第8話 わたしも親なしで産まれたわけではないので

「ファラー子爵。あなた、あの大紋章が誰から贈られて来たのか、本当は知っているでしょう? なにを隠しているの、贈り主に不義理なことでもしたのですか? それとも、なんらかの違法行為?」


 青く輝く血縁符号コードを握り締め、ティアナは背筋をピンと伸ばしてファラー子爵を問い詰めた。


 未登録の大紋章と照合した血縁符号コードが青。ということは、セイリオスには確かに高貴なる血青い血が流れている貴族子息ということだ。


「セイリオス卿の髪と大紋章を照合しました。わたしの手が青く輝いていますね? あの大紋章を贈った家門の一族と血縁関係があることを示しています」

「あ、あの大紋章は未登録なんじゃないのか!?」


「紋章鑑への登録が済んでいないだけのこと。こうして反応があるということは、血縁鑑定用の事前刻印が済んでいる証。それができるだけの権力と財力がある、ということです」

「な、なにが言いたい!?」


 青いのか赤いのか、複雑に入り混じった顔色でファラー子爵が怒鳴った。

 子爵が大声を出してティアナを威嚇するのは、今の居心地のいい地位ポジションを脅かされることが怖いから。

 子爵が声を大きくすればするほど、ティアナの頭の芯は冴えてゆく。


「あの大紋章を作ればと指示した方は、確実に高位貴族です。子爵、どなたか心当たりがあるのでは?」

「し、知らん!」

「そうですか。では子爵家の財務状況を紋章院で調査しても?」

「紋章院に、そんな権限があるのか!?」


 ティアナに食ってかかる子爵の前に、ジョシュが出た。

 壁のように立ちはだかり、紳士的な微笑みビジネススマイルを消した顔で子爵を見下ろす。


「ありますよ、子爵ロード。紋章院は国王陛下直轄の機関です。我らの取立てた金は、すべて国庫に納められます」

「……ぐッ、そんな馬鹿な話があるか!」

「もう少し、王国の仕組みについて学ばれては? 狩猟と社交だけが、貴族が生き残るための方法ではありませんよ」


 子爵からティアナを守ろうと、冷淡に告げるジョシュの背中が頼もしい。ティアナがアンフィライトの姓を名乗る前から、ジョシュはずっとティアナを守ろうと尽力してくれる。


 ——本当に、過保護なんだから。


 ティアナが柔らかく目を細めてジョシュの背中を見つめていると、ファラー子爵邸の立派な玄関扉が大きな音を立てて開かれた。


 夕方間近の夏の日差しを背負って現れたのは、ひとりの使者だ。紋章院が抱える伝達専門の使者。

 彼はラステサリア王立紋章院を示す陣羽織サーコートを纏い、目深に被った帽子ハットから覗く目を鋭く光らせ周囲を見渡す。


 左右に振れる首が止まったのは、ティアナと視線が合ったから。彼はティアナを真っ直ぐ見つめると、よく通る声で朗々と告げた。


「ティアナ・アンフィライト中級紋章官様! 紋章院より伝達です。至急戻られたし、ファラー家依頼の大紋章の鑑定審査は現時刻を持って中断せよ。……以上であります!」


 伝達使はそれだけ告げ、背筋を正して美しくも凛々しい敬礼をすると、早々に子爵邸を立ち去った。

 その背中を見送るティアナの手と足は、細かくブルブル震えていた。顔色だって青褪めて、ジョシュが支えてくれなかったら立っていることもできなかったかもしれない。


「う、嘘でしょ……わ、わたしの大紋章が……」


「ティアナ、お前のものじゃない。……仕方がない、紋章院に戻るぞ。——子爵ロード、本当に運がよろしいですね。あの大紋章を登録したくなりましたら、いつでもこのジョシュ・デューラーをご用命ください。飛んで参りますので」

「も、もう二度と顔を合わせることはない! は、はやく帰れ、帰ってくれ!」


 慇懃無礼なジョシュの言葉に逆上したのか、あるいはこれ以上の脅威はないと安堵したからか。

 ファラー子爵は眉を吊り上げた真っ赤な顔で怒鳴りつけ、出て行けと言わんばかりに玄関扉を指差した。


「……子爵、それでは失礼いたします。またご縁があることを望みます」


 ティアナは最後の足掻きに負け惜しみのような台詞を吐いて、美しいお辞儀カーテシーを披露した。そうしてジョシュに支えられながら、ヨロヨロと子爵邸を後にする。

 支え合いながら子爵邸から敗走するふたりの背中を、セイリオスを支えたままのレオンがじっと見つめていた。



 ◇◆◇◆◇



「ガーラント卿、どういうことですか! どうしてあの大紋章の鑑定審査を中断しなければならないのですか!?」


 ラステサリア王立紋章院上級執務室で、ティアナは憤慨していた。


 いくら紋章を食べたいティアナであっても、紋章院の命令は絶対だ。紋章へ向かう欲求と、紋章を管理監督する公務とを公私混同しはしない。

 引き際をわきまえているとはいえ、胸の内で沸々と煮えたぎる悔しさがなかったことになるわけじゃない。


「く・や・し・い〜ッ! あと少し、あと少しで口を割らせることができたのにぃー! ガーラント卿、いったい、どこの誰があんな悪辣な命令最悪な邪魔を!?」

「……エルバート・ティンジェル公爵閣下だ」


 ガーラント卿はティアナの剣幕に怯むことなく、冷静に答えた。

 エルバート・ティンジェル公爵。その名を聞いたティアナの顔から表情が抜け落ちた。感情さえ失って、確かに一瞬、時が止まった。

 刹那の沈黙。

 ティアナはすぐに表情も感情も取り戻して激昂した。


「あンの、クソ親父オヤジ! 縁はとうの昔に切ったのに、どうしてちょっかいかけてくるの! なんでわたしが大紋章アレを狙ってるって漏れたワケ!?」


「ティアナ、落ち着け。あの公爵がお前を監視しているのは、今にはじまったことじゃない」

「そうだけど、そうだけど!」

「……レディ・ティアナ? 君は本当にティアナ・アンフィライト中級紋章官なのか?」


 感情を露わにし、妖精姫と呼ばれる理由のひとつである可憐な美貌に構わず眉を吊り上げ、肩を怒らせ、大声で叫び、地団駄を踏むティアナの変わり果てた姿に、ガーラントが唖然としていた。

 目に映る光景が信じられない、と震えながらジョシュを見るも、ジョシュは冷えた表情を変えることなく首を振る。縦ではなく、横へと。


「ガーラント卿、このティアナを見るのははじめてですか? ティアナはティンジェル公爵家元実家が関わると、割とこんなものですよ」

「ちょっと、ジョシュ! なにバラしてるの! あーもう、ガーラント卿にはまだバレてなかったのにぃ……」

「元実家……? ティアナ、どういうことなんだ?」


 アンフィライト家は公爵家だ。

 たとえそれが、実在するのか定かではない妖精女王のために作られた空白の公爵家であっても、公爵家は公爵家。

 侯爵位を賜っているガーラント・オルティスが、部下であっても侯爵令嬢であるティアナの家庭の事情を探るような真似などできるはずもない。


 ティアナは深く息を吐き、本能のままに叫んでいた心を鎮める。そうして背筋を伸ばし、淑女の笑みを浮かべて告げた。


妖精姫わたし製造元が、ティンジェル公爵である、というだけの話です。わたしはバケモノですが、親なしで産まれたわけではないので」


 にこり、と貼り付けた微笑みは、少しだけ硬かった。






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