第三部隊とベティー ・3
穏やかな顔で最後のひとかけらを堪能し、最後の一口まで飲み干すと全員がほっとした顔をした。
ジョンはようやく落ち着いた独身の隊員たちに、こいつらには嫁が必要とつくづく思った。嫁がいれば朝食ぐらい食べていただろう。副隊長としては隊員の健康も気になることである。朗報なのが、ベティーはお菓子まで上手に作れることであった。ジョンはいよいよ仲良くなろうとにんまりとした。
顔色も良くなり、元気になった隊員たちを見て、ふっとあることに気がついた。いくらなんでも、元気が良すぎるからだ。
まさかと思い、一人ずつ見ていく。やはりそうだ。
「ヨハン」
相棒にそっと声をかける。
「なんだ?」
「瘴気がほぼ取れているよ」
ヨハンの無表情が明らかにぎょっとした表情に変わり、隊員たちを見回した。先ほどまで半分も取れていなかった瘴気が、今はほとんど取れていた。それなのに、そのことに誰も気がついていない。
「本当だ。なぜだ」
ヨハンは考え込むように、再び丁寧に一人一人の様子を見ていった。
「なぜって」
ジョンは珍しく察しの悪いヨハンの姿に楽しくなってくる。ヨハンは訝しげにジョンの顔を見て、そしてその理由に気が付いたのか、普段は無表情であるのに珍しく驚きに満ちた表情になった。
「もしかしたら、ベティーくんのお茶とお菓子が原因か?」
この短時間にしたことは、それ以外にないでしょうと冷静に心の中で突っ込みを入れる。
「うん、それしかないよ」
ホレス隊長がベティーのことを稀なる女神と言っていたが、改めて実感した。
あの奈落の王を異界に退けるほどの神気を持った高位の女神だと、長官を含めた上層部は見ている。正直、ジョンは実感を持てなかったし、半信半疑であった。
カンザスでは感じたことのないほどの大きな神気を誰もが目にしたが、隊員たちも特将たちが何かしたのか程度にしか思っていないようであった。ジョンも隊長から話を聞いていても、女神としてのベティーに注目はしていなかったのだが、ベティーが隊員たちの瘴気を浄化したことで、ジョンは考えを改めた。
「すごいね。稀なる女神、高位の女神と上層部からは聞いてはいたけど、実感はなかった。でも、これはすごい」
「お菓子とお茶で瘴気を浄化するなど思いもよらない方法だ」
ヨハンは普段の表情のない顔から呆れた顔になり、最後には少し笑った。
「でも、理にかなっているよね。体の中に直接入るし、体の内側から瘴気を浄化できる分、効力が強い。なにより心だよ。美味しいお茶とお菓子で、美味しい、幸せ、ほっと安心してくつろげる、そう思うことが瘴気をはね除けるんだ。まあ、ベティーくんは浄化してやろうなんて考えているとは思えないし、それどころか自分のお菓子とお茶が瘴気を浄化しているなんて思っていないかもしれない」
何と言っても新人女神だし、それもこれまでまともに神将たちが力を使用したことがなかった。その力は未知数でまだまだわからないことが多い。今わかっていることは、ベティーの力が神将たちを魔物の苦しみから救っているということだ。
「なるほど。そうなるとアレス様が気に掛けるのも納得だ」
ヨハンの意見にジョンも同意する。
神将にとって女神がどれだけ大切か、それは神将にしかわからない。魔物との戦いは、苛烈で孤独だ。だからこそ、強く女神を求める。
特将となれば魔物との戦いも壮絶となり、強い瘴気を常に浴びることになるだろう。そんな男にとってベティーの存在が、生きる活力となり、明日への希望となるのだ。そして、それがいつしか側にいてくれるだけでいいと思える存在になる可能性がある。
女神がいれば、自分たちは生きてこの世界に帰ろうと思える。
女神がいるからこそ、この世界を守ろうと思う。
妻を持つヨハンとジョンだからこそ理解できる気持ちであった。
「面白い女神がニューヨークに来たね」
奈落の王の事件からジョンの心はどこか重く、息苦しさを感じていた。それが今は苛立っていた心が静まり、悪魔の瘴気をはね除けたことで楽しくて笑いたくなる。
「わが部隊に配属されたことに関しては、私たちは運がいい」
ヨハンは隊員たちを見ながら、安心したようにほっと息を吐き出した。
「あいつら、女神の恩恵に気が付いていないけどね。うかつだよな。まだまだ修行だよね」
暢気な顔をしている部下たちに、ジョンは修行を追加しようと心に決めた。
その時、デルマの目がジョンのカップに釘付けになった。
「そういえば、おかしい、おかしいと思っていたのだが」
全員がジョンとヨハンを見る。
「俺たちは紙コップなのに、なぜ二人はカップなんだ。あとDJとアイルとジョイスもだ」
エルリックはちらりとカップを見ると、名前が書いてあると余計なことを言った。隊員たちの目がぎらぎらと物騒な光を宿す。
「マイカップ持参」
ぽつりと呟いたのは嘘つきニックだ。そういう余計なことを言うときは本当のことを言うのだよね。
「そのカップに、普通にベティーくんはお茶を淹れてきましたよね。つまり、今までもベティーくんにお茶を淹れてもらっていたということですか?」
カルサスは笑顔だがどす黒い笑顔だった。ジョンはにっこりと笑い、ヨハンはいつもの通り無表情だ。アイルはそっぽを向き、DJは他人事のようにすました顔をしていた。
「紙コップですと迷惑ですから」
ジョイスは穏やかにさらりと答えた。
「「「ふざけるな!!!!」」」
怒涛の怒鳴り声が五人ほどから響いた。
「なるほど。今まで自分たちだけで美味しいお茶を堪能していたわけだ、ははは。まいったな。カップまで持参して」
四神将ギルベルクは引きつった笑いを浮かべ、周りの不穏な空気に顔色悪く胃をさすった。気苦労が絶えない男である。
「だって、ベティーくんが大変じゃん。みんなでお茶を頼んだらそれだけで大変だよ。十九人もいるんだよ。ちょっと気遣いなよ。ベティーくんも仕事があるんだからさあ。というか小間使いじゃないし」
「その言葉、そのまま返しますよ」
怨念がこっていそうな声で、カルサスがジョンに返した。
「マイカップ持参している人に言われたくありませんね」
静かな声が響く。隊員たちが全員ぎょっとした顔をした。
「セシルが喋った!」
ジョンは感動して名前を叫んだ。七神将セシルはどんなときでも一言も喋らない男だ。仕事のときでも喋らないという徹底ぶりで、謎の魔術師と呼ばれている男である。その魔術師の碧の瞳が副隊長二人を見ると、口を開いた。
「全員マイカップ持参を許可すべきでしょう」
「おお、その通りだ!」
デルマはそう言うと、立ち上がった。
「いいか、みんなカップには名前を書いておけ、それで置き場所は俺が作ってやる」
「いや、だから迷惑だからさあ。空気読みなよ」
ジョンは呆れたように言った。
「それなら、ジョン様、全員がマイカップ駄目ということでいいですよね」
ユーリは可憐な美少女の笑顔で、手に呪詛の紙を握り締めながら聞いた。ジョンは、その手にあるもの何かとは聞かなかった。ヨハンは深くため息をつくと、渋々承諾した。
「仕方がない。マイカップ持参を許可する。それから毎日のお茶の所望はダメだ。一週間に一度にしろ。そうしたら一日三人ぐらいだから、ベティーくんも快くお茶を淹れてくれるだろう」
それに関しては全員が了承した。確かに、そうでないと年中お茶を淹れないといけなくなる。
「あと、お菓子の催促もなしだよ。まさか、そんなずうずうしいやつはいないと思うけどさあ」
ぎくりとしたのは大男だ。
「駄目なのか」
「デルマ、とくにおまえはダメだよ。毎日催促しそうだ。手作りお菓子は時間がかかるんだから、ベティーくんの負担を考えるべし。わかった? 」
ジョンは特にきつくデルマに言う。その件に関しても、みんなは了承した。
「はいはい、それでは、元気になったところで、任務に関する説明をするよ」
全員が今日初めて元気に返事をした。
アイルはカップを持って辺りに注意した。よし、他の者たちはいないとほくそ笑む。本日は任務でマンハッタンまで行き、今帰ってきたところであった。
喉が渇き、何か飲みたいと思ったときに、ふとベティーのお茶を思い出したのだ。そう考えると、とても飲みたくなる。外は暑かったので、喉が渇いて仕方がない。
指定の場所に置いてあるマイカップを取り出すと、辺りに注意を払いながらベティーの側に行こうとした。
他の者に見つかれば、没収される可能性がある。今ではベティーのお茶は隊員たちの間では争奪戦だからだ。
「ベティーくん」
そっと声をかけると、郵便の仕分けをしていたベティーが顔を上げた。
「アイルさん、どうしたのですか?」
「うん、喉が渇いたのだけど何かありますか?」
ベティーはにっこりとほほ笑むと立ち上がった。
「外は暑かったですからね。ちょっと待っていてください」
とことこと席を離れて冷蔵庫に行くと、飲み物が入っているピッチャーを持って戻って来た。
「レモンティーです」
「ありがとう」
アイルはいそいそとベティーの近くにある椅子に座ると、さっそく冷えたレモンティーをカップに入れてもらった。そして一口飲む。やばいぐらい美味しい。生き返ると思いながら、はああと息を吐き出すと、うまいと心が和んだ。
「よろしかったら、これも」
ベティーはそう言うと冷えたゼリーを出してきた。今日はラッキーだ。お菓子付きだと思い、ありがたくもらう。早速食べようとしたとき、強い殺気を感じた。
はっとなり、振り返ると、じっとりとこちらを見ている者が三人いる。
アイルより上の階級である六神将スレイヤーに、七神将のチャックとセシルだ。三人とも部隊の中では寡黙な者たちで、無言でこちらを見ているだけであるが、目だけが強く訴えていた。ぶち殺すと。やばい、あとで何をされるかわかったものではない。特にチャックはかなり凶悪だ。
カップ持参が決まってから部隊の者たちは、翌日全員カップを持ってきた。本気で呆れる限りだが、まあ、このお茶のおいしさなら仕方がないことだろう。
それからずうずうしい奴らはちゃんと規則どおり、週に一度お茶を所望している。問題はこの三人だ。三人とも喋るのが苦手で、意思の疎通が難しく、なかなかベティーに話しかけられなかった。つまり、なかなかお茶を飲みたいと言えなかったのだ。
カップを持参しているが、お茶がほしいと言えない。結果、初めてお茶を飲んでから一度もお茶を飲んでいなかった。だから余計に殺気が漂っている。
まずい、というか飲みたいなら意思の疎通をしろと言いたいが、八つ当たりは自分に来る可能性があるので、このままではいけなかった。
「ああ、その、三人ともお疲れさまです。暑いですね。お仕事は終りですか?」
一応、アイルは気を使って声をかけてみた。ベティーも三人に気がつき、そちらを見た。
それなのに三人は無言だ。
アイルは、おいと心の中で突っ込みを入れまくる。せっかく話を振ったのだから、ここは自分たちにも飲み物をくださいと言うところだろう。それなのに口は出さずに、目だけはじっとアイルのカップを凝視している。目だけが語っている。自分たちも飲みたいと。口を開け、口を、とアイルはいらだった。
「少し座りませんか。それでお茶でもどうですか?」
アイルは仕方なくお茶の話をした。それでも、三人とも無言で立っている。ベティーは目をぱちくりし、三人を見ている。微妙な空気が流れた。
アイルはイライラを募らせると、いい加減に口を開けと上の階級の先輩だが、怒鳴りたくなった。飲みたいのは分かっているのだ。さっさとお茶をくれと言え、と心の中で思う。しかし三人は無言を貫き、視線だけはアイルのカップから動いていない。
アイルは気が短かった。自分の中で何かが切れる音がし、立ち上がった。
「いい加減にしろ! 飲みたいなら飲みたいとはっきりと言えや! 口がねえのか!!」
ベティーの体がびくりと動き、唖然とした顔でアイルを見た。
ギャングさながらの怒声に、三人はようやくアイルを見る。ちなみに周りの事務方のおじさんたちは無視して仕事をしている。
「飲みたい」
スレイヤーがようやく口を開いた。あとの二人は何度も頷く。
「ああ?? 俺に言うな、俺に。ベティーくんに言えや、このやろう!!」
切れまくりのアイルに、チャックの灰色の瞳がベティーを見た。
「僕も飲みたい」
ベティーははっとなり、何度も頷くと冷蔵庫に向かった。しかし、アイルの怒声はまだ終わっていなかった。
「カップ持ってきたらどうだ! 動けや! 口を開け! ぼっと立っているな!」
三人はようやく動き出すと、素直に、それどころか嬉しそうにいそいそとカップ置き場に向かっていった。
アイルはどっかりと椅子に座ると、呆れた気持ちでその行動を眺めていた。それぞれ自分のカップを持ってくると、ベティーの机の上に置いた。ベティーは冷蔵庫で冷やしていたレモンティーをカップに注ぎ、それから三人にもゼリーを渡した。
三人は黙って近くにある椅子に座ると、嬉しそうな雰囲気でレモンティーを飲みだした。もちろん無言である。アイルも気を取り直してゼリーを食べた。まったく世話がやけると思いながら、美味しいゼリーにすぐに心が和んだ。
「ベティーくん、とてもおいしいですよ」
いつもの調子でそう言うと、ベティーはどこか警戒した雰囲気で口をへの字にし、まじまじとアイルを見た。
しまったと思うと、思わず後悔する。つい切れてしまったが、ベティーはその姿を見て警戒しているようだ。せっかく仲良くなったのに怖いと思われても損だ。お菓子がもらえなくなる。
アイルはにこやかな笑顔を向けるとやさしく言った。
「ちょっと驚かせて、すみませんね」
「こいつ、切れるから腹黒」
普段無口のチャックがぽつりと言う。アイルはギロリと睨んだ。
「チャック、余計なことを言わないでくれます?」
「悪魔のアイルと呼ばれている」
六神将スレイヤーまで暴露した。
普段は喋らないのに、余計なことは口を開くと文句を言いたかったが、さすがに六神将に口答えはできなかった。恩をあだで返すとは、ひどい奴らだ。顔を引きつらせながら、アイルはそれでもひとこと言いたかった。
「あのですね。飲みたいなら、ちゃんと飲みたいと言ってくださいよ。ベティーくんだって困るでしょう。なぜ無言で立っているのですか。無言じゃわかりませんよ。一言二言でもいいので会話してください。いい加減にしてくださいよ」
思わず、ぶつぶつ文句を言っていると、スレイヤーはちらりとアイルを見て、ゼリーを食べた。
「美味しい」
そして一言である。アイルの顔がぴくぴく引きつる。本当に一言かよとイラつきが湧き上がった。そんな無言の男たちを前に、ベティーは怒ることなく、とても素直であった。
「スレイヤー様は、果物は何がお好きですか?」
つんつん頭の数学者は静かに答える。
「様はいらないよ。いちごすき」
「僕もいちご」
チャックがすかさず言う。セシルは頷く。
「私もいちご好きです。あ、そうだ。これも」
そういうと、ベティーはごそごそと自分のバッグから少し大きめの缶を取り出した。缶を開けると中から甘い匂いが漂う。缶の中にはクッキーが入っていた。
「ちょうど、いちごのクッキーを焼いたのです。みなさん、おなかが空いたときにどうぞ食べてください」
そう言うと、いちごのクッキーを何枚か紙に包んでそれぞれに渡してくれた。アイルももらうと、にやりとした。本当に今日は、ラッキーだ。
ちらりと無言の三人衆を見ると、珍しく穏やかな表情をしていた。どうやら相当嬉しいらしい。
ベティーくんはすごいなとアイルは感心した。この三人は本当に気難しい。その三人を同時に機嫌よくさせるなど奇跡に近いことだ。
「ありがとう」
一カ月のうちに一言か二言しか言葉を発しないセシルが口を開いた。
本当にすごいと、アイルはベティーを尊敬した。
ベティーは第三部隊の神将たちの胃袋を掴み、ファンを着々と増やしていたが、本人はまったく気が付いていなかった。
この少女が第三部隊の任務に着いてくることがあるのだろうか、アイルはそんなことを考えながらレモンティーを飲む。ベティーの幼い顔を見ていると、当分ないだろうと、どこかで安心していた。
しかし、ベティーの第三部隊での初任務参加は思ったよりも早く訪れることになった。
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