第8話 怒濤な彼女
放課後、俺と五十嵐は反省文を提出すると一緒に昇降口向かった。
「おい五十嵐、あれは一体どういう意味だったんだ?」
「あれって?」
下駄箱から靴を取り出して履き替える、俺は五十嵐のことを待ってから一緒に校舎を出た。
「惚けるなよ、交際宣言だよ。あんなこと俺は了承してないぞ。五十嵐が要求したのは、これからできる限り一緒に下校するって事だろ」
あの時五十嵐から要求されたのは、一緒に下校できる時は付き合うというものだった。いつも一人で登下校していた俺には中々ハードルが高い上、ましてやあの五十嵐と俺が一緒に帰るとなると、あらぬ噂が立つに違いない。
「あんな事言ったら殊更面倒な事になるぞ」
「分かってないなあ尾上くんは」
「何だと?」
五十嵐は俺の前に立つと指さして言った。
「あれは私の作戦、あの場では信じる人はあまり居なかったと思うけど、こうして一緒にいる時間を増やしていけば、きっと信じないまでも近づきがたい雰囲気になると思う」
「如何にもいい案でしょと言いたいようだが、俺には余計ややこしい状況になったとしか思えないぞ」
「いい案なの!私一度皆との関係を清算したかったから。正直、病気を宣言した理由はそれだったの。まあ狙いと違って尾上くんが釣れたけど」
俺は五十嵐の言っている事が分からなくて首を傾げた。それを見て五十嵐は答える。
「サボった時にも話したけど、私を中心にしたグループって別に私がいる必要ないの。私は丁度いい目印みたいなもの、それが嫌で不満だったの」
五十嵐が歩き始めたのに従って俺も歩調を合わせてついていく、丁度いい小石を見つけた五十嵐は、それを蹴りながら話を続けた。
「前に職員室で林先生と話していた時尾上くんと会ったでしょ?あの時病気の事を話すか話さないかで揉めてたの」
そういえばそんな事もあったなと俺は思い出していた。あの時の剣呑な雰囲気はそういった事情があったのか、それなら先生の念を押すようなあの発言も頷けた。
結晶解離病への理解は進んでいる、解明は進まなくとも理解はされる。しかし充分に理解が浸透しているかと言えば話は別だ。
デマと証明されて尚妄言を垂れ流す奴もいる、そもそも真実を信じないものだっているし、愉快犯的に混乱を楽しむものもいる。人間残酷になろうと思えばどこまでも残酷になれるものだ。
「先生は最後まで慎重に考えろって言ってた。心配は理解出来るけれど、私は早いこと公表して近づきがたい存在になりたかったの。その目論見が外れたのだからこれくらい受け入れてよね」
「それとこれとは話が」
「何でも聞くって言った」
それを言われると弱い、俺が明言してしまったのだから俺の責任だ。
「それとも迷惑?だったら訂正するけど」
「迷惑というか、五十嵐は嫌じゃないのか?俺とそういう関係に見られるのは」
俺は五十嵐と比べると、容姿でも社交性でも大分劣る。はっきり言えば釣り合っていないのだ。だから嫌な思いをするんじゃないかと思った。
「別に私はいいよ」
「随分簡単に言うんだな」
「それに、尾上くんにとってもいい機会になるんじゃない?私との関係を上手く利用してクラスメイトと仲良くなればいいよ」
「はあ!?」
俺が驚きの声を上げると五十嵐はくすくすと笑った。
「尾上くん、人の深い所まで知る必要なんてないよ。皆結構上辺だけで人を見てるよ。だからさ、仲良くなるんじゃなくて関係を良くしたらどう?別に無理に諍う必要はないでしょ?」
そう五十嵐に指摘されて、俺は改めて考えると確かにとは思った。俺は対人能力に大きな問題を抱えている、だけど人に積極的に嫌われる理由はない。今までどうせ知った所で無駄だと断じていたから、そんな発想はなかった。
「言われてみると、五十嵐の言う通りかもしれない」
俺がそう素直に吐露すると、五十嵐は満足げに頷いた。
「そうそう!人には嫌われるより好かれていた方が都合がいいよ。これまでそうだった私が言うんだから間違いないって」
「でもお前はどうするんだよ五十嵐」
そう問うと五十嵐はピタリと足を止めて振り返った。
「何のこと?」
「その言い草だと、まるでお前は嫌われたいというか、関係を清算する所か人から離れたいと言っているように聞こえるけれど」
俺のこの言葉で五十嵐の眉がぴくっと動いて反応した。笑顔が消えてうつむくと、ぶつぶつと唱えるように何かを言った。それが聞こえなくて聞き返すと、五十嵐は笑顔を作って顔を上げた。
「ねえ、時間あるよね?」
「まあ今日は」
「じゃあ寄り道していこう、寄り道も下校の内みたいなものでしょ?だから尾上くんは反対できません。さあさあこっちこっち」
そう言って五十嵐は俺の手を握って歩き始めた。その手がやけにひんやりと冷たく感じたのは、あの時の温もりをまだ覚えていたからだろうか。
「ここぉ!?」
俺がそう声を上げたので五十嵐が驚く。
「何?どうしたの尾上くん?」
五十嵐が俺を連れてきたのは「喫茶ヤドリギ」中井さんが経営する俺のアルバイト先だった。
「何でここなの?」
「何でって、駅から近いし寄っていくのに丁度いいから。それに私ここのカフェラテが好きなんだよね、マスターも面白い人だし」
この言い方だと五十嵐はどうやらこの店の常連だ、まさかのめぐり合わせに戸惑いつつも俺はそのまま引っ張られるようにして入店した。
「いらっしゃい。お、雫ちゃんこんにちは」
「マスターこんにちは!私いつものやつがいいな」
「はいよ。って珍しい、誰か連れてきたのかい?」
俺が五十嵐の後ろに隠れているのを見て中井さんが言った。何やってるのと五十嵐に言われて背中を叩かれると、俺はすごすごと中井さんの前に出て顔を見せた。
「こいつは驚きだ!お前かよ光輔!」
「あれ?マスター知り合いなの?」
「知り合いもなにも、こいつは今度ここでアルバイトすることになった店員だよ。行きつけの床屋の坊主だ」
ふーんと鼻を鳴らしてニヤニヤ顔を向けてくる五十嵐を放っておいて、俺は中井さんに話しかけた。
「どうも」
「おいおい、まさかお前が雫ちゃん連れて現れるとは思いもしなかったぜ。おいちゃん嬉しいなあ」
「そういうんじゃないですって、それよりこの事は叔父さん達には黙っといてくださいよ」
「分かった分かった。いいから座んな、サービスしちゃる」
中井さんのにやけ面に憎々しい視線を送ってから、俺は空いてる席に進んだ。五十嵐が楽しそうに中井さんに手を振ると、中井さんはもっとにやけた顔で手を振り返していた。
席に運ばれてきた水をぐいっと一息で飲み干す。対面に座った五十嵐はその様子を楽しそうに眺めていた。
「何だよ?」
「いやあ世間は狭いなって思ってた所」
「それについては俺も同感だな、まさかまさかの展開ってやつだ」
これでアルバイトを理由に下校を断る事はほぼ不可能になった。俺は五十嵐行きつけの店に働きにいくのだから、当然ついてくるだろう。
「ちょっと意外だったな」
「ん?何が?」
「ここにはいつも一人で来てたのか?」
さっき中井さんは五十嵐が誰かを連れてくるのは珍しいと言っていた。交友関係の広い彼女が、誰かを連れてこないってのも想像出来ない。
「大切な場所で、最後の砦だからね。ここには本当に特別な人としか来ないよ」
「えあ?」
思いがけないもの言いに変な声が出てしまった。
「何その声」
「特別な人って、俺もそのくくりに入るのか?」
「そりゃあもう彼氏だからね」
さらりとそう言ってのける五十嵐に、俺は冷や汗をだらだらとかいていた。五十嵐が何を考えているのかさっぱり分からない、俺は彼女に振り回されっぱなしだった。
「おいおいおい!マジかよ光輔!やるなあおい!」
いつの間にかトレーにカップを乗せて運んできた中井さんが近くにいた。話を聞かれていたのかと俺は慌てた。
「いや、あの、これはちが」
「そうなんですマスター、彼情熱的でびっくりしちゃいました」
「おふぁっ!?」
「いやぁこいつはめでたい!待ってな!おいちゃんがケーキ奢っちゃる!」
中井さんはそう言って軽やかな足取りで戻っていった。運ばれてきたカフェラテを優雅に口にする五十嵐は、慌てて混乱する俺を見てウィンクをした。
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