〈円環〉を歩む者達

笠原久

第1話

 う高らかに宣言してから、壇上の男は顔をうつむかせた。表情には苦悶が、あるいは迷いが見える。何を迷ってるのかと聴衆は苛立いらだった様子を見せ始めてる。

 しかし壇上の男はった事には関心が無いらしく気にする様子は無い。聴衆の我慢が限界にまで達しようとした時、ようやく壇上の男は顔を上げ、ぐに正面を見据みすえて再び演説を開始した。


うだ! 諸君! 我々は〈円環〉の中にるのだ! と言っても君達には何の事かさっぱりわかるまい。う、これは体感した者にしかわからぬのだ。如何いかに君達が理解しようとつとめても無意味とう物――いやいや、う騒がずに聴いて貰いたい。何も僕は君達を怒らせようとか、君達の理解力を疑ってるとか、わけでは断じて無いのだ! 君達の能力をむしろ僕は高く評価してる。何故なぜなら君達は選ばれたからだ! この何億と云う人々のくらす地の中で――うだ! わずか三百人と云う精鋭! 選ばれし者達よ! 諸君らはこれより〈円環〉からの脱出と云う重い任をこなさなくてはらない! 恐ろしく困難がともなう事だ。しかしたら一人も脱出出来ないかも知れない……。しかし! 僕は何時いつか抜け出す者がると信じてる! えて――う! 敢えてだ! 君達に命じようでは無いか! 『〈円環〉から脱出せよ!』と!」


 演説はおわり、壇上の男は舞台から消え去った。





「今の演説、どう思う?」


 くまような大男が隣にる年若い男に話し掛けた。


「さあね。『〈円環〉から脱出せよ』と言われても〈円環〉が何かわからないんじゃ、うしようも無い。せめてもう鳥渡ちょっと何か説明があればいのだが……」


たしかにな。精鋭だとか何だとか随分と褒めたたえて居たが、結局何をらせたいのかわからん」


「で――」とつぶやいてから、年若い男は言った。


「君は結局、れに乗る気がるのかい? 今の説明を聞くかぎりじゃ、うしようも無さそうだが。いや、うしようも無いと云うより動きたくても動けないと言ったほうが正確か」


「『〈円環〉から脱出する術を見附みつけられれば如何いかなる望みも叶える』か……それに惹かれて大層面倒な試験を受けて、挙句に説明がわからんから止める、じゃ情け無いだろ?」


れはそうだが、しかしなぁ……合格すれば〈円環〉が何かわかるかと思ってれば……」


れを探す事が、あたし達を集めさせた本当の理由なんじゃないかい?」


 いつの間にか近くまでって来て居た妙に露出の多い婀娜あだやかな女が言った。


「困惑してるのは何もあたし達だけじゃないさ。見なよ」と扉を指差した。


 聴衆が這入はいって来た扉は閉ざされて居た。出ようとする聴衆があつまって居たが出られないようだった。どうなってるのかと言う声がきこえる。

 しか何処どこを捜しまわっても、演説をして居た男も、ここへ案内した妙な大男も、薄着の女も見附みつからない。


「要するに、あれか。途中で降りるのは許可しません、ってか」


 くまような大男がおどけた調子で言った。


うやら俺達に拒否権は無いようだ。人権侵害で訴えて見るかい?」


ここを無事に脱出出来たら、考えて見るよ」と年若い男は答えた。


「脱出なんて見るからに無理そうだけどね」


 建物は頑丈な壁で囲まれてた。すでに壁や扉や窓を破壊しようとしてる者も居たが、誰一人として壊せて居なかった。どころか傷一ついて居ない。

 何処どこかをこわして脱出する事は無理なようだった。の内に床や天井を攻撃する者まで出始めたが、結果は同じだった。


「おいおい、まさか俺達を集めて殺す事が目的じゃないだろうな」


「そいつは無いよ」と婀娜あだやかな女が答えた。


「周りの人数を数えて御覧よ」


 年若い男は自らの感覚を押広おしひろげ、意識を集中して館内に残されている人数を把握した。現在、建物内に取り残されてる人間は二四四人だ。


「驚いたな。すでに六十人近くがここから脱出したとう事か」


「数え間違いじゃねぇのか? この短時間にどうって出たんだよ」


 大男の言葉に、少し不機嫌な声で年若い男は答えた。


「有り得ないね。僕のこの能力は間違い無く正確無比だ。何なら一人一人調べて見るかい? すでに二三九人に減ってるよ。数えて行けば君も認めざるを得ない」


 そう言ってにらみ附けると、大男は慌てたよう辯明べんめいした。


「いや悪かったよ。別にあんたを疑ってるわけじゃねぇんだ。あんたも合格者なんだもんな、それくらいの芸当は出来て当然か……。いや悪いな、俺ぁ腕っ節だけで来たようなもんだからよ、どうもその手の力で把握したって事に頭がまわらねぇんだ」


 年若い男はしばらく大男を黙って見詰みつめて居たが、やがて視線をらした。


「ふふっ、喧嘩なんてしてる場合じゃないと思うけどねぇ」


 婀娜あだやかな女の言葉に年若い男が応じた。


すでに残りが二百人近くにってる事は把握してる。さっさと出る方法をつかむに限る」


 年若い男は場を離れようとした。れを婀娜あだやかな女は止める。


「そう慌てさるな。脱出する糸口はそう簡単には見附みつからないよ。何せのあたしでさえ、先刻さっきからって脱出してるのか全くわからないんだからね」


 年若い男は立ちどまって、婀娜あだやかな女を見詰みつめた。


「自分と組め、とでもつもりか?」


 婀娜あだやかな女は品の無い笑みを浮べた。


「話が早くて助かるよ。で、返辞へんじはどうだい? 組むか一人でるか……」


「報酬はどうするつもりだ?」


「何だ、そんな事かい? 『〈円環〉から脱出する術を見附みつけられれば如何いかなる望みも叶える』としか書かれて居なかっただろう? つまり複数居たって構わないって事さ」


屁理窟へりくつきこえるがな……」と答えた後、年若い男は少し考え、諒承りょうしょうした。


「一つだけ言って置くが、抜け駆けは許さんぞ」


「そいつはこっちの台詞だね――で、あんたはどうするんだい?」


 大男に向き直って女は問うた。大男は意外そうに「俺もかい?」と言った。


「てっきりこっちの兄さんだけかと思ってたがな……。念のため言って置くがよ、俺ぁ腕力しか能が無いぜ? いのかい?」


「この試験には君のようなタイプの人間も多数居る様だ」と年若い男が言った。


「それはつまりこの件は単に智力ちりょくだけでは解決出来ないと云う事だろう」


「ふふっ、ようや気附きづいたのかい?」


「遅れせながらね。残った人間がどう云うタイプかを探って居たらわかったよ」


 年若い男は周囲を見廻みまわしながら説明した。


「現在残ってるのは二〇九人。の内、八十人程度が武闘派のようだ」


「何かすげェ嫌そうな言い草だな、それ」


「正直、余りかかわり合いにりたくないがらの悪い奴が多いようだからな」


「あー……まぁたしかに言われりゃ、そう云う感じの連中が多いか。で」と大男は自分を指差して「俺はがらが悪く無さそうだって判断されたわけか?」と言った。


「その辺にいてはそっちの姉さんに訊いてれ。僕には本当にがらが悪いのかどうかは判定出来ない。飽くまでも形姿なりかたちと表面に出てる態度しかわからない」


「本当の所はあたしにもわからないんだけどね、ただあたしの勘はこいつは大丈夫だって言ってる。だから信頼してれて構わないさ」


非道ひど曖昧あいまいだな」


「仕方無いのさ。これはあたしの本来の能力とは別物だから。で、あんたは組む気がるのかい? 無いってうなら残念だけど、別の御仁ごじんを探す事にするよ。……まぁもっとも、あんたは断らないって、あたしの勘は言ってるけどね。あたってるかい?」


「あああたってるよ。喜んで組ませて貰う。どうやらここを俺一人で脱出するのは無理そうだからな。ここはあんたに任せる事にするよ。出番が来たら言ってれ」


「それじゃあきまりだね」と婀娜あだやかな女は言った。


「じゃ早速だけど脱出するとしよう。あたしはどうもこうう中にるのが苦痛でね」


「手立てはるのか? その口振りからするとそう難しくは無いようだが」


気附きづいてないのかい? ここを真っ先に脱出したのは所謂いわゆるあんたのような情報を収集して即座に分析するタイプの使い手だよ。ここから抜け出る方法はあんたが一番好く知ってると思うけどね。わからないかい?」


「余り買い被られてもな」と答えつつ年若い男は自身の集中力を高めて周囲の情報を収集し、分析して行った。婀娜あだやかな女の言う通り、すでに自分と同じようなタイプの人間はほとんど居ない様だった。


 残ってるのは大男の様な奴が七十六人、それに潜入や偵察と云った事柄を得手とする者が九十三人、自身と同じく情報を集め分析するのが得意なタイプは九人しか居ない。れから婀娜あだやかな女と同じく、分析不能な者が十四人居た。


 建物は縦四十メートル、横三十五メートル、高さ二十五メートルの四階建て。内部の総面積は約四八〇〇平方メートル。建物内には演説を聴いた者以外はすでに居らず、出入口はすべて施錠されてる。


 天井・壁・床・窓の材質は分析不能。取敢とりあえず人間の力で破壊出来るたぐいの物では無い事だけはわかった。屋上がるが、其処そこへの扉にも鍵がかかってる。


 隠し扉や通路と云った物も無い。七本の巨大な円柱が一階から四階までを突き抜けてる。建物を支えるには充分過ぎる物だった。


 何か脱出の鍵とりそうな気もしたが分析結果は無関係。単にデザインの関係で無意味なまでに巨大な物をこしらえたようだ。


 建物の内部から外部へと情報網をひろげようとしたが、何かにはばまれ出来なかった。飽くまでも内部情報のみで脱出の手立てを見附みつけよとう事を表してるとの結果が出た。


 年若い男は舌打ちして自らの分析結果を婀娜あだやかな女と大男に報告した。


「単にお前の能力不足って可能性は――」


 大男は慌てて口をつぐんだ。り甲斐の無い男だ、と年若い男は思った。少しばかにらみ附けただけであっさりと屈してしまう。その癖、単純な戦闘能力では明らかにこの男が内部に取残とりのこされた中で最強なのだった。


 それも明らかに傑出けっしゅつしてる。婀娜あだやかな女が仲間に引入ひきいれようとするだけの事はる。しかし、その強さと反比例するように意志が弱い。


 他人にこうと言われたり今の様に少しけられただけで簡単に自らの意志を曲げてしまう様な、そう云う所がの男にはる。


 にもかかわらず、戦闘時にいてこの意志の弱さが全く影響しないとの分析結果が出て居た。意志が薄弱で有っても強いとはどうう事なのか。


 疑問がうかぶが年若い男はぐに忘れた。彼はおのれの能力に絶対の自信を置いてる。


 だから意志は弱いが戦闘時には最も強いとの分析結果を受入うけいれた。仮令たとえ今は謎でもの男の出番が来れば判明する事。今考えるべき事では無い。


 婀娜あだやかな女は考える素振りを見せて居た。の女は一体何なのかと年若い男は考えた。明らかに異質な女だった。これまでにも分析の出来ない人間と云うのに会った事はある。しかしここまで謎の存在は居なかった。


 分析どころか情報を収集する段階でつまづいてしまってる。表面的な性格や嗜好はおろか体のサイズと云った誰にでも採取可能な情報すら判然としない。


 他にもの場にはそう云うたぐいの人間がるが、矢張やはり外見の情報に関する事くらいなら取得出来る。


 しかの女に対してはそうう物すら知る事が出来ない。何か得体の知れない物を、の女は持ってようだった。


 出来る事なら余りかかわり合いにりたくなかったのだが建物内からの脱出のためにはの女の力を借りて置いたほうが好さそうだった。


 外部の情報が取得出来ないなどとう事態には今まで遭遇した事が無い。の女も不可思議な存在だが今の状況も不可解な状態だった。


 婀娜あだやかな女は考え込む様な素振りを見せた後に口を開いた。


「直接触れて見たら? 距離がると把握出来る情報は減って行くんだろう? 実際にその物に触れて見れば何かわかる筈さ」


 れから不意に年若い男を見詰みつめて嫣然えんぜん微笑ほほえみ、「何なら、あたしの体にも直接触れて見る? 面白い事がわかるかもよ?」と言った。


「止めて置くよ」と年若い男は目線を外して首を振った。


「何か知りたくない、知ってはらない恐ろしい情報が有りそうだ」


「ふふっ、残念だねぇ。あたしとしてはあんたの反応を見てみたかったんだけど、れはまた今度に譲ろうか。取敢とりあえずあたしにいて来な」と婀娜あだやかな女は一階から四階にむかった。


 四階には人が居なかった。脱出を試みてる者はまだ一階と二階に居た。一階から徐々に上の階へと調査を拡げて行く算段で動いてる。しか婀娜あだやかな女は行き成り最上階にって来た。


 そうして七つある柱の内の階段から一番離れた地点にある物の所まで歩いて行った。其処そこで立ちどまり年若い男にむかって柱を親指で指した。分析出来ずとも調べて見ろと態度が示して居た。


 年若い男は柱に近寄っててのひらを当てた。石の冷たく滑らかな感触が伝わって来た。情報を収集し、分析を開始する。


 成分不明。極めて硬度が高い。破壊は不可能。作られた時期も不明。新しいのか古いのかすらわからない。円柱の直径はおよそ六メートル


 一階床から四階天井まで垂直に伸びてる。太さは常に一定でかわらない。材質にも変化は見られない。


 すべて同じ石が使われてる。にわかには信じ難いが二十五メートルの岩を削って作成したとの分析結果が出た。しかも一階床部分のさらに下、基礎部分と云うか地面とも一体化してる。


 即ちの建築物は元々岩だった物を切り出して製作した物と云う事になる。そんな馬鹿な、と年若い男は思ったが、しかし自身の能力を信じる事にした。


 地面の下に洞窟が有った。否、洞窟とうよりも迷路と称すべき物がある。内部は恐ろしく広く年若い男の収集範囲を超えて居たため、全体像の把握はあきらめた。高低差があり把握出来る範囲内では十二メートルが最大。


 地底湖も彼方此方あちこちに存在し、四〇平方メートル程度の小さな物もあれば、完全には把握出来ない程に巨大な物(わかってるだけでも二〇〇〇平方メートル以上)の湖もあった。巨大な方の湖の水深は七〇メートル以上とう事以外わからなかった。


 洞窟内部は入り組んだ道筋をしてる上に水没して箇所かしょが多く、歩くのに難儀しそうだった。


 十五平方メートル前後の小部屋とでも称すべき部分が四四箇所かしょあり、その倍の三〇平方メートル前後の部屋が十三箇所かしょさらに湖のある部屋の様な数千平方メートルに達する規模の物が把握出来る範囲に二つある。


 洞窟内部は冷えていて、気温は十三度、湿度は七一パーセント。地底湖の影響で空気が大分だいぶ湿しめって居た。当然の事ながら人の反応は無く生物も居ない。地底湖内にも魚は居らず、正真正銘の生き物の全く居ない空間だった。


 だが内部には奇妙な事に人の手が加えられた箇所かしょがある。水没してるとは云え、きちんと歩ける様に地面は出来る限り平らにされてる。高低差のある場所も登って行けるようたけ整備がされてる。


 最も高低差のある十二メートルの部分に至っては(すでにぼろぼろにって使い物にらないが)縄梯子さえかかってる。洋燈の残骸も二四個あった。


 道は細い廊下の様に伸びてる。小部屋の中には三つの出口があり、いずれも他の部屋と通じてる。部屋と部屋との間の距離は一定でない。


 最も近いのが十四メートル、遠いのが三三メートル、もう一つは二〇メートルだった。


 十四メートル先には小部屋があり、二〇メートル先にはれよりも少し大きな物が、そして三三メートル先には巨大な地底湖のある部屋があった。


 洞窟内部は基本的に暗闇だが湖のある部屋は薄ぼんやりとしたあかりに包まれて居た。原理は不明だが水自体が発光してる。


「と云う事は、その水を持ち運べばあかりには事欠かないわけね」

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