういうわけかはばかられた。きいたところで答えはえられない、そんな確信があった。
少年はいったん町のはしにまでやってきてから、ふたたび進路をかえて町中をあるいた。目的地がほんとうにあるのか、にわかに不安になる。
そもそもなぜこの少年はいまになってあらわれたのだろうか。いまさらながらにとしわかい男の疑問はそこへ漂着した。たしか、まえにあったときは仲間がどうこうといっていたから、組もうとか、そういうことなのだろうか。
だとすれば――いや、それはおかしい。もしそうなら、どうして以前にあったときにそれを申しでなかったのか。いまになってなぜ……。
「あのよぉ……」と大男がじつにいいにくそうにことばをつむいだ。
「あんた、なんなんだ? なにしにあらわれたんだ?」
少年はしばらくだまったままで歩きつづけていたが、唐突につぶやいた。
「いろいろさ」
それだけで話は終わった。少年は以降、なにもしゃべらず黙々とあるきつづけた。としわかい男もなにもいわず、ただただあとをついていった。
少年は町のはしまでおもむき、それからまた町の中心部にもどってきた。町のはしまでいき、中心部にもどる。それを機械的にくりかえした。五回目に砂漠の町をぐるりと一周した。ふたたび中心にもどる。少年はたちどまってふりかえった。
「幸運をいのっているよ」と少年はいった。
「もしもこれで君たちが終わらなければ、ぼくと組もうじゃないか。いやじゃなければ、ね」
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