第19話 ため息の向こう
その夜、王城のある一室からは盛大なため息が窓の外に流れていった。
「リリー……」
その部屋はユリウスの寝室だった。ユリウスは出窓にもたれかかり、憂鬱げに眉をひそめて愛しいその女性の名を呼んだ。
「何度目だい。リリー、リリーって」
そんな彼の様子を見て思わず愚痴をこぼしたのは側近のパーシヴァルだった。
彼はユリウスの乳兄弟でもあり、こうして二人きりの時は臣下の仮面を剥いでいる。
「言いつけ通りにリリーという女性を探したがな、この城で働く者、出入りするものを含めて……居たのは一二歳の皿洗いの赤毛の女の子だけだったよ」
「たぶん偽名だと思う」
「だろうな」
ユリウスはまた再び窓の外に目をやった。
「あの子……」
昼間、ユリウスはリリーが居るはずもないのについつい裏庭に行ってしまった。
その時に現われた女の子のことをユリウスは思い返す。
あの銀髪に紫の瞳……特徴的なそれはリリーにそっくりだった。今思えば顔つきもそっくりだったように思う。
「あの子はリリーの娘なのだろうか」
「何? 娘がいるのか? だとしたら人妻か?」
ユリウスの呟きを聞きつけたパーシヴァルが前のめりに問いただした。
「でもどの夜会でも彼女を見た事がない」
「ふーむ……なら、表に出せないなにかがあるか……もしくは……」
「なんだ」
「愛人だ」
「なっ……愛人……?」
ユリウスはパーシヴァルの言葉に絶句した。
気の強そうな、凜としたリリーが誰かの愛人などとは、ユリウスはにわかに信じられなかった。
「だってそうだろう。公の場で姿を見ないということは、誰かがその彼女を隠しているに違いない。娘もいるとなれば、それはそれは溺愛しているのだろうさ」
「そうだろうか……」
ユリウスは眩暈を感じながら、パーシヴァルの言葉を聞いていた。
「ま、ならば好都合ではないか」
「どういうことだ」
パーシヴァルはユリウスの肩に手をやり、その耳元で小声で囁いた。
「火遊びなら人妻や未亡人、愛人と相場が決まっている。なにお前なら……」
「火遊びなどするつもりはない!」
ユリウスはバッとパーシヴァルの手をはたき落とした。
「……そう言うと思ったよ。生真面目なお前のことだ」
「悪い冗談は止してくれ」
「冗談のつもりはない。相手がそういった出自の人間ならば、そういう愛し方しかできないだろうと言っているつもりだ。お前はこの国の第一王子なのだから」
「……」
「よく考えろ」
そう言ってパーシヴァルはユリウスの肩を叩くと、部屋を出て行った。
残されたユリウスはうなだれて、いつまでも窓辺から動こうとしなかった。
「とにかく、リリーに直接聞こう。それからだ」
ユリウスはそう心に決めたが、それからリリーがあの裏庭の待ち合わせ場所に現われることはなかった。
『あるじー、あるじー』
「……」
『あるじっ』
「わっ」
『なにをぼんやりしているのですか? 今日はお出かけはしないのです?』
シルヴィエは本を読みながらぼうっとしていたみたいだった。
気が付くと足元にクーロがしっぽを振りながらシルヴィエを見あげていた。
「いや……その……。あ! そのなんだ、クーロはそろそろ親元に返してやらなきゃなぁと」
本当ならあの裏庭にいる時間だ。でももう行かないとシルヴィエは決めた。
それをシルヴィエはクーロにどう説明していいか分からずに、慌てて下手な言い訳をしてしまった。
するとクーロははっとした顔をする。
『えっ、ぼくはお役にたてなかったですか!! 返されてしまうのですか』
「いや、そうではなく……。クーロが居てくれて授業も進んでいるし助かってるよ。でもいきなり召喚してしまっただろう。両親が恋しくはないのか」
『ぼくはおうじさまたちがかわいいし、みなさんといるのはたのしいので』
「ふーむ」
シルヴィエがじーっとクーロを見ると、クーロはしゅんとして耳をたたんだ。
『たしかに……ママとパパが恋しい時もありますけど……』
「だろうな。私もそうだった」
『あるじもそんなことがあるのですか?』
「昔の話だ。ではどうだ、一度里帰りをするってのは」
『……! 本当ですか?』
シルヴィエがそう提案すると、クーロはちぎれんばかりに尻尾を振った。
「と、なれば早速行くか」
『急ですね』
「どうせ暇だし」
今頃、ユリウスは待ち合わせ場所でどんな顔をしているだろうか。気をゆるめるとシルヴィエはそんなことばかり考えてしまう。
それを振り払おうと、シルヴィエはクーロを抱き上げた。
「行こう」
『わんっ』
シルヴィエは転位の魔法陣を床にガリガリと書き込むと、大きなロッドを肩にその中心に乗った」
「草原を、谷を、河を、海を渡る風の精霊よ、この者の故郷まで疾く我らを運び給え。
『うわぁ!』
詠唱とともにロッドで床を叩くと、まばゆい光が魔法陣から発せられ、シルヴィエとクーロを包み混んだ。
『まぶしい……』
「さ、クーロ。着いたぞ」
そこは深い森の中だった。
『ほんとうにおうちに帰って来た!』
「この辺なのか」
『はい! こっちです!』
クーロはぴょんぴょんと飛び跳ねながら、森の小道を進んで行く。
「待って!」
『おそいですよー』
シルヴィエは躓きそうになりながら慌ててクーロの後をついていく。
すると大木が守るようにその根を這わした大きな白い建造物が見えて来た。
「あの祠か?」
『そうですよー』
クーロの嬉しそうな様子を見て、シルヴィエはふっと微笑んだ。
こんな風に笑ったのはいつ以来だろう。
『はやくはやく、あるじー!』
「うん、わかった」
ぴょんぴょんと跳ね回るクーロの後をついていくと、祠からなにかが姿を現した。
それは真っ白に輝く被毛の二頭のフェンリルだった。
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