落書帳
りりー
Skebアンサー文
お花見編アフタートーク
春の心地よい風が、桜の花びらを散らしながら頬を冷やし、ぽかぽかと温かい身体に解放感を授けていた。幾らかお酒の入った僕たちはみんなどこか外れたように口元に笑みを浮かべていて、いつもの慇懃さはひと時の間、お休みをとっているかのように思えた。
「おい。」
突然桜さんが低い声で唸り、酔ってふわふわしているシヴィーさんを睨みつけた。何事かとその様子を見守っていると、桜さんは僕のお猪口を顎で指し、「空いてるぞ。」と、シヴィーさんを叱るように言った。
「本当だ。すみません、気が付かなくて。」
慌てて徳利を掴んで膝立ちになったシヴィーさんに申し訳なくなり、「良いですよ。」と徳利ごと受け取ろうとした。けれど、「シヴにやらせろ。」と桜さんに阻まれ、結局シヴィーさんにお酌をしてもらうことになった。
「目上の人間の一挙手一投足に気をつけろと何度言わせるんだ。」
「すみません。」
眉を下げて微笑むシヴィーさんは、お酌を終えると僕ににっこりと微笑んでから座り直そうとし、徳利に添えていた左手を地面についた。が、丁度そこに桜さんのお猪口が置いてあり、シヴィーさんの手が当たると、あっけなく倒れてしまった。
「わぁ!」
「馬鹿野郎!」
飛び上がった桜さんにシヴィーさんは「すみません!」と詫びながら桜さんを見上げた。
「濡れなかったですか?」
「そういう問題じゃない!」
「申し訳ありません。ちょっと酔っちゃったみたいで。」
今にも足が出そうな桜さんを
「桜様、炎で乾かしてください。」
「俺に指図するつもりか。良い身分だな。」
「指図じゃありません。お願いです。濡れたままは良くないですから。ね?」
お酒のせいで、もう殆ど目の開いていない笑みを浮かべるシヴィーさんに、はぁあと呆れたようなため息を吐いた桜さんは、シヴィーさんを一通り睨みつけ、それから染みに向かってフッと細く息を吐いた。蔦のような炎が、寄り道をしながら染みの方へ向かって行き、チラチラと燃えた後、ふっと消え、線香花火のように美しいそれに僕はしばらく見惚れてしまった。
「あー、ちょっと焦げましたよ。」
薄く黒くなった敷物をシヴィーさんがなぞりながらそう言うと、桜さんは今度こそ握りこぶしを作って「は?」と威圧した。居たたまれない僕の気も知らず、シヴィーさんはニコニコと「まぁいっかぁ」と笑い、「お召し物は濡れなかったですか?」と再び尋ねた。
「うん。」と不服そうに答えた桜さんは空になったお猪口を突き出し、シヴィーさんがお酒を注ぐと煽るように一気に飲み干し、二度目のお酌を要求した。
「桜様、それお気に入りの服ですもんね。」
「は? 別に普通だ。」
「えー、嘘ばっかりー。その紫の着物ずっとお召しになってるじゃないですかぁ。」
「家紋が入ってるから着てるだけだ。」
「他にも沢山お持ちでしょう~。」
緩い笑みを浮かべながらお尻を上げ、桜さんの着物の紋章に手を伸ばしたシヴィーさんだったが、桜さんはにべもなく手を払い、「気安く触るな。」とシヴィーさんを睨みつけた。唇を尖らせたシヴィーさんが座りなおすと、桜さんは一度外套を払ってから酒を煽った。
「僕も着てみたいなぁ。格好良いですもん。」
「お前には百年早いわ。なぁヤシロ。お前からも何か言ってやれ。」
「きっとシヴィーさんにもお似合いになりますよ。」
「なるか!」と吐き捨てる様に桜さんに突っ込まれたが、桜さんの言うことにも一理あると本当は分かっていた。桜さんにこそ着こなせる紫の着物は、染料が高価で平民には手の出ない逸品に違いなかったし、桜さんの髪と同じ色の着物は、例えその着物自体に価値がなくとも、桜さんを一層高貴たらしめていると感じていた。金具、銀細工ひとつとっても丁寧且つ繊細なデザインが施されており、桜さんがどれ程理不尽に怒鳴ったり叱ったりしても、それがこの人の地位によるものだとアピールしているようでさえあったし、それはまた逆もまた然りで、桜さんに身につけられることによってひとつひとつの装飾品に一層の高級感が出ているようでもあった。
それでも、鼠色の胴衣も白い着物も皺ひとつなく新品同様なのは、やはりシヴィーさんの言うとおり、桜さんがお気に入りとして大事に取り扱っているからかもしれなかった。
桜さんの着物をじいっと見つめていたからか、ふと視線を外すとシヴィーさんと目が合って、僕が微笑んでみせると、シヴィーさんもにんまりと目を細めた。
「ヤシロ様聞いてください。赤い着物は僕が選んだんですよ。」
「くだらない。ちょっと意見を聞いてやっただけだろうが。」
「僕はどっちもお似合いですって言いましたもん。でも、桜様が『お前の主人はどっちが好きかな』って食い下がってお尋ねになるから、赤は好きだと思いますよーって言ったんですよ。そしたらそのお飾りまで買い上げられたんじゃないですかぁ。店の中で随分長いこと、黒と赤とで迷われてたから、蘭丸さん呆れてましたよ。ちょっとお花見に誘われたくらいで浮き立ってるって。どうせどっちだってメイ様は気に、熱い!」
弾かれたようにお猪口から手を離したシヴィーさんを見て、桜さんは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。右手の先を左手で包みながら、シヴィーさんは「術はあんまりです!」と訴えたが、桜さんに凄まれるとまた唇を尖らせて口を噤んだ。
程なくして敷物の上で横になったシヴィーさんを見ていると、シヴィーさんと桜さんが同じ髪紐で髪を結っていることに気が付いた。
「お揃いなんですね。」と言うと、桜さんは酒を煽ってから「こいつが真似してるんだ。」と不服そうに呟いた。しかしすぐに目を閉じたまま、シヴィーさんが反論した。
「頂いたから使ってるんですー。」
「お前がその鬱陶しい髪を結びもせずに、仕事場に来るからだ!」
それを聞いたシヴィーさんは寝転がったまま、ハーフアップの髪を解く仕草をして、『鬱陶しい髪だな、これ使え。やる。』と桜さんの真似をして見せた。僕が笑っていいのか迷っている間に、シヴィーさんは桜さんの拳から顔を逸らすように地面の方へ向いて、くぐもった声で呟くように愚痴をこぼした。
「髪くらいですぐ怒るんだから。」
「なんか言ったか。」
「たまには誉めて欲しいです!」
バッと顔を上げて桜さんを見つめたシヴィーさんは、もしかしたら真剣な顔をしているつもりかもしれなかった。けれど、赤らんだ顔にとろんとした目をしていて、緩めたネクタイの間からいつもの慇懃さが全部逃げ出してしまったように見えた。
「だったら俺が褒めたくなるような実績を上げろ。」
「例えば?」
「それくらい自分で考えろ。」
えー、と言いながら、シヴィーさんは寝ころんだまま桜さんの空いたお猪口にお酒を注ぎ、遂にはすやすやと眠り込んでしまった。堅苦しいスーツだろうに猫のように丸くなり、僕が上着をかけてあげると桜さんはため息を吐いた。
「シヴィーさん、毎日とても頑張っていらっしゃいますよ。」
「そうだろうな。」
言葉とは裏腹に、桜さんはそれを評価している物言いをしていなかった。そして、僕が口を閉ざしたことによる沈黙を埋める様に口を開いた。
「だが、努力しているかどうかは関係ない。術師にとって重要なのは結果だけだ。」
謙遜や建前なんかではなく、本当に心の奥底からそう思っている事が伝わる目の色を見、やっぱり厳しい人だなぁと肩を竦めていると、桜さんは「だから」と呟くように続けた。
「術師でないお前は、よく褒めてやれば良い。」
そう言って、シヴィーさんに注いでもらった酒に視線を落とし、ぐいと飲み干した桜さんは、小さく上下するシヴィーさんの胸のあたりへ視線を落とした。
「こいつは抜けてるところがあるから、至らないところが多いだろうが、その時は俺を責めてくれて良い。こいつの足りないところは全部、俺が教えきれなかったところだから。」
真剣な眼差しでそう言うと、桜さんは自分のお猪口に酒を注ぎ、シヴィーさんの顔に袖に通る飾り紐が当たるのもお構いなしに、僕にも徳利を差し出した。
「馬鹿なやつだが、きっとお前の役に立つ。」
お猪口を差し出し乾杯を促す桜さんは、僕の瞳を真っすぐに見つめながら、舞い散る桜の花びらの中で、その美しい浅黄色の瞳を細め、にっこりと微笑んだ。
「シヴのことを、宜しく頼む。」
小さく響いた乾杯の音に笑みを誘われ、僕は誇らしい気持ちで「はい。」と応えた。
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