まれびとのお悩み相談と恋と猫

さとの

プロローグ 前世の悪夢

「……どうしても、人のことが好きになれないんです」

 

 私と向かい合って座る女性が、そう言った。 

 

「それは、恋愛対象として好きになれないということ? それとも、友達含めて、誰も好きになれない?」


 女性は少し考えてから、答えた。


「男性が好きになれない、ですね」

「男性と話すことにも抵抗は感じる?」

「職場の人と普通に話す分には大丈夫です。でも、お付き合いするとか、男性として好きだと思えないんです」

 私は女性の話を聞いて、「なるほど」と相づちを打った。

 そして、ひとつの質問を投げかけた。

「仮に想像してみてほしいんだけど、もし好きになったら、どうなってしまうと思う?」

「好きになったら……」

 女性は視線を斜め下に落として、しばらく黙ったまま考えていた。

 私は静かに彼女の反応を待つ。


「なんとなく……振り回されたり、支配されそうな気がします」

「なるほど。もしかして、今まで身近な男性に、振り回されたり、支配されたような経験がある? たとえば、家族とか、昔の彼氏とか」

「……父が、お酒を飲むと荒れるタイプでした」


 ***


「ありがとうございました」

 私は一時間のカウンセリングを終えて、クライアントの女性が帰っていくのを見送った。

 ここは東京の片隅にあるビルの一室。

 カウンセリングサービスを提供する小さな会社に所属する私は、カウンセラーとして働いていた。 

 まだ駆け出しで、すごく人気というわけでもないけれど、なんとか暮らしていけるくらいのお給料。

 

 私は休憩時間にスマートフォンを見て、眉を寄せた。

 誰かから、大量の着信とメッセージが入っている。

 

「また連絡が来てる」

 

 私はため息をついた。

 この人は、昔クライアントだった男性だ。

 定期的にカウンセリングをしているうちに、途中から「あなたのことを好きになってしまいました」と言われて、何度もアプローチをされ、何度か断るうちに、ストーカーのようになってしまったのだ。


 もちろん今ではカウンセリングも断って、接触しないようにしていたが、しつこく連絡が来たり、職場の前で待ち伏せをされたりしていた。


「クライアントの男性が、ストーカーになってしまったんです」

 先輩カウンセラーに相談すると、心配されつつも、厳しく注意されてしまった。

「クライアントとの線引きができていない証拠よ。必要以上に感情を入れると、元々心理的に弱っている相手は、こちらにしがみついてくる。カウンセラーとしてやっていくなら、きちんと距離を置くことは、必須よ」


 先輩の言うことはもっともだ。

 私は落ち込んだ。


 仕事を終えた帰り道。

 歩道橋を渡っているとき、前方に見覚えのある人影を見つけて、立ちすくんだ。

 つきまとってくる元クライアントの男性だ。


 私は思わず踵を返して、元来た道を逃げようとするが、階段の途中で、後ろから足音が迫ってきて、肩をつかまれた。

「待ってたんだよ。あなたにどうしても会いたくて」

「……すみません。私、急いでるんです」

「また、前みたいにお話を聞いてもらうだけでもいいんだ」

「今は、新しくカウンセリングを受けてないんです」

 私は嘘をついたが、相手はもちろん信じない。


 もみ合ううちに、肩をつかむ相手の手の力が強まってきた。恐怖で呼吸が浅くなり、背を冷や汗が伝う。

「やめてください」

「僕はただ、あなたと話したいだけだ。それなのに、なんでわかってくれないんだ」

 私は彼の手を振りほどこうと必死で抵抗した。

「離してください!」

 なんとか逃れた瞬間、私は歩道橋の階段を踏みはずしてバランスを大きく崩した。

 

 ああ、これはマズい。直感的に悟る。

 景色が妙にゆっくりと回る。

 背中と頭に強い衝撃を感じ、ふっと視界が真っ暗になった。


 そして、その後の記憶はない。

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