愛が生まれる薬 後編
○
予想外の事態が起きた。
「なあ、助手。君、今なんと……?」
「好きです! 結婚して下さあああああああああああああい!」
「わかった、わかったからそんな大声でいうのは止めておくれ。外に声が漏れたら恥をかくのは君だぞ?」
助手君がぽかんとしたところで、私は今の状況を思い返した。
ええと? まず私が作ったおそらく世界で最高の効力を持ちつつ、体に害のない避妊薬を彼との性行為で試そうとしたんだっけ? そんで、彼に頼んだら求婚されたと。
求婚されたの!? 私!?
……もしかしたら、彼はそういう体の軽い女が好きなのかもしれない。
別に私は体が軽いわけでもなく、というか、社会不適合者どころか人間不適合者の私とそういう関係になるような男がいるわけもなく、むしろチャラっぽさとは無縁の助手君だからこそ頼んだのだが……人は見かけによらないとも言うし、もしかしたら、意外にも彼はやりまくりのプレイボーイなのかもしれない。
だとしたら私に向ける愛情が重すぎやするとは思うけれど、一応聞いておこう?
「君は体が軽い女が好きなのか? こういう頼み方をする女は大抵、他の男ともそういう行為をすると思うぞ? 実験だなんだとか言って」
あああああああああぁぁぁ!
また嫌味な言い方になってしまったぁぁぁ!
亜太郎君は物好きだねえとかで良かったじゃん! なんで私はこんな嫌味な返し方しかできないのよもうっ。
「それは嫌です」
「だろ?」
「だから結婚して欲しいんです」
「⁉」
訳が分からない。意味も分からない。
文系か? 文系の話をしているのか? 理系の私の頭では追いつかないことを話しているのか?
「少なくとも、結婚をしてしまえば、夫以外の性行為は不貞行為に当たるので、リスクとリターンを考えれば部長は僕としか出来ないと思ったからです」
「違う違う! 実験のために不貞行為をするかもしれない女だぞって言ってるの! 例えば、十二歳以下の男と私が性行為しなきゃいけない実験があったら、夫がいようと私はするよ? そういう女だよ? 私は」
私としたことがとんでもないことを言っている。
十二歳以下の男と性行為をしなきゃいけない実験なんてないし、普通に犯罪だからしないし、でもこれは彼を間違った方向に、私と結婚などという奈落に行かせないための例え話だ。
流石の助手も私の倫理観の無さに苦虫をかみつぶしたみたいな顔になっている。
「……わかりました」
「わかってくれたか! よしよし、それでいいんだ」
「部長の作った薬で僕を幼くしてください」
マジかあ!
その手があったなあ!
「部長が不貞行為をしないためならいくらでも治験しますよ」
「いつもだったら嫌がる癖に」
「そりゃ嫌ですよ。何が起こるかわからないんですもん」
「そもそもなんで君は私と結婚したいんだよ」
「そりゃ好きだからです」
「……なんで好きなんだよ? 顔か?」
「最初はそうでした」
「え、冗談で言ったんだけど」
「艶やかで一本一本の線が美しいボブカットの黒髪、楽しそうに輝いてるけどどこか思索的な切れ長で大きくて睫毛の長い二重の目、横顔のシルエットが分かりやすい高い鼻、ぷっくりとしつつそれでいて蠱惑的な赤い唇。ああ、肌の白さについて言うのを忘れてしました。いいや、顔のパーツばかりで造形についても言わなくては――いや、その丸眼鏡がいかに似合っているかについても語らなくてはいけませんね!」
「もういいっ! もういいからほんと!」
「でも、部長のことを好きになったのは、顔がいいからではありません」
「もうっ、まだ言うの⁉」
「僕の父と母は、僕が五歳の時に死にました」
「…………?」
「それから、僕は叔父と叔父の家で暮らしていました。今はその叔父から支援を受けて別居をしてします。叔父は僕のことが好きではありませんでした。叔父は所謂シスコンで、母を自分から奪った父を大層憎んでしましたし、飛行機の運転手として、母の乗っていた飛行機を墜落させたことで、母を殺したと思っています。
父の分身であり、母では無い僕を愛してはくれませんでした。
僕は、愛のない環境で十年を生きていました。そしてとうとう、叔父からも家を追い出されました。
……僕は交通事故なんて言いましたけどね、本当はあの時、ギリギリかわせたんです。
……人生が上手くいかないなら、死に方も上手くいかないもので、結局、生きながらえてしまいました。
そんなとき、あなたが声を掛けてくれました。今まで楽しかったです。でもそれだけじゃありませんよね? いつか先輩の薬で僕が死にそうになった時がありましたよね。
あの時、先輩は凄く必死な顔で解毒薬を作ってくれましたよね」
「…………」
「その時の必至そうなあなたの顔に、僕は惚れたんです。交通事故で死にかけても、面会に来なかった叔父とは違って、部長は僕を心配してくれる。あの顔に、僕は父と母の愛情を感じたんです」
「いやっ、でも私は、っていうか私の薬のせいでそうなったんだから、それは私が悪いから私が必至になるのは当然で」
「あの薬、唯一死にかけたあの薬、あれは僕がジュースと間違えて飲んでしまったもので、勝手に飲んだ僕が悪かったんですよ」
「いや、でも」
「それより部長、僕じゃ駄目ですか?」
急に話を戻したな。
ぼ、僕じゃ駄目ですかって……えぇ?
顔は悪くない、手先も器用で、素直で、体力もあるし、そういう面では男として頼れる。
何よりなんだかんだ言って、わがままな私と一緒に居てくれるくらいには優しい。
うーん、十分。
こんだけありゃ十分。
「部長が結婚してくれなきゃ、大変なことになりますよ?」
「大変なことって?」
「部長には何もしません。部長の周りの人にも何もしません。ただ僕の手首にしわが増えるだけです。赤いしわが」
見つかった――ッ!
欠点見つかったッ!
ヤンデレだったよこの子!
でも寄りにもよってヤンデレかあ。
まずいなあ、ヤンデレはまずい。
私、ヤンデレ好きなんだよなあ。昔から愛されてこなかったから、このくらい重い愛が欲しかったんだよな。
ちょっと待て、ヤンデレってこんな最初から飛ばすタイプだっけ?
知らず知らずに相手がくっついちゃって、そこから内なる独占欲が……みたいなのがヤンデレじゃなかったっけ? ヤンデレになるような人って、いきなり求婚するくらい積極的だったっけ?
というか、なんでこの子は急に結婚したいとか言い出したのだろうか?
「そりゃ先輩が自分が作った薬品のためにセックスしようとか言うからでしょ」
「ならなおさらだよ。私のことが好きならエッチしたいでしょ? でもいきなり求婚したら嫌われるかもしれないじゃん。今は黙っておいて、後で言うとか、せめて行為後に言うとかの方が良くない?」
「僕は先輩のことを心から愛しているんです。だからそういう騙すようなことは出来ません。そういうことをするなら、僕の気持ちを知っておいて欲しいんです」
「……真面目」
「好きな人に紳士的でありたいと思うのは皆そうですよ」
「う、うう」
私はなんてことをしてしまったのだろう。
こんなに紳士的で素直ないい子を、自分のためだけに食い物にしようとしていたなんて……本当に情けない。
「わかった。いいよ、でも、一つ条件を出させてもらう」
「なんですか?」
「私は君のことをまだよく知れていない。それと同じように、君も私のことをよく知れてない。だから、結婚は待ってくれ」
「…………はい」
「そんなに悲しそうな声を出さないで欲しい。何も嫌だって言ったわけではない。その……私も君のことは嫌いじゃない。それに私のことを好きだと言ってくれるのは嬉しいし、君以外はきっとどんな意味でも、私のことを好きだとは言ってくれないくれないと思う。だから、私のことを彼氏として見定めて欲しい。君も、私のことを彼女として見定めて欲しい」
私の精一杯の好意だった。
なんだか煮え切らない変な答えになってしまったが、彼は、にこりとはにかんだ。
「部長と結婚できるように頑張ります!」
「ああ、私も頑張るよ」
愛のない生まれの私と、愛のない環境で育った彼、私たちなりの愛を生み出し育んでいこうと思う。
○
どうせだから、カップルっぽいことをしようと私はスマートフォンにイヤホンを繋ぎ、イヤホンを片方を彼に渡した。
彼は渡したイヤホンを繋ぎ、私はいつも聞いているプレイリストをシャッフル再生で流した。すると斉藤和義の渋い歌声が流れて来た。
愛無き時代に生まれたわけじゃない
全くだと思った。
愛のない生まれ方をした私ですら、彼を見つけることが出来たのだ。
そして優しくなりたいなと不意に私は思った。
彼にもっと好かれるために。
勢いに任せて、私は彼の頬にキスをした。すると彼は唇にキスをしてきた。少し乱暴な手つきだった。我慢の限界なのかもしれない。きっとそうだろう。何せ彼は私のことが好きなのだから。
胸がどきどきした。彼も顔が赤くなっていた。
そこから十秒、あるいはこれから先もずっと、私たちは見つめ合っていた。
○
その後、あそこで押し倒さなかったのは流石に紳士的過ぎると、彼に説教した。
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