第12話 不器用
「……もういい、謝るな」
そう言う彼の顔は先ほどのまでの傲慢な態度から一点し酷く辛そうで、私は泣きながら、どうしてこの人は他人の痛みを分かち合おうとしてくれているのだろう、と思った。
幼い頃からいろんな大人を見てきたが、誰も困っている助けてくれと言っても助けてなんてくれなかった。自分の父親でさえそれは例外ではなく、逆に揚羽や母を苦しめていた。身内でさえ信じられないのに他人のことなんてもっと信じられるわけがない。
やっと、信じてもいいかもしれないと恋人に心を許した途端裏切られて、もうすでに揚羽は人間不信になりかけていた。それなのに、目の前にいるこの人があまりにも真っ直ぐな目で見つめてくるからドス黒い何かで塗りつぶされた感情が行き場を無くして酷く息苦しさを感じた。
金を盗られ、男にも逃げられ、馬鹿な女だと罵られ虐げられた方がまだマシだった。中途半端な優しさはいらない、また、期待してしまうから。そんな弱くて醜い幸せに縋るような自分にもう戻りたくなかった。
「とりあえず、お前が無事だったのならそれでいい」
揚羽はもう何も言葉にすることができなかった。謝罪の言葉以外何ていったらいいのかわからなかったし、謝罪はもう結構だと断られた以上、口を噤む他思いつかなかった。
「……今日はもう休め、業務は明日からでいい」
その言葉にハッと俯いた顔をあげ恐る恐る彼の表情を見てみると、怒りに顔が歪み何かに呆れたような顔をしていた。もしかして失望、されてしまったのだろうか……? こんなにも役たたずの女を一千万もの大金で買い叩いてしまったのだ。せめて何か、何かのお役にたたなくては……本当に私は存在する意味がなくなってしまうのでは……?
「わ、私は……休まなくても大丈夫です、何か……仕事を貰えませんか……?」
確か薫さんはまだ仕事が残っていると言っていた。洗濯でも掃除でも料理でもなんでもいい、どんな仕事でもここにいる間は死ぬ気で取り組み、何がなんでもお役に立たなくては……本当に存在する価値がなくなってしまう……。
「必要ない」
李音はまた氷のような冷たい声でピシャリと一言だけ叱りつけるように言葉を紡いだ。
––––必要ない
それは私自身を否定されているような気持ちになって、またどうしようもないドス黒い気持ちに心が囚われたような気がした。
「今のお前では足手纏いだ。まずは休息を取る、それがお前の仕事だ」
––––足手纏い
全くその言葉の通りだ。今の私がいったい何のお役に立てると言うのだろうか? 烏滸がましいにも程がある……。返す言葉もなかった。
「まずはそのみっともない泣き顔をやめろ、目が随分と腫れている」
一人打ちひしがれていると彼はもう話すことはないと言った様子で「下がれ」と呟き、揚羽に背を向けた。これ以上ここに留まることも許されない気がして私は一礼をし「失礼します」と覇気なき声で部屋を後にした。
––––一人、揚羽が立ち去った部屋で李音は大きなため息をついた。
「やはり、止めるべきだったな……」
彼女の話を聞いてもちろん違和感を感じなかったわけではない。十中八九、おかしな話だと思っていたが頭ごなしに否定や出資の断りをすると彼女は今頃どうしていただろうか……? きっともっと危ない話につられて騙されていたに違いない。そうなる前にお金の問題を解決し、理不尽な条件でなんとか諭そうと思ったが全く聞く耳持ってなかったしな……。
どうせあの様子じゃまともな暮らしをしていたわけではないだろうし、目の届くところに置いておくのが一番安全かなと思ったが、まさかたった一日であんなにボロボロで帰ってくるとは……よっぽど惚れてたんだろうな、言っちゃあ悪いがそのクズ男に。
「まったく、親子で男運が悪いんだな」
ボソリと皮肉を込めて言葉を吐き捨てた。
さて、どうしようか、と少し頭を悩ませたがやはり自分ではあまり優しい言葉をかけてやれる自信がない……ので彼女に任せるとしよう……。李音は手元にあったベルをチリンと一度鳴らした。するとすぐに外からノックの音が響き、薫がやってくる。
「お呼びでしょうか?」
薫は涼しげな声で優雅に一礼をしてみせる。まるでどこぞの令嬢かのような振る舞いはあまりにも普通のメイドとはかけ離れていた。しかし、ここでの彼女の役割はあくまで【メイドの薫】、それ以上でもそれ以下の役割も与えられていない。
「お前も随分と様になってきたな」
少しだけ皮肉を込めて褒めてみる。そんな皮肉は慣れたもんだと言うように薫は
「褒め言葉として受け取りますね」
と口元に上品に手をあて笑って見せた。
「……揚羽さんのことですね?」
薫の言葉に李音は無言でこくりと頷いた。
「先ほどお着替えの時お体を拝見いたしましたがやはり痩せすぎですね。ここに来たからには栄養のあるものを食べて頂かなくては」
彼女のために用意する今日のメニューはどうしようかしらと言葉を続けて薫は首を傾げてみせた。世話好きで馬鹿がつくほどお人好しの彼女は新しい妹ができたみたいで嬉しいと内心心配と共に揚羽の存在を喜んでいた。そんな気持ちを察したのか李音は「遊びじゃないんだぞ」とため息をついた。
「メンタルもやられてるみたいでな、悪いが気にしてやってくれ」
「あら、李音様がお優しくしてあげればよろしいじゃないですか」
クスクスと薫は皮肉を込めて上品に笑う。先ほどの皮肉へのお返しだ。
「俺じゃ力になれないだろ」
ムッと眉を顰め、少し剥れてみせる。こんな表情を見せられるのは幼い頃から一緒に過ごしてきてずっと姉のように接してきた彼女にだけだ。
「怖いですもんね、お顔が」
「……お前、クビにするぞ」
ピクピクとこめかみが痙攣し、声のトーンが低くなる。本気で怒っているわけではないが威圧的になるこの表情と態度で幾人もの雇ったメイドや執事達が怖がって仕事を辞めていった。
「ほらその顔、李音様は黙っていればいい男なんだから眉間に皺を寄せない。揚羽さんが怖がっちゃいますよ」
薫は本当の
薫はしばらく長い廊下を無言で歩き続けていたがふと気持ちが抑えきれず、言葉がこぼれてしまった。
「……本当に不器用な人」
薫は、誰よりも李音が優しいことを知っている。しかし彼は不器用すぎて上手く人を気遣うことが苦手だった。優しくしようと歩み寄ってもいっつも人から怖がられてばっかりで……。揚羽のことも本当はもっと気にかけたいのにどこか遠慮している李音がいてはっきり言って見ていてもどかしい。
「……どうか李音様が幸せになることを、今日も薫は祈っております」
どうせなら大切な弟のような存在の彼が報われる世界であれと、薫は静かに祈った。
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