第3話 -1

 神団専用の食堂はとても広く、ベティーの目にはとてもおしゃれに見え、いつも自分には場違いのような気がしてなかなか慣れない。今日も一人で昼食をとり、目立たないように端っこで食事をしていた。  

 神将たちのベティーへの対応は食堂での一件以来、よけい悪いものになった。もともと誰からも声を掛けられることはなかったのだが、今は奇異の目で見られるようになり、より孤立を深めてしまった。第三部隊の神将の全員を紹介してもらったが、距離が縮まったとは言えない。そして、問題は女神たちの方であった。あからさまにベティーをなじるような言動をとる女神が多くなったのだ。


 機関にいる女神の数は神将より少なく、その中で神団に配属される女神の数はとても少ない。機関に配属されていまだに直接先輩女神たちと話したことがないが、食堂では見かけることがあった。今もこの食堂に見える範囲で十人以上はいる。その女神のたちの悪口で、ベティーはようやく自分の立場を理解した。


「長官のえこひいき」

 今も席で昼食をとっていると、そのような会話が聞こえてくる。そもそもベティーの立場はあり得ない事だった。 


 本来、学校を卒業した女神はニューヨーク部隊所属となり、新人の神将候補とともに研修を積む。神将候補は一年の研修を積み、正式な神将となるが、よほどの力を持っていない限り、最初はニューヨーク部隊に入るのが普通だ。女神も同じで、いきなり新人女神が神団に入るのは、それだけ強大な神を秘めた女神のみであった。

 ベティーは女神としての力は高位でも低位でもない。階級で言えば十神将にぎりぎり力を与えられるぐらいの神気を持っていると機関では判断されていた。神団に入ることができるのは十神将からなのだから、ベティーに資格はないとは言えないが、新人として神団に入れる力を持った女神とは言えなかった。

 そんな女神が神団に入ったのだから、長官のえこひいきと呼ばれても仕方がない。


 ベティーは小さくなりながら食事をする。なぜ、自分が神団に入ることになったのか、長官のえこひいきと呼ばれているのか、その理由は女神たちの悪口ですぐにわかった。


「いくら長官が自分で引いたからといって」

 あからさまな敵意の目に、ベティーは何も言うことができない。


 神団の女神はその身に宿す神が強い者が多いため、プライドが高い。強い神を宿す女神を高位とし、神とは名ばかりのものを宿す女神を低位と呼んでいる。ここにいる女神たちのほとんどが高位の存在で、低位の女神を下に見ている者が多かった。

 ベティーも彼女たちから感じる強い神気に畏敬を覚え、余計に委縮していた。 

 

 神団にいる女神たちは一人一人が独立した存在だ。一応は部隊の所属となっているが、部隊に縛られているわけではない。第三部隊所属の女神のうち七人は第三部隊の神将を正式なパートナーとしており、パートナーだけではなく夫婦であり、子供もいる。現在は幼い子供がいるから、要請がなければ子育て中とのことだった。

 第三部隊の中でパートナーも定まっておらず、結婚もしていない女神は四人だけだ。彼女たちは他の部隊の任務に就いているため、第三部隊の建物には来ない。だからこれまで会わなかったのかと、ベティーは妙に納得してしまった。

 第三部隊所属なのに、他の部隊の任務についていくのはいいのかと疑問に思ったが、すべては神将と女神との相性という面で許されている。女神たちは自分と合ったパートナーを探すためであれば、機関はそれを許していた。


「ゆるせない、ゆるせない」

 ベティーは強い怒りの声が聞こえ、顔を上げた。いつのまにか憤怒の表情で側に立っていた女性に怖くて体が震えた。その美しい容貌から女神だとすぐにわかった。

 頭上から強引に抑え込むような重圧がベティーにかかる。目の前の女性の神気が彼女の怒りに引きずられるように漏れ出していた。怒りの神気は人にとって良いものではなかった。


「この力のない女が、調子にのってこんなところにいるなんて、恥を知れ!」

「おまえのような者がいる場所じゃない! 」

「目障りだ、二度と来るな!」

「私の前に姿を現すな!」

「恥さらし! 」

 止まることなく罵声を浴びせ続ける

 ベティーは両手を握りしめながら、体を締め付けるような神気に必死に耐えた。


「醜い女が」

「愚かな女が」

「長官にわがままを言って神団に入ってきた力のない者め!」

 座っていた椅子が大きく揺れ、ベティーは息をのむ。女性が座っている椅子を押したからだ。彼女の神気がより強くなり、凶暴性も増していく。

 そして女性は、右手に持っていた薄いプラスチックでできたケースをベティーに投げた。彼女の威圧的な神気で動けなかったベティーは避けることもできずに、ケースが頭にぶつかった。鈍い痛みとともに衝撃で眩暈がした。

 彼女は続けてベティーを椅子から引っ張りだそうとする。ベティーは抵抗するように身を固くして、どうすることもできずに、ただ耐えるだけであった。

 その時、女性の強い神気を抑え込むように別な神気を感じた。


「おお、いやだ、神に乗っ取られている」


 女性の動きが止まった。

 ベティーはそっと目を開けると、いつのまにか喚いていた女性の後ろに美しい女神が立っていた。そしてポンと軽く後ろから女性の頭をなでたとき、女性は白目になりその場にゆっくりと座り込んだ。まるで操り人形の糸が切れたかのように、ゆっくりと横に倒れた。

 月の女神の化身とも言うべき紺色の長い髪を腰まで垂らし、金色の瞳をした麗しい女神は、優美な姿とは反対に動作がどこか男らしく、不遜な態度でじろりと周りを見回した。見事に美しい体の曲線を見せるようなぴったりとした黒いパンツに、白いシャツというシンプルな服装であったが、とても妖艶でもあった。


「情けない。これだけ神将がいながら女神の暴走一つも止められないのかい」

「助かりました。ありがとうございます、シリア様。私たちでは止められませんでした」

 近くにいた女神たちがほっとした表情になり、一人の女神がそう言うと、シリアと呼ばれた女神は肩をすくめた。

「まあ、彼女の神はかなり強いからね。このまま病院へ連れて行ったほうがいいだろう。彼女は神を制御できていなかったから、このまま入院だろうね」


 高位の女神の神気を受け、いくら神団でも階級の低い神将ではとっさに動けなかったのだ。ベティーの周りにいる神将たちは、まだ強い神気を受け、頭を抱えている者もいる。

 何事かと遠巻きにしていた中から、とても体の大きい一人の神将が出てくると、軽々と女性を抱き上げた。

「すまない、感謝する」

 そう告げると、女性を連れて行った。


 ベティーはようやく何度も深呼吸をし、頭を押さえながら目の前の女神を見上げた。きらきらした金の目がまっすぐとベティーを見ている。

「いいねえ」

 妖艶な美貌が間近に迫る。思わず、ベティーは椅子から落ちそうなほど後ろにのけぞった。

「とてもいいよ。ぞくぞくする」

 美しい瞳がにっこりとすると、嬉しそうに口元が上がった。

「あ、あの」

「とても私の好みだ」

「へ? 」

「まぬけすぎる。まぬけわんこ。困った顔のわんこだ」

「はい?」

「ベティーくん、頭は大丈夫かな? 」

 薄いプラスチックでできたケースが頭にぶつかったが、今は痛みもない。

「だ、大丈夫です」

「ふふ、それは良かった。彼女が持っていたものが軽いもので良かったね。わんこちゃん」

 ベティーは気が動転していたため気が付かなかったが、周りにいる神将や女神たちはベティーと美しい女神から視線をそらしていた。ベティーがけがもなく大丈夫だとわかると、何事もなかったかのように周りは食事を再開していた。

 美しき女神はベティーの前にある椅子にどっかりと足を組んで座ると、にこにこと笑った。

「自己紹介からだね。私はシリアという。所属はない。よろしく」

「あ、その、はい。ベティーといいます。第三部隊所属です。よろしくお願いします」

 ベティーは気が動転しながらも、いつもの習慣で背筋を伸ばし、しっかりと自己紹介をした。目の前にいる女神のただならぬ雰囲気から、絶対に偉い女神様だと思うし、いろいろな意味で逆らってはいけない人だと感じたからだ。


「あれを前にえらかったな。なかなか根性がある」

「あの女神様は内なる神が現れようとしていたのですか? 」

 女神シリアは楽しそうに子供のような笑顔になると、金の瞳が興味津々に輝いた。

「よく見ているのだな。うん?あの女神の神がどのような神かわかるか?」

 ベティーは少し考え、恐る恐る答えを言う。

「オリュンポス十二神の女神ヘラと呼ばれている神ですか?」

 シリアはにっと笑うと、楽しそうに身を乗り出した。

「おもしろいな。よくわかったな、正解だよ。なぜ、わかった? 」

「あのように激しく怒っていましたが、戦いの神ではないと思いました。女神は内なる神に左右されます。かなり激しい神で、公平でプライドが高く、人に厳しい、そして何より女性に厳しい神で、力が強いとなると限られると思います」

「はは、ははは、なるほど、女性に厳しい神となったら、確かに世界の中でも一、二を争うわな。彼女にぴったりの神だろう。相性がいいのだよ。彼女はもともと潔癖で人に厳しい性格だから」


 ベティーはその意見には口をつぐむ。シリアはそんなベティーを見て、賢いわんこだとつぶやくと、少し小声になった。

「あなたが気にすることはない。悪いのは全部、長官なのだから。ベティーくんはまったく悪くないな。ここにいる神将も女神も大人げない」

 シリアはベティーの立場のことを言っているのだとわかると、ベティーは力なくうつむいた。

「異例のことだと」

「まあ、確かに異例だな。あの人は愛着がわいたものには執拗だからな。あの人の性格からしたら、それは愛着が湧くだろう。それに自由人だし、勘で生きているような人だから、このようなことも行うだろうさ。今回のことは、まあ、あまり考えずにやったことだよ」

「本当の話なのでしょうか」

「うん、本当だ」

 その言葉によけい項垂れる。

 ベティーが神団に入った理由、それはベティーがニューヨーク機関に入ることになった理由から来ていた。


 ベティーが卒業した学校は女神の学校として、とても有名であった。

 ベティーには同じく卒業を迎えた同級生が九人いた。ベティーを含めて十人の女神がその学校から卒業となった。そして、卒業した十人の女神のほとんどが高位の女神であったのが問題であった。貴重な女神で、それも高位だ。どの機関でも女神は欲しい。そこで、ヨーロッパ大陸と北米、南米の機関、大都市と地方都市を合わせて十都市が名乗り出た。大都市ばかりに高位の女神が行くことはいさかいのもとである。卒業をさせる学校側は、公平にするため、十都市の長官にくじを引くことを求めた。すべては運と縁である。そして、結果、ニューヨークの長官はベティーを引いたということだった。

 一番のはずれを引いたと、一部の神将からの風当たりが強い理由は優秀すぎる同級生たちの存在が関係していた。


「自分で引いたわけだから、愛着が強いだろうね」

 そして神団に入った理由は、今、シリアが言った言葉に集約される。新人の人事など普通は関わらない長官が関わった理由は、自分がニューヨークに引っ張ってきたからだ。


「だからベティーくんのせいではないのは、ほとんどの神将と女神がわかっているよ。一部、あのような者もいる。まあ、もう神団に入ったのだから、ニューヨーク部隊に移ることはないと思うね。力が弱いといっても女神だから神団でも十分だ」

「はい」

 ベティーはそのように返事するしかなく、ようやく自分が遠巻きに見られている理由に納得した。


「ああ、あと神将と女神たちが近づいてこない一番の理由は若いからだな」

「はあ? 」

「おお、自覚がないな。十六歳は機関最年少だ。神将候補生でも十八歳からだから、十六歳になじみがない。十六歳で機関に入れるのは女神だけだからね。そして、今年機関に入った十六歳はベティーくんだけだ。ベティーくんは、現在ニューヨーク機関最年少、ふふふ、おかしいよな。それでね、ニューヨーク部隊の方がまだ若者がいるが、神団に上がってくる神将なら十代はいないからな。女神もね。特に神将のおじさんたちは十六歳の少女にどう対応していいかわからないのだよ」

 がはははと優美な外見には似合わないほど豪快に大口を開けて笑う美女に、ベティーはぽかんとした。ベティーは気が付かなかったが、周りのおじさん神将たちは目をそらし、苦渋の表情をしている。


「シリア、そこまでにしたらどうだ。おじさん神将たちがいたたまれなくなっているぞ」

「ホレス隊長」

 ベティーは直立不動で立ち上がった。シリアはつまらなそうに自分の側に立つホレスを見ると、少し唇を前に突き出した。

「誰が通報したのだ」

「ここら辺にいたおじさん神将が、怖い女神を回収してほしいと要請がきた」

「怖い女神だと?無駄に度胸だけはあり、根性のないおじさんというと、あのあたりか」

 ぶつぶつ言いながら、じろりと周りをにらんでいる。


「それに、ベティーくんを念のために病院に連れて行きたい」

 シリアは腕を組み、面白くないと言わんばかりに顔をしかめた。

「傲慢な女神が神気で威圧し、彼女に怒りをぶつけていた。ベティーくんは何もしていないと言うのに。気に入らない。神団に配属だって、ベティーくんの責任ではない。不愉快だ」

 女神と神将を非難した言葉に、ベティーの方が青ざめた。ホレスは咎めることなく、シリアの言葉に同意した。

「ベティーくんに何も問題がないのは同意見だ。高位の女神であるシリアがこの場でそのように言うのだから、今後は大概のやつが文句を言うのを控えるだろう。第三部隊の隊長として、ベティーくんへの行いは見過ごせない」

 ホレスは周りに聞かせるかのように、食堂の中で声が響いた。それでもシリアは納得していない顔でホレスを睨んだ。

「このかわいさがわからないなんて、目が腐っているとしか言いようがない!女神も神将も愚者ばかりだ。愚者めが! 美しさなど当たり前、そこらへんにごろごろいるだろうが。みろ、このまぬけなかわいさを! 八の字眉で、目ぽちがたまらない。そんじょそこらの美しさなど太刀打ちできないほどのまぬけな顔を! 」

「いや、おまえが誰よりも失礼だ」


 ホレスはシリアに冷たいまなざしで言うと、一つため息をつき、目配せするように右側を見た。ベティーは思わず視線をたどりそちらを見ると、ジョンがにっこり笑顔で立っていた。ジョンは素早くシリアの前に来ると、有無を言わさず、なおかつ丁寧に腕を取り立たせ、強制退場させるために拘束した。その動きは早く、手慣れていた。

「なんだ! まだベティーくんとお話し中だ! ジョン! 邪魔だ。私の癒しの時間の邪魔をするな! 」

「すみませんね、終わりです。隊長から強制退場の依頼が来ましたから、ざ、ん、ね、ん、でした~」

「うおおお、離せ!ベティーくん! また会おう!! ははははは! 」

 美女が昔のコメディ映画の悪役のような高笑いをしながら、引きずられ去っていく。ぼうぜんと言葉を失い呆けているベティーに、ホレスは優しくベティーの肩に手を置いた。


「あ、あの、シリア様は?」

「ああ、あのおばさんは話が長いから強制退場だ。止めなければ、いつまでもベティーくんにかまっているだろう。理解不能かもしれないが、あんなものだと思って流していい」

 どこかで似たような言葉を聞いたような気がして、事務局のマーティンが神将のことをそのように言っていたことを思い出した。ベティーは、大人の世界は難しいものだと素直に頷いた。


「シリア様には助けていただきました。とても美しく強い、優しい女神です」

「‥‥ベティーくんは本当にいい子だ。さて病院に行こう。クリティーナの強い神気を受けたのだから、異常がないか見てもらった方が良いだろう」

「大丈夫です。どこも問題ないです」

「攻撃的な強い神気は人にとって毒だ。あの女神の特性を考えると、余計に心配だ。神々の女王であり、結婚の神にして、女性、いや家庭の守護神としての特性を持つ神だ。それに今の時期は愚かで間違いを犯した少女にはとても厳しい、老女の時期にいる。だから神気の圧力は容赦がなかっただろう」


 女神は内なる神に左右される。それは学校で一番に習うことだった。女神ヘラのペルソナは三つに分かれているという。処女の時期と呼ばれる無垢な乙女のとき、主婦の時期と呼ばれる自信に満ち家庭を守り賢妻のとき、そして老女の時期と呼ばれる疑心暗鬼となった老いた女のときだ。その時期により神の特性が変わり、一年をかけてその時期を巡り、再び処女に戻り、この周期を繰り返す。

「神がベティーくんを間違いを犯した少女だと思っているわけではない。神の器であるクリティーナは、ただの人であることから未熟な部分がある。あれは噂話に感情を制御できずに、中にいる神を暴走させた結果だ」

 ベティーはホレスの説明に硬くなっていた体の力を抜いた。自分でもずっと緊張していたことに、気が付ついていなかった。力を抜いてしまったことでの反動なのか、体が鉛のように思い。すると先ほどは痛くないと思っていたのに、頭に鈍い痛みを感じた。

 呆けたように座り込む幼い少女に、ホレスは父か祖父のように優しく肩をたたいた。

「やはりな。今頃になってショックの反動がきているのか。ベティーくん、ゆっくりで良いから立てるか? 」

 ベティーは言われた通りにホレスに支えられながら立ち上がった。少しぼんやりとしながら、支えられるままに歩き始めた。

 席の近くにいた神将や女神たちが、ホレスに支えられながら歩くベティーに視線を向け、誰もが小さくため息をついた。思ったよりも大勢がため息をついたため、驚くほど大きくため息が響いたのだった。



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