第11話 自動車教習シミュレーター

 ……次の日、俺はソファーに座って妙な兜を被らされていた。


「な、なんだこれは?」

「シミュレーターに使うヘッドギアじゃ」

「ヘッドギア……は被ってるこれのことか。シミュレーターって?」

「現実ではなく、仮想で行うということじゃ」

「そ、そうか」


 全然わからん。


「ハバンにはデュロリアンの運転を覚えてもらう」

「運転? あのジドウシャってやつを俺が動かすのか?」

「特殊な操作は覚えなくてよい。運転だけできればいいんじゃ」

「お、俺にできるかな?」


 あれが動くことさえ未だに理解できないのだ。

 自分で動かすことなどできる気がしない。


「大丈夫じゃ。今から最大で3か月間、みっちりと特訓させてやるからの」

「さ、3か月? あのデュロリアンを使ってか?」

「いや、あれは次の異世界に向かっておるから使えん」

「えっ? じゃあどうするんだ? それに次の異世界にはあと2日で着くんだろ? 今から3か月じゃ、当分は運転で役に立つことはできなそうだけど……」

「だからこのシミュレーターを使うんじゃ」


 ヘッドギアから伸びる紐みたいなものの束をパソコンに繋いでツクナはポチポチ操作する。


「どういうことだ?」

「それはシミュレーションが始まってから説明するのじゃ」


 始まるって、なにがどうなるんだろう? やっぱり全然わからない。


「では始めるぞ。目を瞑れ」

「うん」


 言われて目を瞑る。


「開いてよいぞ」

「ん? もう?」


 瞑って一瞬ののちに目を開く。と、


「えっ?」


 目の前には見知らぬ光景が広がっていた。


 なにもない。真っ白な場所だ。


「ツ、ツクナっ? どこにいるんだっ?」

「ここじゃ」

「えっ? ん? どこ?」

「ここじゃ」


 足元を見ると、手の平に乗りそうな小さなツクナがそこにいた。


「な、なんでそんなに小さいんだ?」

「このツクナは本物ではないからじゃ」

「どういうことだ?」

「まあつまりここは現実でないということで、夢の中とでも思えばよい」

「ゆ、夢の中か……」


 夢にしては現実感がある。


「ツクナを肩に乗せるのじゃ」

「うん? ああ」


 左手に乗せた小さなツクナを右肩へと乗せる。


「ここでの3か月は現実での半日じゃ」

「3か月が半日?」

「頭が感じる時間を圧縮して、シミュレーション内の3か月を半日にするのじゃ。まあやろうと思えばもっと圧縮できるんじゃけど、やり過ぎると脳に負担がかかるからの」

「な、なんだかわからんが……」

「わからんでもよい。ここに3か月いても、現実では半日しか経たんと信じればよい。まさかツクナの言うことを疑うことは無いじゃろ?」

「それはもちろんだけれど。ここでどうやってジドウシャの運転をするんだ? なにも無いぞ」


 ここにあるのは真っ白い大地と空だけだ。ジドウシャなど影も形も無い。


「慌てるな。今そこに出す」


 ツクナの指が虚空を叩くと、


「おわぁっ!?」


 目の前にジドウシャ、デュロリアンが出現した。


「まずはなにもないところを走ってみよ。慣れてきたら他の自動車も行き交う仮想の町を走ってもらう。一応、基本的な道交法も学んでもらったほうがよいな」

「ド、ドウコウホウ?」

「安心せい。自動車の動かし方と必要な道交法など、どんなアホンダラでも覚えることができる。賢いハバンならば2週間もあれば十分じゃろ」

「か、賢いかどうかはわからないけど」


 まあツクナがそう言うならばそうなんだろう。

 不安だったが、ちょっと自信がついた。


「さあデュロリアンに乗るのじゃ。練習開始じゃぞ」

「おう」


 言われた通り俺はデュロリアンに乗り込み、運転の練習を始めた。


 ……


「……はっ」


 目を開くと前に見えたのは見覚えのある光景だった。


「も、戻ったのか?」

「うむ」


 眼前でイスに座っているツクナが振り返ってこちらを見ていた。


「どれくらい経ったんだ?」

「2時間くらいかの。シミュレーション内ではだいたい2週間じゃ」」

「そうか」


 なんだか妙な感じだ。このヘッドギアを被ってから2週間経った感覚はあるのに、実際は2時間しか経っていないとは……。


「運転はできるようになったみたいじゃな」

「ああ。ばっちりだ。道交法もな」


 親指を立てて見せると、ツクナは満足そうに頷く。


「最大3ヶ月はかかると想定しておったが、2週間で終わらせてくるとはの。たいしたものじゃ。うむ。では飯にするかの。丁度、昼時じゃ」

「うん」


 ヘッドギアをはずしてもらい、昼飯をいただくことにした。


 ……


 やがて翌日になり、そしてあっという間に2日経つ。


『まもなく次の異世界に到着します。到着まで30分』

「ん?」


 どこからか声が聞こえ、ソファーでロリポップを舐めていた俺は周囲に首を巡らす。


「なんの声だ?」

「デュロリアンからの報告じゃ。間も無く次の異世界に着くようじゃな」


 パソコンのキーボードを指で叩きながらツクナが言う。


「自動車がしゃべるのか?」

「意志を持ってしゃべるわけではない。単に必要なことを報告するだけじゃ。それよりもデュロリアンに戻るぞ。到着するようじゃからな」

「ああ」


 イスから立ち上がったツクナが床を開く。


「ハバンは運転席へ座れ」

「あ、うん」


 さっそく運転の腕を生かせということか。


 床を下りてデュロリアンに戻った俺が運転席に座ると、すぐにツクナが隣の助手席に座る。


「ん? あれ?」


 足が伸ばせない。アクセルとブレーキが本来より近い位置にあった。


「おっとすまんの。ツクナが運転しやすい位置にアクセルとブレーキを調整しとったんじゃ」


 助手席前の収納であるグローブボックスから小型のパソコンを取り出したツクナがそれをポチポチ操作すると、


「お」


 アクセルとブレーキが押し下がって丁度よい位置になる。


「よし。それで、これから到着するのはどんな異世界なんだ?」

「ツクナが生まれ育った世界に近い異世界じゃ」

「へーそれは楽しみだな」


 シミュレーター内で町中をデュロリアンで走ったが、これから行く世界はあんな感じなのだろうか。


「素朴な疑問なんだが、ツクナの目的を達成するのは自分の生まれ育った世界ではできないことなのか? わざわざ異世界に移動してやるより早いと思うけど」

「良い質問じゃ」


 ロリポップを咥えてパソコンを操作しながらツクナは言う。


「同じ世界で生まれ育った生物の影響では修正が無意味なんじゃ。同じ世界で生まれた生物が他の誰かになにをしようと、起こることはすべて神の想定内じゃからな。自分の意志なようで、実は神の想定通り行動させられているのじゃ」

「よ、よくわからんが、異世界なら神の想定外になるのか?」

「神は生物が別の世界に行くことを想定していないからの」

「けど、ツクナがこのデュロリアンを作って異世界へ行くことは神の想定じゃないのか?」

「賢い質問じゃ」


 こちらへ顔を向けてツクナはニッと笑う。


「そもそも、異世界へ行く方法を生物は創造することができない。神が制限をかけておるからの。異世界があるのでは? と考えることはできても、行く方法を考えつくことはできないようになっておるのじゃ」

「えっ? でも実際にこうやって異世界へ移動してるじゃないか?」

「それはツクナが神の想定内から抜け出しておるからじゃ」

「そ、そんなことができるのか? どうやって?」

「これじゃ」


 小型パソコンのモニターを見せてくる。

 なにやらどこかを映した写真のようだが……。


「図書館か?」


 本棚がたくさんある場所なのでそう思う。


「ここは神の書架じゃ」

「神の書架?」

「ここにある本はすべて神が書いたものじゃ。その1冊1冊が世界を構成する材料となっておる。ここにある1冊でも燃やしてしまえば世界は微妙に変化してしまうじゃろう」

「そ、そんな場所なのか」


 ゴクリと唾を飲み込みモニターの写真を見つめる。


「でも、ここってどこにあるんだ?」


 簡単に行ける場所ではないというのはわかるが。


「もちろん神の管理する場所じゃ」

「天界か?」

「……さて、天か地か、どことも言えん。」


 と、ツクナは自分の頭を指差す。


「意識だけで行ける場所じゃ。シミュレーターに少し似ておるの」

「ツクナはそこへ行ったことがあるのか?」

「うむ。神が存在するならば、こういう場所があるのではと以前から疑っておった。研究の末、この場所を発見したツクナは、身体から意識を分離する装置を開発して神の書架へ行ったのじゃ」

「す、すごいな」


 やってることはまったくわからないが、これがすごいことだというのだけはわかる。


「そこでツクナは自分に関する本を見つけて書き換えたのじゃ。それから意識を肉体に戻して、このデュロリアンを作ったというわけじゃな」

「そうか……。ん? いやでもちょっと待て。そこで他の人間の運命を書き換えれば、わざわざこうして異世界へ行く必要は無いんじゃないか?」

「そんなに簡単ではない。本来ならば生物が存在できぬ場所なのじゃ。あそこにいるあいだは常に存在が消し飛びそうな感覚に襲われ、一瞬でも気を抜けばツクナは消滅しておった」

「そ、そんなに危ない場所なのか」

「うむ。リスクを考えると、異世界へ行って直接、運命を変えたほうが安全なんじゃ。ちなみにこれは写真ではなく、ツクナの記憶から取り出した光景じゃ」

「ふーん……」


 神の書架。

 単なる図書館にしか見えないこの場所に世界のすべてがあるのか……。


『間も無く到着します』


 と、目の前に輪っか……いや、ハンドルが現れる。

 俺はそれを掴んだ。


「どんな場所に出るんだ?」

「車が多い大通りじゃ。気をつけろ」

「わかった。うおっ!?」


 不意に歪んだ景色を抜けると、そこは多くの自動車が走る大通りであった。

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