第3話:いつもと違うおじいさん


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 朝の日差しのなか、カルロフと歩きます。

 両腕で持っている蜂蜜の瓶が光を弾いて、地面にキラキラとした模様を作っています。お父さんが作っているこの蜂蜜はとってもおいしいのですが、瓶が大きいので、ルーシーの腕がだんだんと下に下がってきます。


「その蜂蜜、俺が持ってあげようか?」


 カルロフの目は、透明に揺らめく蜂蜜に釘付けです。


「駄目よ。持ったら全部食べちゃうんでしょう?」

「しないよ、そんなこと。でも、ちょっとくらい減らしたほうが軽くなっていいじゃないか」

「だーめ!」


 これだから、カルロフは油断ならないのです。カルロフに食べられる前に、おじいさんに届けなくてはなりません。


「ねえ、先におじいさんの家に行っていい?  卵と牛乳をもらいたいの」


 恐いおじさんの家に行く前の寄り道になりますが、カルロフは気にせずに頷きました。


「構わないよ。道草のひとつやふたつは、してないのと同じだからね」


 おじいさんの家は、とてもわかりやすい場所にあります。五匹の羊がメエメエ鳴いている庭がある家なので、遠くからでも、羊の声でおじいさんの家がどっちにあるのかわかるのです。


「おやおや、人が来ましたよ」


 ルーシーたちを見て、おばあさん羊がモシモシと口を動かします。五匹の羊は全員お年寄りで、身を寄せ合いながらひそひそ話を始めました。


「まあ、本当だ。女の子と男の子だねえ」

「見たことがあるよ、女の子は」

「男の子もあるよ。棒を振り回す子だ」

「荒くれ者だねえ」

「こんにちは、羊さん」


 ルーシーは元気いっぱいに挨拶をしました。でも、羊は知らん顔で話を続けます。


「あたしにはだれがだれだかわからないよ。今日はどうも、お日様がまぶしいね」

「お前さん、今日は変な顔をしているからね」

「あんたの毛並よりはましさ。ああ、それにしても、まぶしいね」

「毛並みなんてこの年になればみんな同じだよ。違うのは、おつむの軽さだけさ」

「メエメエ、その通り」


 羊はおしゃべりですが、ルーシーたちとは話してくれません。ルーシーに返事をする羊は、一匹もいませんでした。


「私、羊とはちょっと相性が良くないみたい」

「俺もいけ好かないや」


 ギュウギュウと体を押しつけ合っている羊たちをおいて、おじいさんの家の扉を叩きました。なかで物が落ちる音がして、慌ただしくドアが開きます。


「いや、失礼。……どこの子かな?」


 黒縁眼鏡を掛けたおじいさんが、ルーシーを見下ろしながらそう言います。


「ひどいわ、私を忘れたの? カールした髪が天使の和毛みたいだって褒めてくれたのに」

「おお、その声は」


 しゃがんだおじいさんは、ルーシーの顔を覗き込み、相好を崩しました。


「いやいや、すまんねえ。それで、そっちはどこの子かな?」

「ひゅう! どこの子だって。孫の顔も忘れちまったのかい?」

「その生意気な口はカルロフだな。口笛吹くのがうまくなって」

「痛いよ!」


 頭を掴まれて、カルロフがじたばたと暴れました。おじいさんは、カルロフのおじいちゃんなのです。


「おじいさん、今日は私の誕生日なのよ」

「知っているよ。招待されているからね」


 えいこらと立ち上がって、おじいさんは眼鏡の縁を直しました。ルーシーは首を傾げます。


「おじいさん、今日は目が小さいの?」

「んん? ……ああ、眠いからかな。目が腫れぼったくなってるのかもしれん」


 大きな指でごしごしと目をこすっています。


「誕生日おめでとう。それで、どうしたんだい? プレゼントが待ちきれなくなったのかな?」

「違うの。そうだ、これを受け取ってちょうだい。ママにお願いされたの」

「おお、なにか抱えていたね。どれ……」


 ルーシーが両手で持っている瓶を、おじいさんは片手で簡単に持ち上げてしまいました。大きなおじいさんが持つと、瓶の大きさも変わってしまったように感じられます。


「デイビットの蜂蜜か。ここまで、わざわざ届けに来てくれたんだね」

「ええ。それでね、それの代わりに、卵と牛乳をもらいたいの。お願いできるかしら」

「こんなに素晴らしい蜂蜜がもらえるなら、羊もつけていいくらいさ。もうおいぼれだから、あまり役には立たないだろうけどね」

「おまけにおしゃべりだしね!」


 余計なことを言ったカルロフが、また頭を掴まれした。カルロフの髪の毛が、さらにぼさぼさになってしまいます。


「それじゃあ、卵を持ってくるから待っていな。カルロフ、お前は冷蔵庫に入っている牛乳を渡してやってくれ」

「あいよ」


 おじいさんの指示を受けて、カルロフが先に家に入りました。そして驚きの声を上げます。


「わあ、なんだいこりゃあ! あちこち物が散らばってるじゃないか!」


 カルロフの言う通り、家の中はごちゃごちゃでした。

 落っこちている犬の置物は窓に置かれていたものでしょうし、積まれた本は、雪崩を起こして床に広がっています。足の踏み場もないとはこのことで、カルロフは猫みたいに爪先立って台所に向かっています。


「これはひどいよ。泥棒にでも入られたみたいじゃないか」

「大掃除をしていたのかしら」


 おじいさんの家に入ったことは何度かありますが、こんなに物が引っくり返されていたのは初めてです。机の上には物の置き場もありません。台所はまだ散らかされていませんでしたが、食器棚の戸が中途半端に開いています。

 カルロフは慣れた顔で冷蔵庫から牛乳を取り出して、ルーシーに渡しました。


「探し物でもしてたんじゃない? 母さんもピアス探すときとか、あちこちひっかき回してるから」

「探し物……」


 探し物、と聞いてルーシーはなにかがひらめきそうになりました。でも、そのなにかまではわかりません。


「ねえ、今日のおじいさん、いつもとちょっと違わなかった?」

「じいちゃんが?」


 カルロフはピンときてませんが、ルーシーにはわかります。今日のおじいさんは、いつもとなにかがちょっと違うのです。


 ルーシーはこの前会った時のおじいさんを思い出してみました。この前のおじいさんは、羊のご飯になる牧草を集めていました。大きな麦わら帽子を被っていて、手には槍みたいなフォーク。仕事用のオーバーオールに、大きな長靴。


「服が変わっているといえばその通りなのよ。でも、それはみんな同じよね。私も違うシャツを着ているし、ハンカチも違う。私が違うって思ってるのは、きっとべつのことなのよ」


 もう一度おじいさんをじっくりと見たら、そのなにかに気付けるかもしれません。

 ちょうどよく卵を抱えたおじいさんが戻ってきたので、ルーシーはじいっとおじいさんを見つめました。やっぱり、いつもとなにかが違います。


「どうしたんだい、そんな子犬みたいな顔をして」


 白くなってきた茶色の髪の毛。大きな眼鏡に、きれいに染められた口ひげ。変わりないはずのおじいさんの顔です。


「おじいさん、今日はちょっと変だわ。いつもと同じだけど、いつもと違う気がするの」

「変だと? ……口になにかついているのかな?」

「ついてないわ。でも、目が……」


 そうです。おじいさんの目の大きさが違うのです。いえ、違います!


「眼鏡の形よ! 眼鏡の形が四角くなってるんだわ!」


 おじいさんがつけていた眼鏡は、丸を指で押したような形だったはずです。それなのに、今日の眼鏡は、同じ色なのに四角い形をしているのです。

 ルーシーが叫ぶと、おじいさんは思い出したような顔で眼鏡のつるを持ち上げました。


「おお、そうだった。いつもの眼鏡がなかったから、前に使っていた眼鏡を出したんだった。よく気がついたね」

「当然よ。いつもちゃんと顔を見てるんですもの。わかったわ、だからあんなにお部屋がぐしゃぐしゃだったのね」


 カルロフの言った通りでした。台所だけあまり散らかっていなかったのは、探す場所が少なかったからです。


「眼鏡がどこかにいってしまってなあ。この眼鏡でも見えることは見えるんだが、遠くのものはさっぱりで」

「眼鏡が違うと駄目なの?」

「そうなんだよ」


 ルーシーは一度眼鏡を掛けさせてもらったことがありましたが、物が見えづらくなるだけでした。眼鏡には、大人にしか聞かない魔法が掛けられているのかもしれません。


「おっと、卵を忘れるところだった。産みたてをもらってきたから、ちゃんと大事にしまっておくんだよ」


 三つの卵を渡され、ルーシーはバッグに卵を入れました。卵を割らないよう、これからはもっと気をつけなければいけません。


「ありがとう」

「牛乳はカルロフからもらったかい?」

「ええ、もらっているわ」


 そういえば、カルロフの声が聞こえません。

 ルーシーがきょろきょろとカルロフを探すと、いつの間に外に出ていたのか、カルロフがドアから顔を覗かせました。


「カルロフ!」


 ルーシーは目をまんまるにして驚きました。おじいさんが探していた丸い眼鏡が、カルロフの鼻の先に掛かっているのです。


「探し物はこれかい、じいちゃん」

「カルロフ! お前、それをどこで」

「外にあったんだよ。さっき見たから、拾ってきたんだ」

「でかしたぞ、よくやった」


 カルロフから眼鏡を受け取ったおじいさんは、安心した顔で眼鏡を掛け替えました。これでやっといつものおじいさんです。

 眼鏡が見つかって、おじいさんは大喜びしました。見つけてくれたお礼にと、カルロフにはお菓子、おまけにルーシーにはもういっこ卵をくれました。


「でもカルロフ、どこで眼鏡なんて見つけたの? 私は全然気づかなかったわ」


 おじいさんの家を出てから尋ねると、カルロフはにやりと笑いました。


「ルーシーも見ていたはずさ。おしゃべりばあさんが掛けてたんだから」



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