第3話 若き政務官〜一人目の攻略者〜
動きづら。
重たくて進まないスカートを足で持ち上げながら、いつもより倍の時間をかけて進む。
あれから、服を着替えようとするとどこから現れたのか何人ものメイドに囲まれながら支度を終えた。幾重にも重ねられる服に、出来るだけ楽なものがいいと伝えたものの一番簡素なものがこの服だった。
シフトドレスにペティコート、そして床につくスカート。コルセットだけは断固拒否したが、スカートの下には幾重にもペティコートが巻かれボリュームを出していた。おかげで歩きにくいことこの上ない。レア王女の衣装部屋にはこれでもかという豪奢なドレスで溢れかえっていたから、これが簡素だというのもあながち間違いではないのだろう。
自由になる金があるならまず動きやすい服を買いたい、そうため息をつきながらようやく着いた目的地の重い扉を開く。心地の良い、紙の匂い。ここは王室唯一にして最大の図書館だ。
私がまず初めにしようとしたのは、この国を知ることだった。
皇紀687年、アルマナという国が出来てから今年で687年目だった。アルマナになる前にはテーレという小国で、さらにその前は名前もない小さな部族が始まりだったらしい。ネフェルムという風習はテーレという国ができてから作られたもののようだ。
神秘の国、アルマナ。そう呼ばれるのは一重にネフェルムの存在だ。
小国に過ぎなかったテーレが力をつけ始めるのはおよそ1100年前のことだった。突如歴史書に現れたネフェルムという存在。小国に君臨した女王は次々と近隣の国を攻め込み、時には講和し大国へとのし上がっていく。
ネフェルムというのもこの女王を表す名だったようだ。それが次の代、さらにその次の代へと引き継がれ、今ではこの国の代名詞となっていた。
ネフェルムには不思議な力があった。女王自身が国の礎となり、国を栄えさせ、外敵から守る。どのような方法であるかは女王自身しか知らない。レア王女も母であるはずの今代ネフェルムに会えるのは式典の時くらいだったはずだ。母の愛情を得られない幼少期の生活が彼女を歪ませ、自身にネフェルムとしての器がないと知り、主人公への憎悪へと変化した。
同情してしまう出自だが、それでも主人公へした仕打ちは許されることではない。
主人公は、このままではネフェルム不在で国が滅びると憂いたアルマナの妖精に呼び出された現代日本のごく普通の女子高生だった。
私が知っているのは、現ネフェルムの力が突如消え、均衡が崩れたアルマナに攻め入る国すら出始めた。そんな折に力を開花させた主人公がそれらに打ち勝ち国を守り、他国や民衆の心を掴み満場一致で新しいネフェルムと君臨するーーそれが変わらないエンディングだったはずだ。その隣には第一王子だったり、第二、第三王子、はたまた他国の皇子やこの国の騎士団長に政務官と攻略対象によって変化してはいたが。
どちらにしろ、このレア王女に力はないのだから呼び出された主人公が女王になることに異はない。問題は、どうやって死を免れるかだ。
この国の組織図へと手を伸ばす。さすが大国だけあってその量は膨大だ。少し埃をかぶったそれに咳き込みながら開くと、すぐ横から声がした。
「何か、お飲みになられますか?」
耳の近くでかけられた声に驚いて本を取り落とす。振り向くと、声の主は私の落とした本を拾い上げて軽くはたいていた。
「どうぞ」
頭二つ分は高い位置から眼鏡越しのアイスブルーが見下ろしてくる。礼を言って受け取ると、その瞳が細められた。
私は、彼を知っている。
この国の若き政務官、ルドルフだ。攻略対象の一人だった。
「珍しいですね、こんな場所に」
私の持つ本をチラリと見やると、小さな窓の外に目をやった。王宮全ての書籍が保管されているこの場所は、劣化を防ぐために陽が当たらないようになっている。日中でも薄暗さすら感じるこの場所で、ルドルフの顔はよく見えない。
「少し、調べ物を」
話しながらページをめくる、細かく書かれたこの国の組織図は、かなり仔細だ。だが国の王女が見ることになんの問題もないだろう。
「ちょうどよかった、ルドルフ、時間がありましたら色々と教えていただけませんか?」
興味なさげに背けられていた瞳が私を、レア王女を見やる。綺麗なアイスブルーの眼はゲームのときからお気に入りだった。神経質そうな細いフレームのメガネに、薄茶の長い髪は後ろで緩く縛られている。あまり鍛えていない身体は細く長いが均衡がとれていて、同じように長く綺麗な指がフレームの真ん中を押し上げるのが、彼の癖だ。
少しだけ逡巡したあと、構いませんよ、と小さく呟かれる。こちらへどうぞと促されたのは窓辺の木造の机だった。向かい合わせで座ると、さっそく分厚い本を開く。
「この、我が国の組織図ですがーー」
私の指を辿ってルドルフが、丁寧に説明をしていく。
「まず、我が国家は王政を敷いております。ネフェルムである女王がおり、これを頂点としています。夫である王も同等の権力を所持しており、子女に第一王子であらせられるフィリップ王子、第二王子のーー」
本を暗記してるんじゃないかと思えるほど淀みなく紡がれる声に、心地よさを感じながらも真剣に聞き入る。
中央政権の説明が終わり、我が国の精鋭部隊をはじめとする軍事への話へと入ろうとしたとき、ふと声が止まった。不思議に思って見上げると、じっとこちらを見つめている目にかち合った。
「ーー覚えていますか」
何を、と聞く前に言葉が続く。
「あなたが幼い頃もこうしてよく向かい合って師事したものですよ。」
それは、知らなかった。主人公へこの国の説明をするときは決まってルドルフの役割であったし、突然現れた主人公へ戸惑いながらも常に気に留めてくれて、気遣ってくれた。
一見冷たそうに見えて誰よりも過保護な優しい人。そんな彼の本当の人柄を知っていたから臆せず話しかけられたが、そういえばレア王女にとって彼はどんな人であったのだろう。
「昔も、こうして真面目に聞いてくれればよかったのに」
皮肉かと思ったが、私を、レア王女を見つめる眼はとても優しかった。
「幼い頃の私は不真面目でしたか」
「それは、もう」
顔を見合わせ、ふふふと二人笑い合う。
きっと不真面目どころか我がままばかり言ってとことん困らせたのだろう。自分がしたことではないとはいえ、少し申し訳なく思った。
「すみません、そろそろ執務がありますので」
そう言って立ち上がる姿は、もう「生真面目な政務官様」だ。
「あ、はい。ありがとうございました」
もう少し教わりたかったのだけれど。
名残惜しく背中を見送っていると、ふと背の高い頭が振り返った。
「また、いつでもお声がけください。執務外でしたら、いつでもお教えいたしますので」
それでは、
軽く礼をすると扉の向こうへと消えていった。
この国の人と初めてきちんと触れ合えた気がして、私は温かい気持ちになりながらまだ少し埃をかぶっているその本を、そっと抱きしめたのだった。
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