第13話 すべて話したら助けてくれますか

 アンフィライト公爵令嬢として役割を果たしながら生きているティアナは、異性に縋りつかれたうえに地に額をつけて懇願される、という奇特な経験をしたことなど一度もない。


 混乱していたレオン同様に、ティアナもまた混乱し、ふたりはジョシュとマリアに尋問塔特別接待室へと連行された。


 ティアナが冷静さを取り戻したのは、特別接待室の座り慣れた椅子へ座り、マリアが淹れる香り豊かなお茶の匂いを嗅いでから。

 気づけば目の前に座るレオンの、怒りと動揺で震えながら訴える声をティアナの耳が拾っていた。


「……兄さんが、僕の目の前で連れ去られたのです」


 ティアナはレオンの嘆きを聞きながら、美しい花と果実が描かれたティーカップとソーサーを持ち上げ、紅茶ブラックティーをひと口飲んだ。

 連れ去られた、ということは誘拐か。

 ジョシュがいながら、なんてこと! ちょっと職務怠慢じゃない? 取立人の名が泣くわよ!

 ティアナは隣に座る黒髪の青年ジョシュへ厳しい視線を投げる。


「ジョシュ、どういうこと?」

「すまない、ティアナ。レオン卿のいう通りだ。レオン卿からファラー子爵家の羽振りがいい理由を聴取していた際に誘拐された」


 ジョシュは開き直っているのか、自らの失態を素直に認めた。

 もう少し言い訳したっていいんじゃないの。

 無言で睨むティアナに、ジョシュはすました顔で紅茶を飲む。

 そんな端的な結果しか告げなかったジョシュの言葉を継いだのは、レオンだ。


「父がちょうど外出中でしたので、こんな好機チャンスはない、と紋章官殿に話を聞いていただいていたところに、全覆兜フルフェイスの騎士が兄を……僕が兄さんから目を離した隙に……クソッ」


「ん? 待って、レオン卿。あなた、どうしてファラー子爵を売るような真似を? それとも、子爵家のお金はまっとうな商売をして得たお金でしたか?」

「すべてお話したら、兄さんを助けてくれますか」


 そう答えたレオンの目は完全に据わっていた。感情の起伏を感じない平坦な声だ。


 ——質問の答えになってない!


 ティアナは引き攣りそうになる頬を微笑みで上書きし、レオンを諭すように柔らかな声で言った。


「警察隊へ連絡はしたの? わたしは紋章官であって、誘拐された公子を救い出すような任務を請け負うことはいたしません」

「……嫌だ。警察隊は当てにならない」


「王都の、それも貴族街で起こった犯罪です。警察隊への通報は市民の義務では?」

全覆兜フルフェイスの騎士を動かせるのは、高位貴族だけです。彼らには無理だ」

「いや、ですからね?」


 ふい、と視線を背けるレオンの姿に、上書きしたはずのティアナの微笑みにヒビが入る。

 レオンはセイリオスよりも背も体格もいいけれど、弟なだけあって子供の癇癪ような言動を抑えきれていない様子が見て取れた。


 ——図体ばかり大きな子供は、これだから!


 普段の生活と職務柄、子供と接することのないティアナは、つまり、子供の扱いに不慣れなのだ。


 ——ああ、もう。大人を真似して変に取引をしようとするから、タチが悪い!


 募る苛立ちを微笑みの下でどうにか抑え、ティアナは頭をフル回転させて打開策を練る。頭脳が弾き出した答えは、接客の専門家マリアに委ねることだった。

 そうと決まれば、ティアナの行動は早い。

 ティアナは背筋をスッと伸ばし、ティーワゴンの側で待機していたマリアと視線を合わせる。


「マリア、お願い」


 ティアナの降参ギブアップ宣言に、マリアがニコリと笑って頷いた。

 そうしてレオンが座る椅子の元へ向かうと、そっと膝をついて彼を見上げる。


サー、少し落ち着きましょう。紅茶ブラックティーをお飲みになられますか? 一緒に焼き菓子ビスケットはいかがでしょう。サックリとした軽い歯応えが、紋章院でも人気ですよ」


 マリアの白く柔らかな手がレオンの膝にそっと触れた。

 成人済みの男性貴族なら、マリアのその大胆な行動に驚き、動きを止める。

 けれどレオンには効果がない。

 首を激しく横へ振り、レオンはまるでマリアなど視界に入っていないかのように絶叫した。


「お茶など飲んでいる場合ではないんだ! 兄さんを……兄さんを連れ戻さなきゃ!」

「お兄様は誘拐されたのではないのですか? サー、心当たりがありますね?」


「ある。あるに決まっている! あいつら、兄さんの不遇振りを知っていたくせに、成人になるまで放っておいたんだ。そんな奴らに兄さんを任せられるわけがない!」


 レオンが胸の内に秘めていた怒りと苛立ちを爆発させた。

 顔を真っ赤に染めてキツく拳を握ってうつむき震える様は、年相応の姿に見える。


 ——そうね、そうだわ。成人になるセイリオス卿よりも年下なのよね。背も高いし、体格もいいから忘れてしまっていたけれど。


 ティアナが冷静にレオンを見つめるかたわら、マリアは聖女のような眼差しでレオンの手を取り、柔らかな声で促してゆく。


「あいつら、とは、どのような方々でしょう?」

「公爵家の奴らだ。父はグレバドス公爵家から金を得ていた。臣下の家を支援する、なんて綺麗事を言っていたけど、グレバドス家はファラー家以外の家臣に金銭的な支援をしたことなどない」


「ファラー子爵家が、なにか特別だったのですか?」

「特別なのは兄さんだ。兄さんがいたから公爵家は狩猟場の整備と保持しか取り柄のないファラー家なんかに支援をしたんだ」

「お兄様は特別な方なのですね」


 マリアのそのひと言に、レオンがカッと目を見開いた。

 レオンはようやくマリアを意識の内側へ入れたらしい。マリアの手をぎゅっと握り返して目を輝かせはじめた。


「そうだ、特別なんだ! 兄さんの青く澄んだ眼が、燃えるような真紅に輝く瞬間ときは、本当に綺麗だ。魔力量だって、高位貴族に引けを取らないほど多い。それなのに……」

「それなのに……どうされたのでしょう?」


「それなのに、父と母は兄さんを虐げて……、魔力暴走を抑えるためだなんて詭弁まで使って……。あんな綺麗なひとを傷つけることができるなんて、信じられないよ! 僕は……僕は……いつだって兄さんを助けられなかった……!」


 そう叫びながらレオンの翡翠色をした両眼から、ボロボロと大粒の涙が流れる。それをマリアが優しく抱きとめ、背中をさすって柔らかく囁いた。


「辛かったですね。あなたも、お兄様も」


 そのひと言が欲しい言葉だったのか。それとも、優しく労われたことで心のたがが外れただけか。

 レオンはマリアの腕の中で、子供らしく泣き崩れたのであった。





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