第38話
大衆居酒屋を出て駅へと向かう途中、僕たちは酔い醒ましをするために、懸垂兄さんのいる公園に立ち寄った。
「濱本さん、この公園で、松尾君に告白の返事をしたんですよね?」
ベンチに並んで座り、しばらく話題にしていた懸垂兄さんが、休憩を挟んで再び鉄棒にぶら下がったところで、藤田が切り出してきた。
「そうだね。『僕と、付き合ってください』って言った」
「憶えてるか分かんないですけど……」
「何?」
「僕の、ずっと好きな人の話」
「あぁ……、今は言えないけど、ゆくゆくは話すことになると思う、ってお預けになった話か」
「嘘つくことになっちゃうんで、話そうと思います」
「えっ、でも、それって、栞さんのことじゃないの?」
「違います。栞に対して抱いてるのは、男女の恋愛感情とは、ちょっと違うんですよ。強いて言うなら……、家族愛ですかね」
「家族愛……」
「ずっと幼なじみで、妹みたいな存在だったんで、女性として意識して好きだ、っていう感情は……、そんなにないんですよね」
「じゃあ、他にいる、ってこと?」
「はい」
藤田は微かな声で答えてから、目を伏せて黙り込んでしまった。その横顔を見つめるうちに、僕は抱いてはいけない期待で胸が高鳴るのを感じた。
「ずっと好きでした、濱本さんのこと」
藤田が言い終わると、懸垂兄さんが砂の上に着地する音が耳に入ってきた。
「あんまり驚いてないみたいですね」
「いや、そんなことは……」
「もしかして……、感付いてました?」
「感付いてた、というよりは、そうだったらいいな、って期待してた。僕も……、藤田君のことが、好きだったから」
「じゃあ、僕の、一方的な片想いじゃなかったんですね……」
「僕の、一方的な片想いでもなかった、ってことか……」
僕たちは悔いるように呟いてから、ゆっくりと白い息を吐いた。
「濱本さんが、初めて松尾君の話をした日、告白するつもりだったんです」
「えっ……?」
「店で飲んでるときに気まずい雰囲気になるのは避けたかったんで、店を出てからの帰り道にしようかと考えてたんですけど……、濱本さんが前日に告白されてたなんて、全くの想定外でした」
「そうだったんだ……」
「僕がもし、付き合った方がいい、って言わないで、濱本さんに告白してたら……、どうしてました?」
「それは……」
「なんて、意味のない質問ですよね」
返答に窮することを分かってなのか、藤田はすぐに僕の言葉を遮った。
「どんな答えが返ってきたところで、何も変わらないですから」
「あの日、藤田君と一緒に過ごしているうちに、好きっていう気持ちがまた強くなってきてて……。もし、店を出てから抱き締められたときに、藤田君に告白されてたら、絶対に迷ってたと思う」
「絶対に、ですか」
「絶対に、迷ってた」
「何も変わらないですけど、そう言ってもらえると、やっぱり、ちょっと嬉しいです。いや、ちょっとじゃないか」
藤田は照れ笑いを浮かべたのだけど、その目は潤んでいるように見えた。
「あのとき、濱本さんを抱き締めたのって、僕の中で気持ちに踏ん切りをつけるためだったんです。一度だけ、好きだっていう気持ちで抱き締めて、それで終わりにするつもりでした。でも……」
そこで言葉を止めた藤田の表情からは、その先を言っていいものか、という迷いが感じられた。
「三人で会うようになってから、濱本さんと松尾君の幸せそうな姿を見るたびに、あのときに告白してたら、濱本さんの隣にいるのは僕だったんじゃないか、って考えてばっかりで……。でも、松尾君は、すごくいいやつだから、そんなこと考えてしまう自分が、すごく嫌だったんです」
「辛い思いさせてたんだな……」
「いえ、僕が勝手に考えてただけで、濱本さんと松尾君のせいじゃないです」
「でも……」
「あっ、そろそろ行かないと……」
時計塔に目をやってから、藤田がゆっくりと立ち上がったので、僕もそれに続いた。
「ここで、いいです」
「えっ?」
「ここで別れましょう」
「駅まで……」
「駅まで送ってもらう間に、泣いちゃいそうなんで……」
藤田は涙声になりながらも、何とか笑ってみせた。僕は愛おしくてたまらなくなり、何も言わずに藤田を抱き締めた。
「濱本さん……」
僕は答える代わりに、さらに抱き締める力を強くした。
「帰れなくなっちゃいますから」
「そうなったら、今夜はずっと一緒にいられる」
「何言ってるんですか」
「自分でも、そう思うんだけどさぁ……、これが、今の正直な気持ちなんだよ」
「そんなこと言われたら……」
「僕は藤田君と、このまま何もなかったことにはしたくない」
「濱本さん……」
強張っていた身体から力が抜けていくのが伝わってきたかと思うと、藤田が僕の背中にそっと腕を回してきた。
「すいません」
「どうして謝るの」
「僕が、今さら告白なんかしたから……」
藤田は僕の肩に顔を埋めると、すすり泣きを始めた。僕は涙が込み上げてくるのを感じながら、藤田の頭を優しく撫でた。
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