追憶の宝石
ま行
第1話 黄昏の再会
海辺を歩く、ビーチサンダルがさくさくと音を立てて砂をかきわける。潮風と夕日が懐かしくて心が締め付けられる。この場所で間違いない筈だと辺りをきょろきょろと見渡した。
ようやく人の姿を見つけて俺は近寄った。女の人が一人浜辺に座っていた。癖の付いた長いベージュ色の髪の毛が風に揺れていて、美しい横顔がちらちらと覗く。
「こんにちは、いや、もうこんばんはかな?」
「えっ?」
彼女が俺の声がけに顔を向けた。俺の顔を見ると彼女はにっこりと笑って答えた。
「そうですね、そろそろ日も落ちます」
「寒くはないですか?」
「ええ、私こう見えて寒さに強いんですよ」
俺はそんな彼女の言葉に微笑み返した。変わらないな、そんな事を思いながらもう一声かけた。
「お隣いいですか?それとももう帰るところ?」
「いえ、どうぞ。私人を待っているんです。だからまだここに居なくちゃ」
隣の砂浜に腰を下ろす。荷物を側におろしてサンダルを脱ぎ捨てた。直に感じる砂はさらさらと足の指の間をすり抜けていく。
波の音が響く、押して寄せる波を二人で暫し見つめた。この空間もこの時間も愛おしい、彼女に伝えてもまだ分からないだろうけれど。
「あなたはどうしてここに?」
彼女に聞かれて俺は答えた。
「俺はある人に届け物があって」
「海辺に配達人?」
「指定場所がここだから、仕事を受けた以上きっちり届けないとね」
「真面目な人なんですね」
そう言って彼女はくすくすと笑った。
「君の待ち人はまだ来ないの?」
俺のこの言葉に彼女は少しだけ顔を曇らせた。俯いて小声で答える。
「実は、待っている理由も誰を待っているのかも私分からないんです。だけど待たなくてはいけないと心がそう急かすんです」
「長い人生です。理由もなく人を待ってみてもいいのでは?海辺に配達人が来るように、誰ともなく待つ人が居たっていいじゃないですか」
彼女は大きな目を丸くして驚いていた。
「そんな風に言われるとは思いませんでした。変な人だと言われるかと」
「もっと変な事は世の中に一杯ありますよ、この程度の事、今更変だなんて思いやしない」
「そんなものですか?」
「そんなものです」
そう言って俺は彼女に笑ってみせた。浮かない表情をしていた彼女が少しだけ明るくなった気がした。それがどうしようもなく嬉しくって、そして同時に悲しい。
俺は傍らの荷物の中からあるものを取り出した。色とりどりの宝石をあしらった花を模したブローチだ。俺はそれを彼女に手渡した。
「わあ綺麗」
彼女は受け取ったブローチを夕日に照らしながら眺めた。宝石が夕日の赤い光を受けてキラキラと輝く、それは本当に美しいと俺は心から思った。
「これどうしたんですか?」
「実は俺の手作りなんです。ある人の為に作った物で、ちょっと時間がかかってしまいましたけれど」
「とても素敵です。大切な人への贈り物?」
「一番大切な人へのね」
俺がそう言うと彼女はブローチを返してきた。
「そんな大切な物なら見ず知らずの私に簡単に渡しちゃ駄目ですよ」
「…そうですね、でもあなたに見てほしかった」
「私に?どうして?」
俺は答えに少し詰まった。唾を一飲みしてから答える。
「感想が欲しくって、どうです?気に入ってもらえると思いますか?」
「勿論!こんなに素敵なんだからきっと気に入りますよ。とっても素敵な贈り物、受け取る人はとても幸せだと思うわ」
「そっか、よかった。それなら俺も安心だ」
受け取ったブローチを仕舞うと、俺は彼女に向き直った。
「待ち人はまだ来そうもありませんか?」
「ええ、もう来ないのかも」
「でしたら少し昔話に付き合ってもらえませんか?いい時間潰しになると思うし、もしかしたら話している内に待ち人も来るかもしれませんよ?」
彼女は一瞬戸惑ったけれど、ふふっと笑って言った。
「そうですね、じゃあ私でよければ聞かせてください」
「俺は昔、ある女の人と出会いました。美しくて可憐な花のような人、だけどとても寂しそうに笑う人だった。ある切っ掛けがありましてね、俺はその人と交流をもつようになりました。その切っ掛けがまあ最悪なもので、当時に戻れるなら俺は自分をぶん殴っていると思います」
俺は鼻の頭を指先で掻いた。
「何かしたんですか?」
「無神経な事を言いました。俺はその人の事に最初興味がなかったんです。寧ろその人の置かれた状況に興味があった。最低な男です」
「状況?」
「ええ、彼女はとある病魔に侵されていた。俺は当時その事に大きな感心があった。だから近づいたんです。我ながら外道です」
思い出して落ち込みそうになる、そんな姿を彼女に見せる訳にもいかず踏みとどまるけれど、あまりにも若く未熟だった自分というのは振り返り難いものだ。
「最低…、そうですかね?」
「え?」
「切っ掛けなんてすごく些細な事じゃないですか?どんな物事だって、すごく小さな発見やひらめきから始まるもので、私はそれを最低だとは思いません。褒められた事じゃないのも事実ですけれど」
俺は胸がギュッと締め付けられるように傷んだ、涙をぐっと堪えて、震えそうになる声を何とか絞り出した。
「俺はそれから彼女と多くの会話と交流を重ねました。そうしていく内に、俺は彼女の心に触れていって、沢山の事を教えてもらいました。一人ぼっちで寂しくないと強がっていた俺を救ってくれたのは彼女だったんです」
「一人ぼっちですか?」
「勝手に感じていた孤独感ですけれど、その時の俺のすべてでした。どれだけ関係を深めようと、どれだけ思い出を積み上げようと、崩れ去るのは一瞬だって思っていたんです」
心配そうな顔で俺を見る彼女に笑ってみせた。
「でも違ったんです。消えたってまた作ればいい、何度でもです。そうやって時間は進んでいくのだから」
「それもその人から教わった事ですか?」
「ええ、今の俺を作ったのは全部その人のお陰です。あのままだったら、きっと俺は何もかもを後悔して先に進めないままだったでしょう」
彼女は俺の話を聞いて、沈みつつある日を眩しそうに眺めた。その後膝を体にぎゅっと寄せて手で抱えた。
「とても羨ましく感じます。きっと宝石のような思い出を一杯作ってきたのでしょう、私にはそれが望めないから羨ましい」
そう言って彼女はいじけた子供のように小さく丸くなった。
立ち上がってズボンについた砂をぱんぱんと手で払う、脱ぎ捨てたサンダルを履き直して俺は彼女に言った。
「俺、あなたの待ち人を知っています。実は俺がその本人です」
彼女は顔を上げて俺を見た。
「嘘」
「嘘じゃないですよ」
「嘘ですよ!だって私は、ここにいる理由も、あなたが誰かも知らないのに!」
彼女は立ち上がると俺にそう叫んで詰め寄ってきた。不安と疑念入り混じった表情で目には涙を浮かべている。
俺は思わず彼女を黙って抱き寄せた。彼女から小さく吐息が漏れる、突然の出来事の筈なのに彼女も俺の背中に手を回して抱き寄せた。
「あなた誰なの?どうしてこんなに心がざわめくの?私はどうしてあなたの事を知らないの?」
「全部教えるよ、俺と君の関係も、積み上げてきた時間も全部」
そうして俺は語り始める、俺がここにいる理由、彼女が俺を知らない訳、俺がどれだけ彼女のことを愛しているかを伝える為に。
思い出の欠片を一つ一つ拾い集めて今俺はここにいた。何度だって俺は君を見つけて紡いでみせる、君と一緒に輝く宝石のような思い出を。
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