68.これなら泣けますか?

 酔いは一気に冷めて、楽しかった気分も沈んでしまいました。アレクシス様は帰りの馬車で一言も話さず、私も声を掛けられません。


 騎士を半数ほど見張りに残し、私達は屋敷に戻りました。襲われた話をお父様達にご連絡しようか迷いましたが、結婚式直後です。明日、執事に手紙を届けてもらうことに決めました。起きた事件を淡々と、感情を交えずに記します。


 縛り上げた賊を通報したところ、処分を任せると返答がありました。アレクシス様は躊躇いなく、全員の首を刎ねるよう命じます。辺境伯家当主として当然の判断でした。でも……。


 自室へ戻るアレクシス様の様子に、心配そうな目を向けるアントン。彼を手招きし、明日発送するよう手配を頼みました。


「アレクシス様のことは私に任せなさい。呼ぶまで誰も近づけないで」


「承知いたしました。若奥様、よろしくお願いいたします」


 頭を下げた執事に見送られ、大きく深呼吸して階段を登りました。自室へ入り、隣へ続く扉を開きます。寝室のベッドに腰掛けたアレクシス様は、ぴくりとも動きませんでした。


「アレクシス様、よく……我慢なさいました」


 でも、もういいのです。悲しんでも、泣いても構いません。私はそんなことで離れたりしませんし、嫌いにもならないのですから。安心して思いを吐き出してください。


 少し間を空けて隣に座り、アレクシス様の首に手を回して引っ張りました。倒れ込んだアレクシス様が慌てて手をつきます。さらに引っ張って、完全に横に倒し、膝枕の体勢に持ち込みました。


「力を抜いて。今は私しかおりません」


 整えていた髪をわざと乱し、くしゃくしゃにします。元々、前髪が長めのアレクシス様は、目元がすっぽり隠れました。これなら泣けますか?


 視線を気にせず済むよう、私は壁にかかった風景画を眺めながら、アレクシス様の頭を撫でます。これ以上言葉は要らないでしょう。ゆっくりと動かす手に、わずかな振動が感じられました。


 その震えに気づかないフリで撫で続けます。心に負った傷の痛みを癒す涙が、スカートに染みました。声を殺して泣く姿は痛々しくて。


 私には同じ痛みは分かりません。想像するだけで、痛みに胸が締め付けられます。それでも分かったフリはしたくありません。アレクシス様はそんなに弱くないから、同情ではなく受け止めるだけ。


 ご自分で立ち上がる強さを持つ方です。痛む間だけ、私の膝で泣いてください。長距離を飛ぶ渡り鳥が束の間、羽を休める大樹のように。私はあなたの支えになりたいのです。


 どのくらい時間が経ったでしょうか。アレクシス様はもぞもぞと動き、乱れた髪をそのままに浴室へ向かいました。後手で扉を閉める瞬間、小さな声で「ありがとう」と。聞こえたのは、私に都合のよい幻聴でしょうか。


 小さな小さな響きの余韻を壊さぬよう、私は静かに首を横に振りました。見えていなくても通じると思ったのです。私はやっと、アレクシス様の妻になれる気がしました。

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