第五輪 ❁恥辱の茨❁

 港から、一週間ほど歩いたある日のことだった。


「っ……」

 街道を歩いていると、何かにつまずいいたのか、フィサリスが突然よろけて転んだ。

「大丈夫!?」

「はい、機能に問題はありません」

「血が出てるよ」

 俺は、ハンカチを差し出す。

「いえ、そんな」

「いいから!」


 あれ……っていうか、フィサリスも血を流すんだ?

「……申し訳ありません。ここには血も暴力もないなどとのたまっておきながら」

「んなこと今はどうでもいいって。すぐに傷薬を――いや、人間用のヤツで大丈夫なのか?」

 俺は、マカシから貰った傷薬を取り出しながらふと疑問に思った。


「ヒト用の外用薬は有効です」

「じゃあ、この血も……本物?」

「はい、これはまぎれもなく貴方たち人間の肉体に流れる血液と同一のものです」

「ど、どういうことだ……AIってなんなんだい……?」


 応急処置を終えて、俺はフィサリスの顔を覗き込む。

「AIは、精神を注入するその性質上、精神の受け皿となる『器』が必要です」

「器?」

「その『器』は、原則として生命体に限ります。……これまでご覧になってきたように、基となった生命体から大きく改造されているものも少なくありませんが」

「それじゃあ、キミはもうほとんど人間といっていいじゃないか!」

「いいえ、私はあくまでAIです。私の精神は主人に対して尽くすように設計されたものですし、最初にお話しした通り生殖能力もございません。『生物』としては決定的に欠落しているのです」

「色々あって子どもを作れない身体になった奴も、生まれた時からそんなで親に棄てられた奴も、何人も知ってるぜ。そいつらも生物じゃないっていうのかい?」

「……それは詭弁きべんというものです。私は規則化された言動様式に従い、主に尽くすために設計されたものだと――」

「人間だってそんなもんだろうよ」

「え?」

「食って、働いて、寝て、起きたら『おはよう』、寝る前は『おやすみ』。一日の流れなんてほとんど決まり切ってる」

「……」

「それにな、人間だって結局は何かのために尽くしてるんだぜ? 家族だったり恋人だったり、主君だったり、故郷だったり、仕事そのものだったり、金だったり……尽くす対象は人によって違うけどな」

「……では、アニスくんは何に尽くして生きてきたのですか?」


「俺は……お袋と親父は小さいころに戦争で死んじまったらしいんだ。だから、家族への愛情とかねーし、忠義なんてねーし、金を貯めることにもさして興味ねーし……多分、尽くせるものを探してたんだろうな」

「なんですか、それ」

「だから、周りのみんなが何かに対して一生懸命になってる姿を、どっか冷めた目で俯瞰ふかんしてたんだと思う。――気取った言い方をすれば『尽くすために尽くしてた』ってとこかな」


 フィサリスは、半ば呆れたようにため息を吐いた。その様子がやっぱりあまりにも人間らしくて、ついつい笑ってしまう。

「……それで、妖精からの突飛な提案にも安易に乗ってしまった、というわけですね」

「ははは、そうらしいな」


~✾*。✿:゜❀*❁。✾*。✿:゜❀*❁。~


「着いたー!!」

 二週間をかけてようやく辿り着いた首都キヒズミは、一見して都市というにはかなり質素な感じがした。建物はほとんどすべて木造で、周りには緑が溢れている。

 しかし、街中は非常ににぎわっていた。しかも建物同士も非常に密集しており、二階建てや三階建てやそれ以上の建物も目立つ。質素というよりは、こういう様式なのかもしれない。


「道中でも何人か見かけたけど、ここには頭に花が咲いてない人がかなりの数いるな……」

「お花見にはまだ数日早かったようですね」

「いいじゃん、それまでゆっくりしようぜ」

「このキヒズミまでやってきたからには、見ておかなくてはならない場所があります」

「へぇ、観光名所か何かかな」

「それなりの危険が伴いますので、くれぐれも軽率な行動は慎んでくださいますよう、お願いいたします」

「え……?」


 

 今までは首都らしく建物が立ち並んでいたのだが、ここにきて急に建物がなくなった。代わりに、フィサリスが指さす先。そこには茨が柵か塀のように――明らかに自然のものとしては不自然な形で生えていた。

 茨の前には物々しい雰囲気で、手に樹の棒のようなものを携えた男たちが立ち並んでいる。まるで、門を護る守衛さながらの様子だ。


「おいおい、どうなってんだ……ここは首都の中なんだろ? あれじゃまるで関所じゃあないか」

「関所どころか、基本的にあそこを通ることはできませんよ」

「なんだって?」

「エッシェ公国は、ここを境に実質的に東西に分断されている状態なのです」

「……どういうことなんだ?」


 俺がいつものようにフィサリスに尋ねたその時。

「まって、待ってくれ! そっちに行かせてくれぇっ!!」

 無限に続いているかのように見える茨の遠くの方で、男が叫び声をあげた。その頭に花はなく、身体は守衛達数人がかりで取り押さえられている。

「ダメだ、戻るんだ」

「そ、そっちには妻も子どももいるんだ! せめて一目だけでも――」

「戻れ! 従わなければお花畑送りだ!!」

 茨を手づかみで乗り越えてきたのだろう、男の衣服はズタズタで手や顔は傷だらけだったが、無情にも彼は茨の向こうへと送り返されてしまった。


「ひでぇ……っ」

 他人事とはいえ、言い知れぬ悔しさに思わず拳を握りしめる。

「茨の前を護るあれらの男性は『庭師さん』と呼ばれます」

「いや、それより茨を乗り越えてきた男の方は」

「あの男性は……おそらくマンド族でしょうね」

「マンド族?」

「このエッシェ公国には、マンド族とピオニー族という二つの部族があります。比率にしてマンド族が八割強、ピオニー族が二割弱と、数の上では圧倒的にマンド族の方が多数派なのですが」


「……そんで? それがこの国が分断されてる原因だってのかい?」

おおむねそうといえますね。元来、この国が分断される前まではピオニー族が支配階級として君臨していました。現・国家元首たるエッシェ公もピオニー族です」

「その支配に不満を持ったマンド族が反乱を、ってとこか」

「正確には『一部の』マンド族ですね」

「なるほど……なんとなく話が読めてきたぜ」


 俺は、自分の頭の中を整理しながらフィサリスに問いかける。

「つまり、あの茨の向こうに住んでるのは、ほとんどが反乱を起こした『一部の』マンド族。対して、茨のこっち側に住んでるのは、ピオニー族と大人しくピオニー族に従ったマンド族ってことだな」

「はい」

「だけども、マンド族の中には家族内で意見が割れたりして、茨のこっち側とあっち側で分断された人もいる、と」


 こんな首都ところでお花見……か。

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