囚われのアゲハ蝶

蝶々ここあ

第一章 蜘蛛

第1話 懇願

「頼むッ……!! お願いだ揚羽あげは!!! 俺に一千万貸してほしい!!」


 久々の愛する恋人とのデート。待ち合わせは恋人達が集う有名な公園のベンチ。沢山のカップルが愛し合い、幸せそうな声をあげている中、重苦しい表情でずっと俯いていた彼氏の拓也がようやく口を開いたかと思えば、突如、揚羽はこの言葉を突きつけられた。


 彼氏の拓也とは久々に会う。ここ数ヶ月、お互い忙しい日々が続いてて電話でしか声を聞くことができず、ようやく聴いた愛しい恋人の声は記憶にある優しくて力強い音色とは裏腹に、ただひたすら惨めで情けない声で揚羽の鼓膜を刺激した。


「……ねぇ、ちょっと待って……? いっ、一千万……? どういうことなの……?」


 甘く楽しいひと時を想像していたはずなのに……私は今、何故こんなお願いをされているのだろう? そんなことを思いながらも、ようやく絞り出せた疑問の声は驚きと戸惑いを隠しきれず、細く震えた。目の前にいる拓也は顔を伏せたまま、涙交じりの声で言葉を続けた。


「……死んだ親父が……残した借金なんだ……」


 ポツリポツリと拓也は言葉を続けた。


 数年前、他界した拓也のお父さんが作った借金が今頃になって判明し、ここ数ヶ月その取り立てから逃げるように生活をしていること。


 拓也の亡くなった父と母はすでに離婚しており、母は今遠くの田舎で新しい旦那さんと共に幸せに暮らしていること。


 その幸せを壊したくないため、母には一切頼れないということ。

 当然、父方の親戚とは疎遠になっているため誰にも頼れないということ。


 そんな説明を聞かされ続け、私はとにかく頭の中が真っ白になっていた。大好きな人が今、人生最大の危機に直面している……、当然、力になってあげたい……! でも、一千万だなんて、用意できるわけがない……


 どうすれば……どうすればいいの……?


 ぐるぐるぐるぐる頭の中が混乱して知らず知らずに不安な表情が出てしまっていたのだろうか……? じっと顔を見つめられ沈黙が少し続いた後、そっと拓也が口を開いた。


「ごめんッ! ……こんな話……されても困る……よな?」


 目の前の彼はへらっと力なく笑う。すでに茶色の瞳には光を失っているように見えた。


 どこか遠くを見据え、ふらっと力なく座っていたベンチから立ち上がったかと思うと、私の目の前に立ち、そのまま隣に座っていた私の体をぎゅっと抱きしめた。


「こんな話……揚羽にしか相談できなくて……甘えてた、ごめん……ッ」


 拓也に抱きしめられ触れた手がかすかに震えていた。さっき、ここ数ヶ月逃げるような生活をしていたと拓也は言っていた。


 それはただお金がすぐに用意できないから逃げていただけなのか……

 それとも命の危険に晒される恐れがあったからなのか……


 響く怒声、鳴り止まぬインターホン、目も当てられないような嫌がらせの数々……。どれも自分の幼い記憶に刻まれた、決して忘れられないような恐怖を、今、拓也が味わっていたとしたら……?


 そう考えると私自身も体の震えが止まらなかった。


「大丈夫……なんとかするよ。今日はせっかくのデートだったのに、ごめんな……」


 ぽんぽんと優しく頭を撫でられ、そのままスルッと抱きしめられた腕が解かれる。抱きしめられた温もりはあっという間に消えてなくなった。


 このまま……このまま拓也を離してしまったら……二度と会えないような気がした。


「私が……ッ! 私がなんとかするよっ!」


 掠れ切った声、お金を用意する当てなんて全然ないのに、私はそんなことを口走っていた。拓也は思わずその言葉にキョトンと目を丸くする。でもすぐにフッと優しく微笑み、そして力なく歪な笑顔を浮かべた。


「ありがとう……やっぱり……揚羽だけが俺の味方だよ……」


 そう言ってもう一度抱きしめられる。角度的に拓也の顔は見えなかったけれど、きっと少しでも安心した表情を浮かべてるに違いないと思った。


 私が一番苦しかった時に寄り添ってくれたこの人のこの温もりだけは絶対に手放したくない……。そんな淡い気持ちでいっぱいになった揚羽とは裏腹に拓也は怪しい笑みを浮かべていた……。

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