第拾話 人間の皮を被る女神と猫を被る女

 3学期が終わる少し前、ライブハウスに行くとミドリが控室でしおれていた。なんかデジャヴだなぁ。

「まーたマシロと喧嘩したの?」

 ミドリはゆっくりと首を振った。どうやら違うらしい。喧嘩ではないとしたら……

「『屋上事件』のこと? あれは私たちにはどうしようもないでしょ。それにこの前皆で『マシロを励まそうの会』したじゃない」

 ある日、約束通りカラオケに行くと、マシロが唐揚げをヤケ食いしていた。話を聞くとマシロは膨れっ面で『屋上事件』のあらましを説明した。私たちが大慌てで慰めようとするとマシロは思わず吹き出した。

「みんな、大袈裟おおげさに捉えすぎよ。ただ好きな人に振られただけのことじゃない」

 振られたではないと思うのだが、本人がそう言うなら仕方がない。私たちは彼女のヤケ食いとヤケカラオケに付き合ってやった。

「ゲンヤとか言う奴のことはもういい。本当はぶん殴ってやりたいけど。問題はいじめの方」

「いじめ? そのゲンヤとか言うチキン野郎が自分でケツ拭いたって話じゃなかったの?」

「表面的にはね。裏では地味に続いてるみたい」

 まあ、目につくところでいじめはしないわな。なんとか救ってやりたいところなんだが、学校が違うんじゃどうしようもない。

「それにしても、マシロはなんで少しも抵抗しないのかね。まるでサンドバッグじゃん」

「さあ……私が聞いてもはぐらかされちゃって、全然分かんないだよね。単純に気が弱いからかもしれないけど」

 たしかに、学校でのマシロはチキンガールらしいし、ビビって抵抗できないというのもあるかもしれない。

「まあでも、3学期ももうすぐ終わるし、クラスも変ればいじめも終わるっしょ」

「うーん……」

 ミドリは不安そうな顔でうなずいた。


 ある日、私は彩雅高校の近くの公園でマシロを待っていた。今日はミドリが忙しく、バンド全員で会うことができないので、それなら私が個人的に誘ってやろうと考えたのだ。今まで二人っきりで遊ぶことはほとんどなかったが、ミドリが大阪に行けば、恐らく頻繁に遊ぶことになるだろう。だから今のうちに二人っきりに慣れておこうという算段なのだ。

 しばらく公園のベンチで往来を眺めていると、ポニーテールでメガネの少女がこちらに走ってきた。

「お待たせ、待った?」

「いんや全然。っていうか、ふーん。マシロって学校じゃあこんな感じなんだ。ミドリの言ってた通りなんか地味だね」

 私がマシロの格好をめ回すように見ると、彼女は顔を赤くして恥ずかしがった。

「ちょっと、そんなに見ないでよ。前日に連絡くれたらもうちょっとマトモな格好してきたのに」

「あれ? でもミドリに言われて学校でもコンタクトするようになったんじゃなかったっけ?」

「そうなんだけど、以来、クラスでもできるだけ目立ちたくなくて……」

 まあ、コンタクトにしたお陰で野球部のエースとやらにれられちまったんだもんな。地味な感じのクラスメイトがある日メガネからコンタクトに変えて、それでこんなにつらがいいんだから、思春期の男どもからしたられるのは当然か。

「そういやミドリから聞いたよ。まだいじめ続いてるんだって? 飽きない奴らだね」

 マシロは気まずそうな顔をしながらわずかに頷いた。

「ちょっとね。でも、そんなに大したことはされてないわ。少なくとも教室に席はあるし」

 多分この表情から察するに、けっこうエグいことされてんな。まったく、強がりやがって。

「私がイジメてる奴の胸ぐらつかんでシメてきてあげよっか? それか先生にチクるとか」

「いや、いいわよ。貴女に変な噂が立っちゃうでしょ?」

「別に私は気にしないよ?」

「私が気にするのよ」

 相変わらず思いやりの塊みたいな奴だ。本人はそうは振る舞わないが、根っこのところは超がつくほどのお人好しだということを私は知っている。やれやれ、私の出る幕はなしか。

「そんじゃ、カラオケ行くかね。いい歌聞かせてくれよ。ボーカルさん」


 予想通り、ミドリが大阪に引っ越すと、私とマシロの距離はぐっと縮まった。待ち合わせ場所はいつもあの公園。そこからカラオケに行ったり行かなかったり。いずれにせよ、彼女から学校の話を聞くのはお決まりだった。

「最近はどう? クラスが変わって2週間も経つし、いじめもだいぶマシになったんじゃないの?」

「うん、そうね。お陰で最近、楽しく登校できてるわ」

 そう言ってマシロは微笑ほほえんだ。不器用な笑みだ。まだいじめは続いてんだな。まったく、しぶとい奴らめ。

「そうかい。そりゃあ目出度めでたいこった。目出度めでたすぎて胸糞むなが悪くなってくる」

 私が青筋を立てるとマシロは苦笑した。

「そんなに顔しないで。かわいい顔が台無しだわ」

 ねぇ。親友がいじめられて腹を立てるぐらい普通のことだと思うんだけどなぁ。この調子じゃいじめは一向に解決しないし、今度ミドリに相談するかな。

「それより、早くカラオケ行きましょ。私の喉が『歌いたい』ってうるさいのよ。早く歌わないと、私の喉が元気がなくなってちゃうわ」

 そう言ってマシロは私の手を引いた。

 その日の夜、私はミドリに電話した。いじめがまだ続いていることを伝えると、ミドリは憤慨した。

「クソ、そっちにいたら、一発鳩尾みぞおちに決めてやりたいんだけど。やっぱり引っ越す前になにか手を打っとくべきだったか。先生にチクるのがベストなんだろうけど」

「大丈夫。私が代わりに動くよ。明日、彩雅の先生にいじめを報告する。そっちのほうがアイツらにとってはでしょ?」

 ミドリは大きく息を吐いた。

「うん、そうだね。頼んだ、モエ」

「任せなさいな。アンタの相棒は、私がサクッと救ってきてやんよ」

 私は翌日の夕方、校門で誰か先生が来るのを待っていると、誰かが声をかけてきた。

「モエ?」

 しまった。マシロだ。本人には内緒で告発しようと思ってたのに。

「私を待ってた……わけじゃないよね。もしかして」

 仕方ない。本人を説得されるしかないか。

「マシロ、もう我慢しなくていいんだ。もうすぐ全部解決する。だからアンタは家に帰って……」

「やめて!!!」

 私は思わずたじろいだ。マシロにこんなに大きな声で怒鳴られたのは初めてだった。彼女は肩で息をしながら、私をにらみつけていた。私が目を丸くしているのに気づくと、彼女は申し訳なさそうな顔をした。

「ごめん、大きな声だして。でも、大丈夫だから。私が自分でなんとかするから。だからお願い。手を出さないで」

 マシロは深々と頭を下げた。意志は相当固いようだ。私は大きくため息をついた。

「分かったよ。でも、そうだな……ゴールデンウィーク明けの5月8日までになんとかならなかったら、止めても言いにいくからな。分かった?」

 マシロはホッとした顔でうなずいた。


 マシロは、5月7日に自殺した。


「ミドリが『私のせい』とか言ってたのは、多分これのことだ。まったく、うちのバンドの奴らは優しい奴ばっかで困るよ。これで分かったろ。マシロを追い詰めたのは、アイツをいじめてたやつと、それと私だ」

 自嘲気味に笑うモエさんの姿はミドリさんと少し重なって見えた。ヒマリはやはり首を横に振る。

「ううん、モエ姉は悪くない。むしろ、お姉ちゃんのために行動しようとしてくれた。立派だよ」

 モエさんは小さく笑ってみせた。

「あんがと。アンタもあんまり自分を責めるなよ。私もミドリも、いじめのことは死んでもアンタに言うなって言われてた。もう時効だから言うけどさ。だから、アンタも悪くない。な?」

 ヒマリは唇を固く結びながら何度もうなずいた。


「これで、だいぶ分かったわね」

 アカネが上体を反らせながら身体を伸ばした。ヒマリはタブレットを操作しながら応える。

「そうだね。ミドリお姉ちゃんが嘘をついたのは、お姉ちゃんがいじめられていたことを伝えたくなかったからかな? お姉ちゃんにも言うなって言われてたみたいだし」

「でも、モエさん言ってただろう? 時効だって。どっちかって言うと、モエさんをかばいたかったんじゃないかな? 引っ越したせいで、モエさん重責を負わせてしまったことを負い目に感じていたのかもしれないよ」

「なるほど、たしかに」

 ヒマリは納得した様子でうなずく。

「で、最後は誰なの?」

 アカネはタブレットの画面をのぞき込みながらたずねる。

「生徒会の先輩で元生徒会長の藤原紬ふじはらつむぎ先輩。お姉ちゃんとは3年生で同じクラスだったみたい」

「そういやアンタ、生徒会もやってたわね」

 なるほど。クラスメイトならいじめのことについても知っているかもしれない。

「品行方正、成績優秀、文武両道、才色兼備。私の憧れなんだ」

 僕も集会で彼女を見たことがあるが、長身で凛々しいショートカットの美人で、まさに生徒会長という感じの人だった。まさに、女神が人間の皮被っているような感じだ。ヒマリが憧れるのも無理はない。

「それじゃあ、繋ぐね」

 ヒマリがタブレットのボタンを押すと、すぐに画面に藤原先輩の顔が映った。

「ヒマリさん、こんにちは」

「藤原先輩、こんにちは。わざわざお時間をつくっていただきありがとうございます」

「いえいえ、構わないわ」

 『優等生ヒマリ』を久しぶりに見た気がした。生徒会でもやはり猫を被っているようだ。

「紹介しますね。サイコー新聞部の先輩で、えっと……」

「ペットの中村茜と原田康青です」

「ペット?」

「アカネちゃん、お座りしてて」

 部活の先輩に絶対零度の目を向けるヒマリを見て、藤原さんは呆気にとられているようだった。ヒマリの素を初めて見たのだろう。

「えっと、その、仲がいいのね」

 我に返ったヒマリは顔を真っ赤にして慌てだした。僕はヒマリの肩を持って藤原さんに微笑ほほえみかけた。

「ええ、すごく仲がいいんです。ね、ヒマリ?」

 ヒマリは縮こまってうなずいた。一つ咳払いをする。

「その、今日はおね、姉の話を伺いたくてお呼びしたんです。藤原先輩と姉はクラスメイトだったとお聞きしました」

「ええ、そうよ。でも私、ヒマリさんのお姉さんとはあんまり仲がよくなかったから、あまり大した話は出来ないと思うわよ」

 藤原さんは申し訳なさそうな顔でこちらを見た。この様子だと、もしかしたらいじめのことも知らないかもしれないな。

「とんでもありません。少しでもお話が聞ければ、それでありがたいんです」

「そう? じゃあ、つまらない話かもしれないけれど、話せる限り話せるわね」

 藤原さんは背筋を伸ばすと、はっきりとした口調で話し始めた。



 


 





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