第2話 妹は愛と共に逃走する

 メアリー・ミード伯爵令嬢は、昔から冒険者に憧れていた。


 実際、何でも出来る優秀なタイプだった令嬢は、冒険者としての資質にも恵まれている。


(いざという時には冒険に出掛けるわ、と、冗談半分で集めていた装備があって助かったわ)


 メアリーの数少ない趣味のひとつ。


 それが、冒険のための装備を整えることであった。


(地震など災害時への備え、と、お父さまたちには誤魔化していたけれど。これは実際に使える装備なのよね。携帯食もあるし、お金も用意していたのよね)


 王太子に誘われるわけでもなく、時間に追われる生活をしていたメアリーに対し、ご機嫌をとるにはモノや金が有効だと両親をはじめ回りの者たちは考えていた。


 だから、メアリーは個人的な蓄えがあった。


(ドレスは邪魔だけれど、宝飾品なら持って行ってお金に換えることができるわ。王太子殿下からの贈り物だからといって、大事に取っておく必要もなくなったし)


 未来の王妃ということで、予算だけは潤沢に付けられていた。


 王太子が選んだものか、他の者が選んだものかメアリーは知らないが、機会があるごとに高価な贈り物をされていたのは確かだ。


(いくら宝石があっても、出掛ける時間もなく、婚約者のエスコートもない状態では披露する機会はないわ。それを見越しての贈り物だったかもしれないけど。使う事すらなく、嫁入りと同時に戻って来ると思えば高価な物だって平気で贈れるわよね)


 王妃教育の成果か、学園での学習のおかげか。


 メアリー・ミード伯爵令嬢には、知識だけはたっぷりあった。


(うんうん。このくらいあれば十分。足りない装備は後で買い足せばいいわ)


 手際よくリュックに荷物を詰めると、動きやすい乗馬服に着替えた。


 メアリーは文武両道タイプだ。


(我が家の窓くらい、簡単に降りられるわ)


 王妃教育のなかには、なぜか王城脱出の方法の座学や実習まで含まれていた。


 小さな伯爵家の屋敷から逃げ出すことなど、メアリーには造作もないことだ。


(サイクス王太子殿下に振り回された上、そっくり同じ顔の第二王子シリル殿下にまで振り回される人生なんて嫌。私は逃げさせていただきますっ!)


 メアリーは窓から身を乗り出し、スルスルと壁を伝って住み慣れた我が家を後にした。



「メアリーが居ないだと⁈」


「はい、旦那さま。お嬢さまがどこにもいらっしゃいませんっ!」


 メアリー付きの侍女が、令嬢の不在に気付いてから屋敷の中は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。その最中さなかに、第二王子が昨日の宣言通りに現れた。


「来たぞ。色よい返事を聞かせてくれ」


 そう言われても、当の本人であるメアリーは不在。 


「ああ、シリル殿下。あのその……」


「んん? どうした? メアリーはどこだ?」


「あの、それが……」


 伯爵も、その夫人も返事に困ってしまった。


 当の本人が逃げてしまった。


 その事実をそのままシリル殿下に伝えるのも憚られる。


 どう言い繕おうと困っている所へ、騒ぎを聞きつけたマリーナがやってきた。


「何かありましたの? お姉さまは?」


「マリーナ……」


「ああ、アナタが居たわね」


「んー、なるほど。それもアリだな」


「? お姉さまは、どこ?」


 事態が掴めずポカンとしているマリーナを、一同は眺めながらウンウンと何度も頷いた。


 そしてシリル殿下は来た時同様、嵐のように去っていった。


 残されたのは名案に浮かれ喜ぶ両親と、状況を理解していないマリーナだ。


 居間に場所を移したミード伯爵とその夫人は、娘に事情を説明した。


「お姉さまが行方不明⁈ それで私がシリル殿下の婚約者に⁈」


「ああ。まずはお前に話してから、と、思ってな」


「ええ。悪いお話ではないでしょう?」


「悪いお話ですわよ、お母さま⁈ だって、私には既に婚約者がいるではありませんか!」


「ウイル・テンプル男爵令息のことかな?」


「そうですわ、お父さま」


「あの方は男爵令息。こちらは第二王子殿下。それも王太子殿下になるかもしれない、第二王子殿下なのよ? 比較にならないわ」


「そんなっ! なんてことをおっしゃるの? お母さま」


「まぁまぁ、マリーナ落ち着きなさい」


「落ち着いなんていられないわ、お父さま! だって、ウイルは我が伯爵家に婿入りしてくれると言っているのよ?」


「ああ、分かっているよ。マリーナ」


「だったら、お父さま……」


「いいじゃない、マリーナ。アナタが二人以上子供を産めば」


「お母さま⁈」


「そうそう。まだ私たちも若いし。後継ぎなら、お前でなくてもいい。子供で十分だ」


「お父さま⁈ なんてことを」


「それに、シリル殿下との子供が跡取りなら、箔が付きますよ」


「お母さま⁈」


「王家の血が我が家の血筋にも入るのね。感無量だわ」


「そうだな、お前。我が家は後ろ盾は強いが……。この家そのものは、ただの伯爵家だ」


「それも変わりますわよね、旦那さま」


「そうだな、お前」


「……」


 両親がふたりの世界に入ってしまったのを、冷めた目でマリーナは眺めた。


 マリーナとウイル・テンプル男爵令息とは、貴族にしては珍しく恋愛関係にある婚約者たちなのだ。


 マリーナにとってウイルは特別な存在だ。


 それは将来に渡って変わらないだろうし、変える必要もないと考えていた。


 が。


 どうやら風向きは変わってしまったようだ。


(お姉さまのことも気になるけれど。取り急ぎ自分のことも考えなきゃいけないわね)


 マリーナは両手を握りしめて気合を入れた。


(私とウイルの幸せの為だもの。頑張るわッ)


 そんな娘の心中を知らない両親は、消えた娘を心配することもなく、明るい未来を夢見ていた。



 その頃、王宮には。


 国王陛下に睨まれて小さくなるサイクス王太子殿下の姿と、王妃に睨まれてもニコニコと笑顔の男爵令嬢の姿があった。


「そこまでいうのなら、分かった」

「試しに王妃教育を受けて貰いましょうか」


 国王陛下と王妃の言葉に、王太子と男爵令嬢の顔が喜びに染まった。


 だが、二人は許されたわけではない。


 男爵令嬢は厳しい王妃教育に耐えられないであろう。

 

 恋の喜びに溺れている二人以外は、その未来が明るくはないことを知っていた。




 

「私、シリル殿下と婚約などしたくないわ」


「分かっているよ、マリーナ」


 ウイル・テンプル男爵令息は、愛しい人の震える小さな手を包み込んだ。


 屋敷の庭の片隅で。


 二人は人目を忍ぶようにして会っていた。


「いつも通りなら……屋敷で堂々と会えたのに……こんなに急に状況が変わるなんて」


「ああ、そうだね。マリーナ」


「貴族の結婚に政略が絡むことは知っているけれど……自分には関係ないことだと、思っていたわ」


「私もだよ、マリーナ」


「私……私、どうしたらいいの⁈」


「私はキミを諦める気などない」


「私もアナタとの生活を諦める気なんてないわ」


「では、私についておいで」


「ウイル……」


「我が国の王族は、どうかしてしまっている。このままでは国が滅びてしまう」


「ウィル……何か考えがあるのね?」


「ああ。キミを攫おうとしたのだから。もう我慢する必要なんてない。私は王族に反旗を翻すつもりだ」


「まぁ、ウィル!」


「ふふ。驚いたかい?」


「ええ。何か考えがあることは薄々感じておりましたが……反逆ですのね」


「反逆と言えば反逆だけど……血生臭いことはしたくない」


「それは、叶いますの?」


「どうかな。分からない。だが、私は一人で動くわけじゃない。仲間がいる」


「まぁ」


「今までは婿入りすることを考えて積極的に関わってきたわけじゃないけれど……こうなったら話は別だ」


「国を変える、のですね?」


「ああ、そうだ。……それでもキミは私に付いて来てくれるかい?」


「はい。私の未来はウイル、アナタと一緒よ」


「嬉しいよ、マリーナ……」


「ウィル……」


 この日を境に、ミード伯爵家から二人の娘は消えたのだった。

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