ウィンター・メモリー・クラリティ

桜舞春音

ウィンター・メモリー・クラリティ

 モトジュクさん。彼ははじめ、彼女のことをそう呼んでいた。別にこれといった拘りはない。ただ失礼でない呼び方を探したらこれだった。


北千種と呼ばれる住宅街にあるこの中学校。朝の時間帯は周辺の高校とその中学に通う生徒たちで溢れ返る。代わり映えしない日常がまた始まろうとしている。

デイライトの眩しいピンクの原付に抜かれ、一宮健介いちのみやけんすけは校門をくぐった。朝練で既に着替えている生徒もいれば今来る先生もいる朝の校門前。春への準備を始める空はまだ冷たい。


「健介~、今日の委員長会これ要るかなあ?」

本宿茜もとじゅくあかねが資料を雑につかんで、健介の席を通りかかったついでに訊くこの会話はビジネスカンヴァセイション。

「ああ、要るよ。」

「ありがとー」


健介は本宿茜を焦点の合わない目で追った。そんなことをするようになったのはつい最近だ。存在感で言えばクラスの一軍男子二人の後塵を拝す彼だが、最近は白昼夢を見るようにぼうっとすることが増えた。ことに官能的な話には疎い健介だがどうやら一般的な男子レベルでの恋愛感情というモノは持ち合わせていたようだ。

健介が後期委員長に名乗り出たのは隣のクラスの親友と合わせるためだったのだが結果的に女子委員長の彼女に近付く口実になっていた。委員長会、生徒議会は多いが、本宿茜の隣に居られるなら嫌ではない。というかむしろ、嬉しい。


 本宿茜は彼を想って長い。緊張しないタイプ故にバレずにここまで来たが、健介が後期男子委員長に名乗り出てチャンスのようなピンチがやってきた。隣で会議をすれば、どんなに頑張っても彼のことを忘れることなんて不可能。土間までの会話は弾むからまだ気まずくはない。

しかし実際は、腐女子であることを利用し健介をそういう話に押し付けることによって周囲の女子には誤魔化していた。


今日も冬空の下、同じ関係の一日。それは二人にとって良いことであり、寂しいことでもある。


『あかねはさあ、好きな人とかいないわけ?』

「ぶっ⁈」

午後七時。宿題をマッハで片付けスマホを開いた本宿茜は、クラスのグループラインに届いた質問に吹く。

恋バナは聞く専、カップルを作るくせにリア充爆破を信条とする暇人の質問に、女子たちが乗っかる。

話題は完全に、本宿茜に向いていた。


どうしよう。

適当に匂わせてもいいが、明日から学校で質問攻めに遭うのも然り。かといっていないと言えば噓になるしそれはそれで質問の嵐。無視しても既読は付いているから感じ悪い。

いつもなら適当にあしらって終わりの本宿茜がこんなにも悩んでいるのは、健介が見ているかもしれないから。

少女漫画よりも同人誌よりも複雑な、これが恋なんだろうと悟る。そしてそれが、人生を変え、良くも悪くも面倒なものであるという事も。

問題は健介が見ているかいないか。見ていなければ、適当に答えて秘技「秒速連続スタンプファイナリアリティータイピングドリーム」で履歴を相当前にして終わらせるだけ。

本宿茜は健介に話を振った。

『健介は?いるの?』


急すぎたと反省しつつ、それでもどこかの暇人よりは流れを汲めていると開き直る。

『いないよ。』

返信はすぐだった。何の迷いもない、一切の揺らぎもないその答えはそれが事実だと理解するのに十分すぎた。彼女の心に、ひとかけの残念が巣食う。これが片想いだという、わかり切ったようでわかりたくなかった事実。


翌日から、健介は本宿茜の接しが酷く素っ気なく感じられるようになった。それが自分のせいなのかはわからないが、彼女に何かあったことは事実だった。でもその事実を確かめる気にはなれなかった。それがパンドラの箱であることがわかっているから。開けるのが怖い。その日は何も話せなかった。


週末。いつもより早く起きて、健介は部屋のカーテンを開ける。良く晴れた冬の空には薄い雲が絵具を垂らしたようになびき、淡い陽光を反射する。窓を開けると、見かけより冷たい風が吹いていた。久しぶりに用事のない週末。どこか行こうと思った。


昼になり、陽がだんだんと力を増していく。どこに行くかという具体的な目的を持たない儘健介は出掛ける準備を始めた。こうも寒いと外に出る気も失せるが休みの日だからって何もしないのは性分ではない。部屋着と大差ない格好で自転車にまたがって自転車を漕ぐ。走り出してみると案外過ごしやすい気温だ。彼は大通りに出た。このまままっすぐ行けば矢田川があったはず。寒いが、夏になると虫も増えるので逆に行ってみようと思った。ここ数年で少し綺麗になった矢田川の河川敷は人っ子一人いなかった。健介は自転車を停め、河川敷に腰を下ろした。太陽の流れを反射し流れていく川と、夏より少ない魚が跳ねる音。風が吹くと沿道の木々はざわざわと揺れた。辺りには瀬戸街道へとつながる道と名鉄瀬戸線が走っている。


「健介?」

声は、上からした。

健介がそのまま首を後ろに倒すと、そこにはやっぱり本宿茜の姿があった。制服より短いスカートにタイツを組み合わせた少し寒そうな服装。

「何してるの?」

「暇だから川見てた。」

「ふうん。わたしは画材屋さんからの帰り。」

本宿茜は生成りのトートバッグの中身を掲げた。健介にはちっともわからない世界だが、本宿茜は美術部でも才能あふれる存在らしい。

「一緒に帰らない?」

本宿茜はそう提案した。自分の帰りたいという気持ちに少しの下心を織り交ぜて。

時刻は午後五時。家に帰るにはいい時間だ。健介は自転車を押して歩き出した。西の斜陽が空を彩る。茜色の空を見て、健介は本宿茜に訊いた。

「最近話してくれないけど、何かあった?」

出来るだけ軽い調子で、明るく訊いた。彼女が困っているのであれば助けたい。たとえそれがパンドラの箱を開くことになるとしても。

「ラインで、好きな人いるのってきいたとき、健介いないって言ったからさ。なんともおもわれてなかったんだあ、って。」

「え。」

健介は固まった。自分の見栄で吐いた嘘が、彼女を傷付けていた。健介が謝ろうとすると本宿茜は大笑いして

「ねえもしかして健介本気にした?嘘だよ嘘ジョーダン!ゲームで推しのSSR出なくて落ち込んでんの!もー健介ったら純粋なんだからァ!」

本宿茜は笑い飛ばした。健介は恥ずかしさと色んな気持ちで紅潮する。彼は初めてこれが恋だと自覚した。冬の終わりが遺したのは、この温かい気持ちだった。

パンドラの箱とは名ばかりで、開けてみれば意外と単純だったり身も蓋もなかったりするのかもしれない。


「好きだよ。」

本宿茜が口にする。心を読まれたようで、健介は顔を赤らめて彼女の方を見る。彼女が指していたのは信号待ちをする一台の車。

「なんだっけあれ、ラパンだっけ。CMかわいいよね。ああいう車、好きだよ。」

その車はピンク色で、うさぎのステッカーが貼ってあった。

「あれ~?健介顔赤くしてる~?え~?」

本宿茜はくすくすと揶揄からかう。彼はもっと赤くなり、目を背けた。


それは、たった数日の出来事。

でもその価値は時間を遥かに凌駕しているだろう。近付く群青の下で彼らはきっと忘れられない時間を過ごす。お互いの気持ちに気付くまでも、気付いてからも。


線を引く飛行機雲。一直線に迷いなく進むその白い線は、彼らの未来を表しているのかもしれない。


                ―END―

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