第17話 自己紹介カード
「沙月さん、好きな食べ物は何ですか?」
かすみさんの様子は真剣そのものである。だから、私もつとめて真面目に答える。
「クロワッサンかしら」
『ココア』のクロワッサンが、私は世界で一番好きだ。
「いいですね〜。私も好きです」
かすみさんは、花のように優しく笑ってくれる。
「好きな色は何色ですか?」
「……緑かな」
好きな色、そういえば深く考えたことがないな、と思いながらも、直感で答える。
「いいですね〜。自然の色って感じで」
なるほど、そういう解釈もできるのか。
「好きな動物は何ですか?」
「……アルパカ」
小さな頃、地元の動物園で見た姿がとても印象に残っているから。
「アルパカ!? 名前は聞いたことがありますけど、どんな動物かわたし知りません!」
「今度、写真を持ってくるわ」
「わぁ! ありがとうございます!」
本気で喜んでいるように見えるかすみさん。その気になれば、アルパカの話だけで3時間は話せるのだが、自重しなければならないだろう。私は、良識のある大人だから。
「これで、最後の質問です! 好きな歌は?」
「『ロックンロールを聞かせておくれ』かな……」
父がよく聞いていた曲である。
「……今度、聞いてみますね!」
本当に優しい子である。知らない、という言葉が人を傷つける可能性も考慮したのであろう。だけど、知らないのは無理もないことだ。おそらく、この曲がリリースされた頃、かすみさんは生まれていなかっただろうから。
かすみさんは、自己紹介カードを一生懸命埋めている。先ほどの会話のように、20程度の質問をされた私は、少し驚いていた。かすみさんは、思っていたよりも積極的なのだな、と。
ちなみに、かすみさんの好きなもの一覧が記された自己紹介カードはすでに入手済みである。かすみさんの部屋を訪れた際、開口一番、「これどうぞ!」と渡されたのが、この自己紹介カードである。
サイズはハガキ程度。そういえば小・中学生の頃に、こんなものがクラスで回っていた記憶がある。私には無縁の話だったが。
こういったものを使う場合、大人ならば気を使って全員に渡すような気がする。しかし、子供は残酷である。ほとんど誰ともしゃべらずに、本ばかり読んでいた変な子供には、誰も声をかけてくれなかった。別に書きたかったわけじゃないけれど。いや、本当に。
そんなことを考えているうちに、かすみさんは自己紹介カードの空欄を全て埋めたのだろう。それを宝物のように眺めている。
「えへへ。大事にしますね」
愛おしい。あいも変わらず、破壊力抜群の笑顔である。
「皆さんのもしっかり残してあるんですよ」
そう言って、かすみさんは大量の自己紹介カードの入った引き出しを開けてくれる。正直、海堀さんと岩清水先生の自己紹介カードの情報は気になるが、のぞき見するのはあまりにも無粋なことだろう。
「よければ、それラミネート加工しましょうか?」
「ラミネート加工?」
かすみさんは初めて聞いたという風に、はてな顏である。
「えっと、簡単にいうと、汚れたり、破けたりを防止するために透明なフィルムで包むことかな」
「そんなこと出来るんですか!?」
「ええ、上に機械があったはずだからすぐ出来るわよ」
「それじゃあお願いしてもいいですか……?」
控えめにお願いするかすみさん。
「もちろん。少し待ってて、ここに持ってくるわ」
「えっ、大丈夫ですか。重かったり……」
かすみさんは心配そうに言う。
「ふふっ。大丈夫。すごく軽い機械だから。それに、研究室にかすみさんに渡したいものがあるの」
「本当ですか? それじゃあ楽しみに待ってますね」
にこっと笑うかすみさん。とても可愛い。この笑顔が見られるなら保湿クリームなんて、いくつでも買ってきてやろう。
「ええ」
私は立ち上がり、研究室のある5階に向かった。
******
今日は小柚とは別行動である。医療関係者として入島自由になったとはいえ、都市の出入りを行うにはそれなりの理由が必要となる。出入島申請書の理由欄に、馬鹿正直に観光などと書けば間違いなく弾かれる。本音は観光だとしても、建前として何かしらの成果を報告しなければならないのである。
小柚が今回選んだ理由は、見学と学習。そのため、小柚は大学病院と医療都市管理局に提出するレポートの執筆のために、第一病院へと足を運んでいる。医療都市最大の施設にして、最新鋭の医療機材が揃う場所。
岩清水先生の口利きがあったとはいえ、本来なら部外者が簡単に見学を許される場所ではない。小柚は本当に幸運だなあ、と考えていると、かすみさんが控えめに話しかけてくる。
「あのう、つまらなかったですか?」
しまった。黙りこくってしまっていた。
「いいえ、そんなことないの。ごめんなさい。私の悪い癖で……。考え事に夢中になってしまうのよ」
自己紹介カードをラミネート加工機(ラミネーター)に通していたら、思考の海に溺れていた。
「そうですか……。気にしないでください! わたしも何かに夢中になってしまうことよくありますから」
満面の笑みで気を使ってくれるかすみさん。中学生相手に気を使わせるというのは、本当はかなり情けないことなのだろうが、彼女の健気さに心が癒される。
抱きしめたい。
「こんにちは!」
元気のいい挨拶が聞こえてくる。今日は金曜日。週末である。山岸くんが来る日なのだ。
「ありがとうございます! 熊谷さん!」
「いいのよ。気にしないで。私も楽しかったから」
ちょうどラミネートも終わったところである。お邪魔虫は退散しよう。
「それじゃあ、かすみさん。またね」
ラミネーターを持って、立ち上がる。
「沙月さん、もう行っちゃうんですか?」
「ええ、少し薬品を扱う作業があって」
「そうですか……」
しゅんとするかすみさん。思わず足が止まりそうになる。
しかし、私は知っているのだ。山岸くんの声が聞こえた瞬間、表情が一気に明るくなったことを。
話し相手にはなる。だけど、二人の時間は大切なものだろう。
「それじゃあ、またね」
そう言い残して、立ち去ろうとする。
「はい、また!」
「また来てくださいね……?」
少しだけ不安そうなかすみさんに私は言う。
「必ずまた来るわ。ここに来たら必ず」
にこっと笑うかすみさんは、まるで真夏に咲き誇るひまわりのようだった。
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