第弐話 彼氏と妹

 銀時計の前には、低い身長に不釣り合いな大きなギターケースを背負った少女が一人佇たたずんでいた。

「ヒマリ、おはよう」

 僕が手を挙げると彼女は元気よく手を振った。

「随分と大きな荷物だね」

 僕がギターケースを指差すとヒマリは恥ずかしそうに頭をいた。

苅谷かりやさんが、『ライブが終わったら一緒に弾こう』って言うんです。弾くのはいいんですけど、ギターケース背負って歩くのはちょっと恥ずかしいですね」

 苅谷さんというのは、マシロ先輩の友人で、今回のライブに出演するギタリストのことだ。今年の3月までは名古屋にいたらしいのだが、親の転勤で大阪に引っ越したらしい。

「ところで、その……アカネは?」

 僕がそう言うと、ヒマリはため息をつきながらスマホの画面を見せた。


アカネちゃん ヒマリー、暇だからあと5秒で来て

       ー。30分も前に来ちゃって、もう退 

       屈で死にそうなのよ。5、4…

ヒマリ    え? アカネさん、今どこですか?

アカネちゃん あっ、ごめん、金時計と間違えた

ヒマリ    5、4…

アカネちゃん ちょ、待って! すぐ行くから!


「あれから2分は経ってますね」

「アハハ、まあ、そんなに距離はないし、すぐ来るさ」

 そう言うと、遠くからアカネがトランクを引きずって走ってきた。こんなに慌てているアカネは久しぶりに見た。

「ハア、ハア……わ、私が一番乗りね。皆、遅いわよ、まったく。ハア、ハア」

「それが言いたかったから、僕と一緒に電車に乗らなかったんだね」

 同じ電車に乗ろうと誘っても頑なに断られたときは嫌われたんじゃないかと思いヒヤッとしたが、まさかこんなにくだらない理由だったとは。電車に揺られながら調べた「彼女 復縁 方法」という検索履歴を今すぐ消したい……

「ほら、早く行きますよ。3番乗りさん」

 ヒマリは冷めた顔で改札に向かう。

「コーセー、ヒマリが冷たいー」

「駄々こねてないで行くよ。ドベ子さん」

「コーセーまで!?」

 アカネは悄然しょうぜんとしながら改札に向かう。これくらいの仕返しをしたって罰は当たらないはずだ。改札を抜けたヒマリが小さく吹き出した。


 新幹線に乗るとアカネはすぐに寝てしまった。一番乗りをするために頑張って早起きしていたようだ。まあ、その努力は水の泡になってしまったのだが……

「幼稚園児みたいな寝顔」

 ヒマリが悪戯いたずらっぽく笑う。たしかに高校生には見えないほど気の抜けた顔で寝ている。どちらかというとクールな顔立ちのアカネだが、寝顔はとても愛らしく見える。僕は顔にかかった髪の毛を優しく払った。

「やっぱり彼女の寝顔は格別ですか?」

 ヒマリがニヤニヤしながら聞いてくる。ここ数週間で分かったことだが、ヒマリは意外と人をイジるのが好きな性格のようだ。それに、わりと辛辣しんらつ

「まあ、それなりにね」

 僕が苦笑いしながら言うと、ヒマリは少し不満そうな顔を見せた。ヒマリが僕の顔をじっとのぞき込む。

「コーセーさんって、本当にアカネさんのことが好きなんですか?」

「へ?」

 意外な問いを喰らって目が点になる。

「そりゃあ、まあ、好きだけど」

「そうは見えませんけどね」

 ヒマリは検察官が被告人を問い詰めるみたいに僕に迫ってくる。

「どういうこと?」

「つまり、コーセーさんの愛は受動的すぎると言っているんです」

 受動的……たしかにそうかもしれない。アカネはあれでけっこう僕に甘えてくるが、僕の方からアカネに働きかけることはあまりない。アカネの愛に応えるだけの愛。まさに受動的だ。

「In the end, the love you take is the equal to the love you make.」

 流暢りゅうちょうな英語だ。さすが期末考査学年一位の秀才。

「『つまるところ、なんじが受けし愛は、なんじが与えし愛に等しいのだ』。私の好きな言葉です」

「つまり、僕は強盗ってこと?」

「罪を責めているのではありません。ただ、タダで食べる飯はそんなに美味しくないということです」

 なるほど。アカネから一方的に愛されているだけでは、彼女の愛を十分に受け止めていることにはならないということか。僕はもう一度アカネの顔を見た。小さくいびきをかいて快眠している。人の気も知らないで。僕は一つ大きなため息をついた。

「彼氏って、難しいなぁ」

 項垂うなだれる僕を見て、ヒマリは小さく笑った。


「ところで、そろそろ本題に入らないか?」

「本題?」

 ヒマリがキョトンとした顔をする。

「単にチケットが余っていたから僕らを誘ったわけじゃないんだろう? あのチケットはマシロ先輩が自殺の一週間前に君に渡したものだ。ただ不要になったから渡しただけとは到底とうてい思えないね」

 ヒマリは引き締まった顔でうなずいた。

「『屋上事件』で全て片が付いたと思いたいところなんですが、そうもいかないんです。貰ったチケットは3枚。1枚なら分かる。姉の分を私が譲り受ける。至極単純です。でも3枚となると話は違う。姉はどうして2枚も余分にチケットを貰ったんでしょう? 私には、この3枚のチケットが、コーセーくんとアカネちゃんと一緒に大阪に行ってこい、という、姉からのメッセージのように思えるのです」

「大阪に行ってこい、というより、苅谷さんに会ってこいということだろうね。苅谷さんは、マシロ先輩の自殺についての何かを知っているんだ。どんなことかは、全く検討がつかないけどね」

 そう言って僕は窓の外を眺めた。外は小雨が降っていた。田舎道を傘をさした人が歩いている。小さな雨粒が窓に点々と打ち付けられる。僕は静かにシャッターを下ろした。

「それにしても困った姉です。私たちにメッセージを一方的に与えて、自分は勝手に永眠しちゃうんですから。こっちの気持ちも少しは受け取ってほしいものです。本当に、人の気も知らないで」

「妹も難しそうだね」

 膨れっ面のヒマリを見て、僕は小さく笑った。


 




 




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