episode5 有耶無耶
第2多目的室の近くに来るとギターの音が聞こえてきた。カネコアヤノの『光の方へ』。文化祭のステージで歌うらしい。扉の前に来ると、地声より少し低い歌声が聞こえてくる。扉を開くと、ヒマリさんが気持ちよさそうに歌っていた。俺を見ると柔らかく
「おつかれ。それじゃあ、行こっか」
体育館のステージ前で早川千尋や
「遅いっすよ。何やってたんすか?」
「うん、ちょっとね」
どうやらギターを弾いていたことを言うのが気恥ずかしいらしい。元々秘密の趣味だったらしく、ヒマリさんギターが弾けるのはサイコー新聞部のメンバーしか知らないようだ。
「皆、台本は読んできた?」
「バッチリですよ」
今回の劇の台本を書いたのはチヒロ。最初はヒマリさんが書くはずだったのだが、ヒマリさんの台本は文化祭の劇にしてはあまりに陰鬱な内容だったので却下されたのだ。内容があまりに暗かったので、心配した俺たちは、ヒマリさんのために、お菓子を持ってくるだの、肩叩きをするだの、あの手この手でもてなしたものだ。本人は急に親切になりだした俺たちに戸惑っていたが。
「よし、じゃあやってみよう。どうせ素人の劇なんだから、あまり気張りすぎないようにね」
俺たちはステージに上がり、劇の練習を始める。劇の名前は『新シンデレラ』。ヒマリ姫とシオン王子は恋仲にあった。しかし、タイセイ皇太子とケイタロウ王子の策略に
「シオン王子、私に新しい名前をください。ヒマリ姫はもう死にました。いま
「でしたら、こんな名前はどうでしょう? シンデレラ。
「なんと素敵な名前。これからはシンデレラとして
「さあ、今なら誰も見ていませんよ」
俺はヒマリさんの肩を抱き寄せると、彼女の小さな
「はい、カット! シオン、何やってるんだよ」
「だって、しょうがないだろ! っていうか、ヒマリさん近づき過ぎです。下手したら当たりますよ」
「そう? 事故で唇が当たるぐらい、私は気にしないけど」
「俺が気にするんです!」
ヒマリさんを意識しすぎてまともに役が演じられない俺を、生徒会の一年生たちは呆れた顔で見ている。そんな顔で見ないでくれ。
「あんまり下手な演技してると、俺が代わっちまうぜ」
「シオンはもう少しヒマリさんに耐性つけないと駄目だな。二人でどこか遊びにでも行って距離を縮めたらどうだ? ちょうど明日は土曜日なんだし」
「それって……」
それって、デートじゃないか!? 俺がヒマリさんの方を見ると、ヒマリさんは
「シオン、明日空いてる?」
俺は迷わず首を縦に振った。その様子を見て、清水と隅田は顔を背けてクスクスと笑った。ちらとチヒロの方を見ると、少し不満そうな顔で
名古屋駅の金時計前で待っていると、入口から集団の中でひときわ小柄な少女がこちらに駆けてきた。
「お待たせ。待った?」
「いいえ、全然」
嘘だ。もう30分は待っている。なんとしてでも先に着くのだという一心で、出来るだけ早く家を出たのだ。ちなみに今は集合時間の15分前。やはり真面目なヒマリさんらしく集合が早い。
それにしても、と思いながらヒマリさんの容姿をもう一度見た。制服姿のヒマリさんも素敵だが、私服姿のヒマリさんは想像以上に可憐だ。おろされた長く
「その……変、かな?」
「変じゃないです! すごく、その、素敵です!」
必死に褒める俺を見て、ヒマリさんはフフッと笑った。小さく「ありがと」と言い、軽快に駆け出して行くと、振り返り俺に笑いかけた。
「さっ、行こ」
地下鉄を乗り継ぎ向かったのは名古屋港水族館。俺もヒマリさんもここに来るのは小学校の社会科見学以来だ。俺たちは童心を思い出しながら水族館をの中を回っていく。
「チンアナゴ、かわいい」
どうやらヒマリさんはチンアナゴがお気に召したらしい。水槽の前で顔を緩めている。俺はというと、チンアナゴに夢中になっているヒマリさんに夢中になっている。正直、水族館ではしゃぐヒマリさんは、さっき見たイルカよりも愛らしかった。
「ねえ、次どこ行く?」
興奮しながらヒマリさんは俺に
「そうですね……ペンギンはどうですか?」
「ナイスアイデア!」
前を歩くヒマリさんにまるで保護者のようについていく。ペンギンの水槽に到着すると、ヒマリさんは水槽の前に駆け出し、ペンギンを熱心に眺めた。
「やっぱり一番はペンギンだよね」
可愛らしいペンギンを前にご満悦のヒマリさん。俺が少し後ろでペンギンとヒマリさんを見ていると、突然なにかを絞り出したような音がした。
「もしかして、お腹空きました?」
ヒマリさんは顔を真っ赤にして頷いた。
フードコートで昼食をとりながら、俺たちは水族館の感想を共有する。ヒマリさんは身振り手振りを交えながら熱心に説明した。俺は頷きながらヒマリさんの話を聞く。話が一段落したところで、俺はずっと気になっていたことを
「それにしても、どうして今日は俺と一緒に遊ぶことにしてくれたんですか? 隅田だって半分冗談で言ってたと思いますし、断ろうと思えば全然断われたとはずですけど」
真剣な顔の俺に、ヒマリさんはあっけらかんと答える。
「どうしてって、楽しそうだったから」
楽しそう。それは水族館が楽しそうだったのか、俺とのデートが楽しそうだったのか。それとも、単純に仲のいい後輩と遊ぶのが楽しそうだったのか。なんだかヒマリさんにからかわれているような気がする。苦い顔を浮かべる俺を気にせず、ヒマリさんは横を見ながら話し続ける。
「私、アカネちゃんやコーセーくん以外の人とこんなに遊んだの、すごく久しぶり。昔はお姉ちゃんとよく遊んでたんだけどね」
ヒマリさんの横顔に哀愁が漂っている。瞳の奥に寂しそうな色が見える。
「だから、なんだか今日はずっとフワフワしてる。楽しいはずなんだけど、体がその楽しさについていけてないっていうか。だから変なテンションで、はしゃいじゃった」
彼女は俺の方を見ると照れくさそうに笑った。俺は、ずっと突っかかっていたものがとれたみたいな、そんな感覚を覚えた。そうか、この人は戸惑ってるんだ。一年前不意に現れた悲しみに。そして、その悲しみを拭おうとする幸福に。きっとヒマリさんは、俺が自分のことを好きなことに気づいてる。そして、多分俺の気持ちを突っぱねるつもりもない。ただ、突然向けられた好意を受け取っていいのか、よく分からないのだ。迷う必要はない。ただ光の方へ歩きだせばいいだけなのに。俺は膝に乗せた拳を強く握りしめた。
「ヒマリさん、俺の前では好きなだけはしゃいでください。俺は楽しそうにしてるヒマリさんが好きです」
ヒマリさんは少し驚いたような表情を見せたが、すぐに口元に笑みを浮かべた。
「ありがと。私はいい後輩を持ったなぁ」
後輩。これが今の距離感。ヒマリさんが選らんだ距離だ。でも、ここで終わりたくない。いつかこの人を光の方に引きずり出してやる。俺は決意を胸に宿しながら、ヒマリさんに
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