次元跳躍装置 〜狂気とデバイスと迷惑と〜

カタハラ

第1話 原因と隣

 額を床に置いたデバイスに押し当て、意識を集中させる。脳、前頭葉のジンジンとした痺れを感じる。


 もう少しだ! もう少しで見えそうなんだ!!


 上半身に全霊を込め直し、首から額へ、石のようなデバイスへ向ける力をさらに加速させる。まるで、頭に装着したヘルメット型のデバイスも呼応しているようだ。


 いっけええええ!!


 まぶたを力いっぱい閉じる。真っ暗な中の、ぼんやりとした白い光の緩やかな点滅。

 恐る恐る目を開けると、変わらない光景。反転した床の細かいホコリが光で目立つ。

「ダメか。」

 デバイスを取り外しながら呟く。

 頭にはうっすら汗をかいており、顔は全身の血が集まっているみたいに赤くほてっている。背中に汗が浮かぶ。


 この瞬間、毎回、とんでもない虚しさが襲ってくる。猛獣のような虚無感がこちらを凝視し、今か今かと待ち構えているのだろう。そんな気持ちを振り払うかのように深い呼吸をひとつ、シャワーへ向かう。

 全裸なので洗濯物がないのが救いだ。


 ◆


 何週間前だっただろう。年季の入ったパーツショップの奥の棚の、さらに奥の死角で、このデバイスセットを見つけたのは。


 黒曜石のような素材、板状のデバイス。外見からはビスが見当たらず、どんな装置が内蔵されているのか見当がつかない。その硬さと重量感は、まるで石だ。

 ヘルメットの方は、回路やチップ、半導体で隙間なく覆われ、外側の細かい凹凸が見ようによってはグロテスクだ。内側は、シリコンのような柔らかい素材と金属の組み合わさった突起物が、脳の作用するであろう場所に集中して埋め込まれている。被ると脳が微妙に震えるような、弱い電流が流れているような錯覚を引き起こす。付け心地は悪くない。


 ボケた店主曰く、これはとある研究所が解体した際の流出品だとか、軍の払い下げ品だとか、要領を得ない。ただ、このパーツショップは、その道のマニアから昔は一目置かれていたらしいので侮れない。


 とにかく、どんな装置かというと、意識を理想の異世界へ転移させることができるらしい。マッドな店主とマッドな装置だ。


 そのデバイスの真偽はどうであれ、これだけは真実だ。見つけた瞬間に、第六感の鐘が盛大に鳴り響き、祝福する教会の鐘のように脳が揺れ、寺の大鐘が背中に直撃したような衝撃を感じたのだ。そして、意識を覆う分厚い雲が割れ、啓示が神のごとく降臨した。

 これに賭けるしかない、と。


 使い方がわからない? そんなこと、取るに足らない些細なことだ。充電? 関係ない。

 被って祈れば、問題ない。確信している。


 シャワーを浴びながら思案を巡らす。目的に徐々に近づいている確かな感触はある。足りないのは、やり切るという気持ちだけなんだ。これが成功すれば、このうんざりとした現実、くだらない人生のルーティンから解脱できる。理想の世界へ行けるんだ。その希望が、全身に力を漲らせる。


 ◆


 統一された淡いミントグリーンの色合い。控えめなストライプのカーテン。窓辺には小さな花をつけた観葉植物。アロマがほのかに香りを添える。自分の家で過ごす時間は何物にも代えがたい幸せだ。


 お気に入りの紅茶から柔らかな湯気が広がる。


「うおおおおおおおおお!」


 口に含むと爽やかな風味。


「いっけええええ!」


 心が洗われるようだ。


「きたきたきたあああ!」


 至福の時間。


「もう少しだ! いけるぞおおおお!!」


「いや、うるさいな! 隣! いい加減にして欲しいよ!」

 ティーカップを持つ指に自然と力が入る。


 こんな具合に数週間前から、大切な時間を土足で踏みにじられるようになった。もういい加減、限界かもしれない。

 隣人の自分に対する、気合、鼓舞、後押し、激励が、私の部屋を侵食する。

(行けるってどこに行くんだよ。まず出て行けよ)

 少しずつ積もったストレスが、重く頭にのしかかる。心なしか部屋のグリーンは色褪せ、観葉植物も元気がない。

 そもそも何をしているのだろう?

 テレビやゲームなら、画面に向けての発声で、その声は当然、壁越しに聞こえるだろう。しかし奇妙なことに、声は床を伝ってきている、そんな気がする。

 もしかして、隣人は床に向かって叫んでいるのではないか?

 そう考えると、気温とは違う寒気を感じる。


(大家さん、もしくは、しかるべき機関に相談すべきだろうか。)


 お隣さんとは何度か挨拶したことがある。普通の外見、普通の挨拶、特に不審な点はなかった。

 今は不信感が連日ストップ高を更新し続けているが。


 声が響く中、考えがグルグルと回る。それを一つ一つ順序立てて並べていく。


 こちらに非は全くない。

 しっかりと落ち着いて主張する。

 真っ当な主張なら、きっと相手も分かってくれるだろう。


「うん。話せばわかる。人間なら」


 意を決し、重い腰を上げ、コートを羽織る。

 引き出しから取り出した護身用スタンガンを、そっとポケットにしまった。

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