第7話 あなた、過保護すぎない?
「……っ、ティアナ。呑まれるな」
ティアナの全身から放たれる力に抗うことができるのは、ティアナと長い年月をともに過ごしたジョシュだけだ。
ジョシュの熱く燃えるような手に肩を抱かれてようやく、ティアナは人間としての正気を取り戻す。
「ジョシュ。……大丈夫よ、大丈夫です。ふふ、三つ同時はちょっと食い意地が張りすぎていたわね。次からひとつずつ順番に食べることにする」
「ティアナ、本当に大丈夫か?」
「ジョシュ、あなた……過保護すぎない? わたしが大丈夫だ、と言ったら、それはもう大丈夫なの」
いまだ妖しく揺らめく紫眼のまま、ティアナはジョシュに微笑んだ。
ジョシュはなにか言いたそうにしばらく顔を顰めている。けれど、すぐに短く息を吐いてティアナを解放し、玄関ホールの片隅で縮こまっているファラー子爵をティアナの前に引き摺り出した。
「
「ひ、ひぃ……ッ、や、やめろ、近づくな……」
「さて、ファラー子爵。ご協力が必要です。セイリオス卿の髪は、もういただきましたから」
「ぼ、ぼくの、髪? い、いつの間に……」
「ふふ。マリアは優秀なだけでなく、有能なメイドなのです、セイリオス卿」
ティアナがドレスのポケットから、枯草色の髪が一本入った細いガラス管を取り出して微笑んだ。乙女の秘密ポケットには、夢と現実が詰まっているのである。
丁寧にコルク栓がされたガラス管は、尋問塔を出る前にマリアがそっと手渡してくれたものだ。
「
ジョシュが
「ひっ、ひぃ……! や、やめてくれ!」
後退りしようにも、ジョシュにがっちり肩を掴まれてこれ以上逃げようもない子爵は、激しく首を横へ振るしかない。その頭頂部はうっすらと地肌が見えるほど薄かった。
そんな子爵の頭へと、ジョシュの手が無常にも伸びてゆく。子爵は色を失った顔でぎゅっと目を瞑り、息を止めた。
「…………ッ! ……ぁ、れ?」
子爵が覚悟を決めたその瞬間は、訪れなかった。まっすぐ伸びたジョシュの手が、ハラリハラリと散った子爵の薄茶色の髪を拾ったからだ。
「……運がよろしいようで。ティアナ、揃ったぞ」
ジョシュは拾った子爵の髪をポケットから取り出したガラス管へ入れてコルク栓をしてから、ティアナに手渡した。
「それでは本鑑定をはじめましょう。ファラー家の紋章に刻まれた血脈とセイリオス卿との間にはなにがあるのか、あるいは、ないのかを」
ティアナの手中にはガラス管が二本。仲良く並んでカチリと互いをぶつけ合っていた。
◇◆◇◆◇
ラステサリア王国に限らず、
王国に平和をもたらしたリバルド改革王は、そこに目をつけた。
唯一無二を保証するために、半永久的に記録され続ける紋章。
その紋章に、家門の歴史と知識と血筋を魔術的に封じれば、王位や爵位の継承時に起こる無駄な争いが減らせるのではないか、と。
魔術的に記録した血を照合すれば、親子関係を平和的に証明できるはずだ、と。
その思想を元に、ラステサリア王立紋章官は、中級以上であれば誰もがみな、血縁照合魔術を使うことができるのである。
◇◆◇◆◇
「さて、ファラー子爵。あなたがあの大紋章を登録したくないのは、あの紋章の
ティアナは二つのガラス管に魔力を流しながら、ファラー子爵に問いかける。可憐に微笑んだ喉から吐かれる言葉は、酷く冷淡な響きをしていた。
「なっ、なんのことだ……」
「あなた、セイリオス卿を実子扱いしていませんよね。それはどうして?」
手のひらの上でガラス管の輪郭が溶け、セイリオスとファラー子爵の髪の毛から螺旋状の
ティアナは器用にふたりの
青い光を発したなら、ふたりは血縁関係がある。赤い光ならば、関係はない。
混ぜ合わせた
「あら、やっぱり」
ひとり呟きながら、ティアナは別のひと組をファラー子爵家の紋章に登録された血脈と照合する。セイリオス卿の
「こちらも、赤……」
ファラー家は子爵だ。だから婚姻時の
けれど紋章には、結婚した相手を血族として登録する義務がある。
子爵がセイリオスを虐げる理由は、なんとなく予想がついていたけれど、まさか、まさか。
「まあ、セイリオス卿。あなた、子爵だけでなく、夫人の血も引いていないのね」
「……え?」
「あっ、当たり前だ! あんな愚図、私は妻に産ませた覚えはない! 我らの息子はレオンただひとり。レオンに子爵家を継がせるのだ!」
「そう。まあ、わたしはファラー家の後継者が誰になろうと、どうでもいいのだけれど」
冷たく言い放ったティアナがチラリとセイリオスを盗み見る。
ただでさえ顔色がよくなかったセイリオスの顔から、色という色が抜け落ちていた。顔面蒼白のセイリオスをレオンがしっかりと支えている。
——彼だけがセイリオスに献身的なのね。よかった。
ティアナは最後の仕上げに、セイリオスの
——そう、ファラー家の後継が誰かなんて、どうでもいい。あの大紋章をセイリオスに送ったのが、どこの誰なのか。それを知らなければ、あの大紋章は食べられない!
誰のためでもなく、自分のため。
暴走するかもしれない危険性を犯して三つも紋章を食べたのも、このためだ。血縁照合魔術には膨大な量の魔力を必要とする。
——三回分、ちょうどね。
ティアナの紫色の眼は、もう妖しく光っていない。普段通り、狙った紋章のことしか見えていない真っ直ぐな欲望で爛々と燃えている。
正直なところ、ティアナは大紋章とセイリオスの称号結果を期待していなかった。
だって、あの
登録前でも血縁照合用に血を登録する貴族もある。けれど、そんな手間をかけてまでやることじゃない。
登録前の紋章に血縁関係を刻むには、紋章官に登録料とは別に膨大な刻印料を支払うか、高位神官に高額な寄付をして祝福とともに刻印してもらうしかない。
紋章官にしても、高位神官にしても、そもそも
けれどそんな手間が、この大紋章にはかけられていた。
「ファラー子爵。いったい、誰の子供を育てていたの? わたしはそれが知りたいの」
大紋章と照合したセイリオスの
セイリオスの瞳には、もはや澄み渡る青色はなく、絶望が滲んだ真紅の煌めきが
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