10.妖精姫ペトロネラの伝説――公爵夫妻

「あの子はきちんとやっているだろうか」


「どうでしょう。心配ですわ」


 公爵夫妻は居間で溜め息をつく。可愛い娘がついに嫁に行ってしまう。悲しいと感じる以上に、不安が膨らんでいた。


 とにかく見た目が美しい。故に、さまざまな男やトラブルを引き寄せた。それらを振り払える権力を持つ家に生まれたことは、ロヴィーサにとって幸いだろう。


 もし平民の娘なら、誰かに拐かされて監禁された可能性が高い。公爵令嬢であり、国王陛下や王妃殿下に可愛がられている実績があって、初めて彼女の安全は確保されてきた。


 他国の王族や貴族であっても、ロヴィーサを自由に出来ないのは「ペトロネラ」の名を持つからだ。公爵家の中で、稀に虹色の瞳を持つ女児が生まれる。不思議と男児に受け継がれた記録はなかった。この虹色の瞳が、妖精姫と呼ばれる所以だ。


「……ところで、レードルンド辺境伯は、妖精姫の真相を知っているだろうか」


「あの様子では知らないと思いますわ」


「まずいな」


 呻くように絞り出した声に、公爵夫人も頷いた。妖精姫の名を、外見の美しさで与えられたと勘違いする者は多い。王家もそれを正してこなかった。本当の理由を知られる方が、さらに騒動を大きくするからだ。


 この国は有名なお伽話が一つ、貴族平民を問わず知っている。どの家庭でも赤子の頃から聞いて覚えさせた。


 ――かつて国がドラゴンに襲われ滅びかけた時、王家の姫君ペトロネラが生贄に名乗り出た。命懸けで国の民を救おうとする彼女に惚れた妖精王は、姫に己の力を貸し与えた。妖精王の力は海色の瞳を銀に染め替え、ドラゴンを退けたという。


 詳細は絵本によって変更されているが、どの絵本も大筋はすべて同じだった。お話はドラゴンを退けたところまで。あくまでも退治はしない。お姫様のその後も描かれなかった。


 豪華仕様の絵本を手に取り、有名画家の描いた表紙を撫でる。革の手触りを確かめながら、公爵は絵本を開いた。そこに描かれたお姫様の瞳は、伝え聞く銀色ではなく虹色である。現実に同じ色の瞳を持つ姫が王家の血筋に現れたため、絵本の色や表現は変更された。


 エールヴァールは王家の血を引く、由緒正しき公爵家だ。すでに身罷った先代の王妹殿下が降嫁し、ロヴィーサはその孫に当たる。つまり妖精姫と呼ばれる証を持つ、正真正銘、妖精王に祝福された「ペトロネラの乙女」だった。


 国王陛下が他国への嫁入りを許さなかった理由が、ここにあった。この国の宝である妖精王の愛し子を、国から出せば何が起きるか。王家と公爵家は記録を残し、後世へ警告を発した。四人目の妖精姫は隣国へ嫁ぎ、国は天災に見舞われる。その被害は大きく、嘆いた姫が帰国した途端……ぴたりと止んだ。


 その伝説がある限り、十六代目の妖精姫ロヴィーサ・ペトロネラが他国へ嫁いだり、奪われる危険は避ける必要があった。国内の辺境伯に嫁ぎたいと彼女が申し出たことで、公開の告白が許されたのだ。


「……知らせておくべきだろうか」


「そう、ですわね。国王陛下にご相談しましょう」


 美しい娘が嫁ぐのだ。心配になるのが親である。特殊な事情があるペトロネラの乙女なら尚のこと。顔を見合わせた公爵夫妻は、絵本を閉じて冷めた紅茶を飲み干した。

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