ぐだぐだキッチン

スロ男

賞味期限切れの焼きそば


 せっかく作るのなら手早く簡単に、それでいてちゃんと食ったという満足感があるべきだ。

 そう、諫早誠人は考え、実践するに至った。齢五〇、娘の成人を機に嫁から三行半を突きつけられ、いまや賃貸の1K暮らし。下町の風情の残る横浜の商店街近くに居を構えている。

 折りしも離縁を求められる一ヶ月前、たまたま川沿いの桜がきれいだというので誘われた花見の地に、自分が終の住処を求めることになるとは思わなかった。

 そろそろ桜の時期だが、今年も缶ビールを片手に夜桜を楽しむぐらいで、きっと花見や宴会などに誘われたりもないだろう。

 マスクが解禁されたといっても下手すれば自分より年上ばかりがいるような職場で、単なる風邪じゃん、とうそぶく若者のような野放図さはありえない。

 それに。

 そもそも急な陽気に綻んだ桜たちも、強風と激しい雨に嬲られてはひとたまりもないだろう。


 さて。久々の休日の土曜日である。若い頃のようには惰眠を貪れなくなった諫早は、9時前には目を覚まし、昼までまだ間があるというのに腹の虫が鳴くのを聞いた。

 今日はドバイでもレースがある。できればその資金を日経賞(三歳は不確定要素が多すぎる)ででも稼げたらと思ってスマホを睨んでいたが、見れば見るほど下位人気の馬とはいえ来ないと断ずる根拠に薄く、決めかねていたのである。


「飯でも作るか……」


 一人暮らしでは独り言が増える。誰にともなくそういって冷蔵庫を開け、しなびた白菜と半欠けの玉ねぎ、それから冷凍の豚コマ(カナダ産、グラム98円)を見つけ、そろそろ使わないとゴミ箱行きだなと嘆息した。


 最近は物価高を買い物に行くたび感じる。全般値があがっていて、白菜は落ち着いた感があるがピーマンの値段があがったまま下がらないことに憤りを感じる。諫早はこのピーマンという、子供が嫌う野菜の筆頭にあがる緑色の物体が好物なのだった。

 賞味期限を十日も過ぎた焼きそばもあり、ピーマンとキャベツがあるのなら普通に焼きそばを作ってもよかったのだが、生憎と両方ともない。


「焼きそばがあって、白菜、となるとアレだよなあ……」


 諫早はフライパンに油を差すと弱火にし、白菜を内側からむしり(外からむしると無駄に育とうとして膨らむのだ)、テキトーに手でちぎり、玉ねぎをサクサクと切って、豚肉も冷凍のまま、ザク切りに。ニンニクがあれば入れたいところだったが、生憎スペイン産のニンニクは萎びて冷蔵庫のこやしになっていた。肉をパンに投げ込む。

 ある程度熱が通って肉がバラけるようになった頃合いで玉ねぎと白菜の芯近くの部分をぶっ込み、冷凍庫を開けると凍ったもやしがいたので、それもぶっこむ。


「あ。キクラゲのこと忘れてたわ……」


 ヤカンに少量の水を入れて最大火力。沸く頃にはあらかた火が通っていたので白菜の残りをぶち込み、火を止めて。お椀を取り出し、キクラゲをひとつまみ入れてから湯を注ぐ。

 皿を一枚用意して、フライパンの中身をあけるとクッキングペーパーで適当に鍋底を拭き、冷蔵庫から焼きそばを取り出す。

 賞味期限とはなんぞや? という哲学的命題からは目を逸らし、油を再び注ぐ。そこに焼きそばを投げ込んでから、調理にかかる前に一口だけ飲んだタコハイのことを思い出し、テーブルの上のショートホープを手にとって火を着け、タコハイと交互にやるうちぼちぼちよかろうということで焼きそばを菜箸で返す。

 崩れる。

 当然だ。崩れるのが嫌ならフライ返しを使うべきなのだ。だが崩れるのが構わないなら菜箸でいい。

 ショートホープの残りを吸い終え、灰皿に押しつけると、そろそろそばのコゲは気になるが火が通ってるかも怪しい、という頃合い。もっとも茹で麺なんて火を通さずとも食える。賞味期限を十日も過ぎてることを失念できるなら。


「料理酒は……ねえのかよ!」


 美味い酒は水に似る、という。これをして上善如水、という。ならば水でいい。

 割材に使う炭酸水(友桝飲料製)を冷蔵庫から取り出し、麺にぶっかける。菜箸でぐしゃぐしゃとやって、悪くはないな、と思えたのでもう一枚皿を取り出し、開ける。


 さて。肝心の餡のほうである。再び最初に炒めた肉野菜炒め様のものをフライパンに戻し、うっかり塩胡椒をするのを忘れていたのでグルタミン酸マシマシのアジシオコショーを三振りほどしたが、鶏ガラスープも創味シャンタンも切れている。


「うーむ。まあ、アレがあるからいっか」


 さらにシオコショーを二振りほどしてから、キクラゲの存在を思い出し、ふやけてクニュクニュの黒い物体を椀から取り出すと、包丁で千切りした。町中華などではわりとそのまま入ってたりするキクラゲだが、諫早は刻んである方が好みだ。

 パンに投げ込んで、それから戸棚から片栗粉を出すと、先程キクラゲの入ってた椀に目分量で白い粉の誘惑(という道徳的映画を、諫早は子供の頃に見せられたことがある)を入れ、これまた目分量で水道水を足して、ぼちぼち終わりの頃が近づいていた。


「そうそう、これがないとな」


 冷蔵庫から取り出したのはオイスターソース。クックドウの名を冠したそれは、ここに越してきた当初買ったもので、賞味期限などは考えたくもない代物である。

 が、使える。

 使えるのだ。

 生卵の賞味期限が切れたら食べてはいけない、等と考える若い奥様などは結構いそうだが、卵の賞味期限とは生卵で安全に食える期限、なのである。生食文化の強い日本ならではだろう。ましてや調味料、特に味噌などの発酵ものならば色は黒くはなるがことのほか長く使える。大丈夫。


 オイスターソース。


 旨い。


 旨味が強いし、特に中華餡系に使えば効果は抜群だ!


 味のベースがシオコショーしかないので普段より多めにオイスターソースをかけ回し、軽く混ぜてから火を止め、水溶き片栗粉。再び火を着け、強火にしてからクツクツと煮える餡をしばし眺め、皿にあけた焼きそばにかける。


 餡掛け焼きそばの出来上がりである。


 タコハイの残りを飲み干し、冷蔵庫から宝焼酎缶チューハイのドライを取り出し、テーブルに餡掛け焼きそばと缶を並べて、いただきます——する前に、忘れてはいけないのは酢と辛子である。ウスターソースでいくのは本場風を謳うメニューのある居酒屋にいったとき、金蝶ソースをちゃんと用意してある時だけである。


 一口食べてから、諫早、


「ごま油使うの忘れてたわ……」


 スマホのNET競馬で毎日杯(結局、わからなくても買う)の出馬表を眺めながら、侘しくも楽しい食事を終え、ご馳走様、と呟いた。


 ドバイでの開催があることをすっかり忘れ、思い出したのは夜8時を過ぎてからだった。明日は仕事だというのに、諫早は早めには眠れないのだった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る