五線譜と静寂 ~明日失恋するために恋を奏でる~

なつの夕凪

放課後の告白


 ・柴原朝陽ハル視点



 高等部に入学直後、知り合って間もないわたしに変なあだ名をつけたり。

 学院まで車で送り迎えされるお嬢様なのに、休み時間にわたしのお弁当を勝手に食べたり。

 秘密の五線譜ノートにいたずら書きをしたり……。


 ――ツカサはいつもわたしを困らせる。 

 

 

 

 

 

 


「じゃあ付き合おうかハル? とりあえず仮カップルってことで」

「あっ……うん、それなら」


 誰もいない放課後の教室で、湖底のように深い色の瞳をした清家月砂せいけつかさは何でもない事のようにわたしにそう告げる。

 

 断る理由はない。

 わたし柴原朝陽しばはらあさひはツカサのことがずっと好きだったから。

 

 ……ツカサにわたしの想いが届きますように。

 七夕だった昨日、短冊に書いたわたしの願いはあっさりと叶ってしまった。


 織姫様と彦星様は少し気前が良すぎる。

 今年の七夕は快晴だったから機嫌が良かったのかもしれない。


 『ハル』と言うのは、ツカサがわたしに付けたあだ名……春に出会ったからハル。


 少し安直な気がする。

 別に良いけど。

 

「よろしくハル。じゃあ仮カップルになった記念に早速だけど、わたしを……」

「ごめんツカサ、用があるから先帰るね」


「そっかぁ……じゃあまた」


 夕暮れの教室でいつものように口元だけの微笑みを浮かべるツカサを残し、わたしは全力で走り去った。

 

 その後、家までどう帰ったのか憶えていない。

  

 玄関で靴を脱ぐと手も洗わず自室にそのまま駆け込んだ。

 制服から部屋着に着替えることもなく、ベッドにダイブして顔を枕に押し付けること約20分。


 少しは頭が冷え、頭が回ってきた。

 きっと髪の毛はめちゃくちゃだろうし、スカートのひだにシワが寄ったかもしれない。

 

 母に知られたら、叱られるだろう。

 

(……一人で興奮してバカみたい)

 

 色々な感情が入り混じっているけど、それ以上に嬉しいが溢れてきて、顔がどうしてもニヤけてしまう。

 今のわたしは、誰にも見せられない顔をしているにちがいない。


 明日からはちゃんとするから今日だけは許して欲しい。


(どうしよう、恋人ができちゃった)


 清家月砂せいけつかさは今日からわたし柴原朝陽しばはらあさひの彼女で、柴原朝陽は清家月砂の彼女になった。

 

 仮カップルだから本物ではないけど、わたしのこれまでの人生で一番と思えるくらいに嬉しい。

 

 ……ツカサにとってはただの気まぐれかもしれないけど。


 わたしもツカサも本当の恋人は作れない。

 ツカサと出会う前から自由な恋愛を諦めている。


 仮カップルはどこまで進んでも仮のまま。

 遠くない未来、わたしたちは別れの日が来る。

 

 それでも……

 

「すき」

 

 これまで五線譜ノートにつづった想いは本当のこと。

 

 いつか終わりの日が来ても、笑って別れが言えるように全力で走っていこう。

 

 ツカサに会えるのは学院の中だけ。

 休日は家のことで忙しいらしい。 


 ご両親の方針らしく、スマートフォンを持っていないツカサには電話を掛けることもできない。

 

 何だか急にツカサが恋しくなってきた。


 ツカサの声を聞きたい。

 もっと知りたい。

 手を繋ぎたい。   

 

 できないことが苛立ちになって、わたしの頭の中で暴れている。

 

「ツカサ……」


 ベッドに寝転がったまま、小さな空に両手を伸ばす。

 何も掴むことができない。

 

 今日も明日も明後日も……。


 多分、今夜はなかなか眠れないだろう。 


◇◇◇



 ・清家月砂ツカサ視点



 いつも穏やかで消え去りそうな小さな声で喋る。

 わたしがイタズラをすると眉毛を下げて、とても困ってますって顔になる。

 ガラス細工のように繊細で、臆病な彼女は五線譜ノートに本音を隠してしまう。


 ――ハルはこんなにも愛おしい。


 

 

 

 

『じゃあ付き合おうかハル? とりあえず仮カップルってことで』

『あっ……うん、それなら』


 誰もいない放課後の教室で声がうわずらない様に注意しながら、できるだけ平静を装い想いを伝えた。

 なけなしの勇気をかき集めたけど、プレッシャーで心臓が壊れそうだった。


 だからハルが『うん』と言った時、涙がこぼれそうだったけど必死に耐えた。

 

 泣いてはいけない。

 ハルが不安になるかもしれないから。

 

 初めての告白は緊張するし、ダメだったことを考えると高層ビルの屋上で逆立ちするくらい恐かった。


 告白が上手くいかず気まずい関係になるのは絶対に嫌。


 柴原朝陽はわたしの憧れで、再会するのをずっと夢見ていた。

 彼女はわたしのことを全く憶えていなかったけど……。

 

『ごめんツカサ、用があるから先帰るね』

「そっかぁ……じゃあまた」

 

 夕暮れの教室にわたしだけを残し、ハルはあっと言う間にいなくなった。

 まさかの展開ではあるけれど、彼女の性格を考えれば必然かもしれない。

 

 一人になり少し気が抜けた今もドキドキしている……。

 足元がおぼつかないし、少し眩暈もする。

 

「優しい彼氏ならわたしを置いていかず、すぐに抱きしめてくれたと思うよハル……よくわからないけど」


 ハルのいないところで意地悪を言う。

 

 でも仕方ない。

 柴原朝陽しばはらあさひは頼りがいのある男の子ではなく、おとなしい普通の女の子だから。

 

 収まりの悪いマッシュショートヘアと、均整の取れたスタイルは爽やかな男の子のようだけど、かわいらしい顔をしてるし、普段サバサバしているわたしの方がハルよりずっと男っぽく映るかもしれない。

 

 これから一緒に笑い、時には喧嘩して、いつか終わりの日が来たら、わたしは涙が枯れるまで泣くのだろう。

 

 どうにもならない明日に絶望して。

 決められたことしかできない自分に失望して。


 ……幸せになれない未来を考えるのは面白くない。

  

 だけどハルもわたしも出会う前に望まぬ将来は決まっていた。


 現実から目を背けることはできない。


 ――つまらない。


「ねぇハル、何でわたしが普通のカップルじゃなくて仮カップルになろうとしたかわかる?」


 誰もいない教室で、今はいないハルに質問を投げかける。


「本当のカップルになろうって言ったらハルはきっと断るよね。

 でも仮カップルだったらハルが断る理由がなくなる。遊びだからね」


 わたしたちの通う三条院女学院では仮カップルはさほど珍しくことではない。


 皆年頃だし、恋愛には興味がある。

 

 だけど、ほとんどの生徒が幼児舎から三条院に通っているため、男性の知人がおらず、在学中に彼氏のできる可能性はほとんどゼロに近い。


 そこで仲の良い友達同士で仮カップルを作り、より親密な関係を疑似体験する。

 学院側は以前から仮カップルが流行っていることを知っているけど、黙認している。


 痴情のもつれが発生しないとは限らない。

 遊びだった恋愛ごっこが本気になる可能性はゼロではないから。


 それでも学院外で問題を起こされるよりはマシ。

 学院内なら収めやすいし、口も塞げる。

 

 要はほど良いガス抜き。

 

 大人たちは物事を消去法と効率性で決める。

 わたしたちを見ていないし考えない。


 ハルとわたしの明日も大人たちが勝手に決めたもの。


 ホントつまらない。

 

「ハル……王子様になって囚われの塔からわたしは連れ出してほしい、あの空を飛ぶ鳥のように自由に生きたいの……なんてね」


 一人苦笑いをする。

 高校生にもなって、まだお姫様願望があるのかと。 


 ハルはわたしを助けることはできない。

 勇気と剣を持つ王子様ではなく、彼女もまた囚われのお姫様だから。

 

 わたしたちは自分のことすら決めることができない。


 物心がついた頃にはもう決まっていたから。

 決められた道を間違えず走る、ただそれだけ。


「明日を諦めるための恋をしようよ。過ぎた時間だけはわたしたちのもの。誰にも邪魔されない」


 静まり返った教室にハルの返事はない。

 答えてくれないから、わたしの想いは行き場を失う。

 

 わたしは彼女の机から五線譜ノートを取り出す。

 ノートの中にはハルが走り書きした題名のないメロディーが溢れている。

 

 何年も前にピアノを止めたのに、ハルは今も音楽を捨てることができない。

 楽器には触れず、頭の中に流れるメロディーだけで五線譜に音符を躍らせる。


(やっぱり凄いねハルは……)


 彼女と同じようにピアノを触っていたからわかる。

 一音一音から光と色彩が溢れる世界。

 

 とてもだけどわたしは追いつくことが出来ない。


 でも今は、過去の柴原朝陽に会いに来たわけではない。

 わたしを置いて帰った薄情者のハルに一言伝えたいだけ。

  

 五線譜ノートの一番後ろのページを開く。

 ここは想いのカケラが散らばるわたしたちの夜想曲ノクターン

  

 わたしは伝えられなかった想いと多少の不満を五線譜に刻む。

 今も昔もハルは心の機微には疎い。

  

『すき。一人にしないで寂しいから』


 ここまで書かないとハルには伝わらない。

 でもそんなところも愛おしい。


「ねぇハル、やっぱり来年の春もその次の春もずっとずっと一緒にいようよ」


 言葉で伝えることも五線譜ノートにも残せない想いがある。

 どうせ叶わないし、彼女を苦しめることになるから。


 さて……。

 

 迎えの車はだいぶ前から校門前で待っているだろう。

 もうしばらく余韻に浸っていたいけど、そうも言ってられない。


 ノートをハルの机にしまい、わたしは誰もいない教室を後にする。


「じゃあね、また明日」


 ハルのいない明日はいらない。





(Fin~)

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