第20話 クーロの里帰り

『パパ! ママ!』


 クーロは一気に駆け出して、そのフェンリル達の元に駆け寄った。

 フェンリルの一匹はそんなクーロの頭をぺろりと舐めると、シルヴィエの方をじっと見た。


『そなたがこの子の召喚主か』

「ああ。私はシルヴィエ・リリエンクローン」

『私はこの子の父、エル。そして隣にいるのが母のナキ。今日はどういったわけで』

「私の魔力不足で小さなこの子を召喚してしまった。一度親元に挨拶をと」


 すると、ふっとクーロの父エルが笑った気がした。


『パパ! ぼく、クーロって名前をもらったよ!』

『そうか。それは良き名を貰ったな。ときにシルヴィエ殿。我が子はお役に立っているか』

「それはもちろん」

『ぼくはね、おうじさまたちのお守りをしてあげてるんだ』


 クーロはそう言って胸を張った。


「私はルベルニア王国の王子の家庭教師をしている。クーロはその手伝いをしてくれている」

『ほう……その歳で家庭教師を……? いや、貴女の魂は……これは……』


 エルはシルヴィエを奇妙なものを見る目で見つめていた。

「ああ、精霊ならば分かるか。その通り。私は見た目通りの歳ではない。魔王封印の影響でこのような姿になっている」

『そんなことが……』

「それはさておき、かわいい子をいきなり召喚してしまい、申し訳なかった。クーロは残ると言っているが、そちらの決定に従おうと思って」


 シルヴィエがそう言うと、エルはクーロに視線を移した。


『クーロ、お勤めは楽しいか』

『はい!』

『そうか。では王子達が大きくなるまで寄り添い守ってやるといい』

『わかりました!』 


 クーロはそう答えると、シルヴィエの足元に戻って来た。


「いいのか? さびしくはないか?」

『ええ、だってほんのちょっとの間ですもの』


 フェンリルの寿命は約五百年。たしかに瞬きのような瞬間か、とシルヴィエは思った。


『シルヴィエ殿。この子を頼む』

「ああ」


 こうして一時のクーロの里帰りが終わった。


『ね、言ったでしょう?』

「ああ。いい家族だな」

『はい! はーおなかすいた! エリンにお肉を貰ってきます!』

「ああ」


 シルヴィエはそんなクーロの後ろ姿を眺めながら、もうこの世にはいない自分の父母のことを思い返していた。

 教会に入って、手紙でしかやりとりがなくなってしまった二人。

 一体どんな気持ちでそれをしたためていたのか。


「私を信じている……そういつも書いてあったな……」


 あの親フェンリルのように、自分の両親も送り出してくれたのだ。たとえ二度と会うことがなくても。

 そうシルヴィエも信じたいと思った。




 それからは静かな日がしばらく続いた。

 昼間は王子達の学業の為に勤しみ、夜は封印紋の研究をする。

 だけど休日はどこか気もそぞろで、無闇に掃除をしたり、薬草をひたすら煮込んでクーロに嫌がられたりしていた。


「シルヴィエ!」


 そんなシルヴィエのもとにやってきたのはカイである。


「どうした前触れもなく」

「いいだろ、別に。それよりも……聞いてくれよ」

「なんだ」

「玄関先で話す話じゃ……」

「面倒くさいな……じゃあこっちにこい」


 シルヴィエはカイを応接間に通した。


「エリン、カイと話があるからしばらく近寄らないように」

「はい、お師匠様」


 念の為にエリンにそう言いつけると、シルヴィエはカイの向かいに座った。


「で? もったいぶって一体なんの話だ」

「うん……」


 シルヴィエが促すと、カイは気まずそうな顔をして天井を仰いだ。


「ユリウス王子のことなんだけど……」

「その話は終わった話だ」

「いやまあ、そうなんだけど。って言うかシルヴィエに話すことでも無いかもしれないんだが」


 カイの口調はどうも歯切れが悪い。


「私のことを気遣ってるつもりか?」

「あー……うん。でも耳に入れておいた方がいいと思って」

「気にするな。言ってみろ」


 シルヴィエがそう言うと、カイは意を決したように、少し前屈みになって声を落とした。


「ユリウス王子に悪い噂が立ってる」

「悪い……噂?」


 生真面目な印象のユリウスとその言葉が重ならず、思わずシルヴィエはオウム返しに聞き返した。


「ああ、そうだ。その……若い人妻に片っ端から手を出していると」

「人妻!」

「しかもそれだけじゃ飽き足らず、愛人にまで口説き倒しているとか」

「愛人!」


 シルヴィエはカイから出てきた台詞の衝撃に文字通りひっくり返りそうになった。


「な、な、な、なんで……?」

「シルヴィエのことでヤケになってしまったのかもしれないって俺は思ったんだけど」

「そんな……」


 輝かしい将来を背負ったユリウスには、一時そんな女がいたなくらいの思い出にいつかなると思っていたシルヴィエはその言葉に息を飲んだ。


「まだ若いんだよ、ユリウス王子も」

「お前も大して変わらんぞ」

「まあ、あんたから見たらそうかもしれないけどな」

「それにしても、探し回られるくらいは覚悟していたが……そんな方向に振り切るとは」


 シルヴィエの中に罪悪感が芽生える。するとカイはすっとシルヴィエの頭を撫でた。


「シルヴィエ、噂は噂だ」

「しかし……」

「ユリウス王子がヤケになっていたとしてもそれは彼の問題。……なんだけどな。王もこれには驚いたようで、噂の真相を確かめて欲しいと言われた。だから俺はこの件に首を突っ込むけれど、悪く思わないでくれ」


 カイの優しい瞳の奥には申し訳ないような微妙な感情の色があった。


「カイ、それが言いたかったのか」

「まあな」


 シルヴィエはそれを聞いて自分の手をじっと見た。そしてギュッと拳を握ると、カイを見あげて言い放った。


「……私も手伝う!」

「シルヴィエ……でも……」

「もしユリウスが私のせいでこうなったのなら私に責任がある。手伝わせてくれ」

「しかたない……じゃあ、二人で王子の醜聞を晴らそうじゃないか」

「ああ!」


 カイが手のひらをシルヴィエに差し出す。シルヴィエはその手にパチンと小さな手を打ち付けた。

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