第37話
藤田が追い付く前に店の前を通ったとき、呼び込みの店員から割引券をもらっていたので、一度だけ一緒に行ったことのある大衆居酒屋で飲み直すことにした。
「会社を継ぐだけじゃなくて、結婚もするとはなぁ……」
生ビールを一杯ずつ飲んだ後、一緒に頼んだカルーアミルクを一口含んでから、僕は切り出した。
「やっぱり、その話になりますか」
「ならないわけがない」
「そうですよね」
「これでも我慢してた方だから」
「我慢してましたか」
「何か、ちょっと浮かない表情に見える」
「そんなこと……あります」
「あるのかよ」
「会社に人たちに話すのと、濱本さんに話すのとじゃ、ちょっと違いますからね」
藤田の口調と表情から、僕が同性愛者であること以外に、何か別の理由もあるように思えてならなかった。
「十月に決まったんだよね?」
「そうです」
「もしかしてさぁ、決まる前に、話してくれるつもりだった?」
「あぁ、あのときですよね。僕が見合い話を持ちかけられた、って話をしたとき」
「そう。その流れなら、幼なじみと結婚しようと考えてる、っていう話をしてもおかしくないし」
「まぁ、考えてはいましたけど、その話をするつもりはなかったです」
「そうじゃなかったのか」
「何か、変な雰囲気になってましたよね。途中から、会話がぎこちなくなって」
「そうそう。藤田君が大事な話をしてくるような気がしてさぁ、ちょっと落ち着かなかったんだよね」
藤田は小さく笑ってから、唐揚げを口へ運んだ。
「相手の栞さんって、藤田君とは幼なじみなんだよね?」
何の話をするつもりだったのか聞きたかったのだけど、藤田を困らせてしまうような気がしたので、僕は確認の意味を含めて、違う質問をした。
「そうです。僕の実家と同じ町に住んでる、四つ年下の子……じゃないですね、四つ年下の人です」
送別会の挨拶で結婚の報告をしたときに、会社の従業員から聞かれていたのだけど、藤田は改めて答えた。
「そこはそんなに大事じゃない……こともないか」
「何か、小さいときの感覚が抜けないんですよね」
「四つ年下なら、藤田君が小五のときに、その子……その人は、小一だったってこと?」
「そうです」
「小五の男子と小一の女子かぁ……」
「あんまり接点がなさそうですよね」
「集団登校とかあったの?」
「いや、それはなかったです。栞は、親を二人とも病気で亡くしてて、小学校に上がるタイミングで、叔父さんと引っ越してきたんですよ」
「あぁ、そうなんだ」
「周りは知らない子ばかりだったから、なかなかなじめなかったみたいで、叔父さんに学校の近くまで送ってもらうんですけど、そのまま学校には行かないで、近くの公園で時間を潰してたんですよ。僕が朝、その公園の前を通ると、いつもブランコに乗ってるから、ちょっと気になってて」
「それは気になるよな」
「ゴールデンウィークが終わった次の日、寝坊しちゃって、遅刻ぎりぎりで学校に向かってたら、まだブランコに乗ってて。小一が歩くスピードだと、完全に遅刻すると思ったんで、声をかけに行ってみたら、半べそかいてたんですよ」
「遅刻すると思って、怖くなったのかな?」
「そうなんですよ。それで、とりあえずは、手を引いて一緒に学校まで走って、結局は遅刻したんですけど、正直に話したら、なかったことにしてもらえました」
「それはよかった」
「その日の夜、叔父さんが栞を連れてわざわざお礼に来てくれて、次の日から、僕が迎えに行ってあげることになったんです」
「藤田君が、小学校卒業するまで?」
「いや、中学校卒業するまでです」
「えっ、中学校まで?」
「小学校と中学校、隣同士だったんで」
「あぁ、なるほどね」
僕たちは示し合わせたように、同時にグラスを口へ運んだ。そして、少しの沈黙があってから、ふいに藤田が頬を緩めた。
「えっ、何?」
「あぁ、いや……」
「思い出し笑い?」
「まぁ、僕にとっては、笑える出来事じゃなかったんですけど……」
「じゃあ、何で笑うんだよ」
「その出来事では、僕と栞の立場が逆転したんですよ」
「立場が逆転って、どういうこと?」
「高校二年生の冬に、初めて好きな人に告白したんですよ」
「藤田君がしたの?」
「そうです」
「藤田君は、告白されまくる方だったんじゃないの?」
「まぁ、それは、否定しませんけど……」
「否定しないんだな」
「変に謙遜するより、その方が、濱本さんは喜んでくれるじゃないですか」
「よく分かってらっしゃる」
「ちなみに、高校の三年間で八人でした」
「八人って……、一学期あたりほぼ一人?」
「何ですか、その計算」
「さすがに……」
「付き合ってないですよ」
「はぁ……」
「話、戻していいですか?」
「あぁ、どうぞどうぞ」
「告白したんですけど、振られまして……。その相手から、『もう友達でいるのも無理だと思う』って言われました」
「えっ、そこまで言われたの?」
「覚悟はしてたつもりなんですけど、実際に言われてみると、すごいショックで……。学校からの帰りに、その公園にふらっと立ち寄って、二時間くらいブランコに乗ってたんですよ」
「冬の公園で二時間かぁ……」
「二時間経ったときには、もうすっかり暗くなってて、雪までちらつき始めたんですよ。でも、次の日から学校に行くのが嫌になってたんで、もう、いっそのこと、風邪をひいてしまおうと思ったんですよ」
「えっ、じゃあ、雪が降り始めてからも、ずっと公園にいたの?」
「そのはずだったんですけど、栞が傘持ってやって来たんです。僕の母から、そっちに来てないか、って電話があって、探してくれたんです。それで、振られて悲しかったのと、栞の顔を見てほっとしたのと、中一の女の子に心配かけて情けなかったのと、色んな感情がないまぜになって、栞がいる前で初めて泣いちゃいました」
「そんなことがあったのかぁ……」
「立場が逆転って、そういうことです」
「じゃあ、その出来事がきっかけで、付き合うようになったの?」
「いえ、違います」
「これ以上ないきっかけだと思うんだけど、違うのか」
僕たちは示し合わせたように、同時にフィッシュフライへ箸を伸ばした。
「何か、タイミング合いますよね」
「何かね」
僕たちは微笑み合ってから、フィッシュフライを口へ放り込んだ。
「それで、月日は流れて、今年のゴールでウィークです」
「いきなり飛んだな」
「その間、これといった出来事はなかったんですよ。大学に進学してからは、ほとんど実家に帰ることもなかったんで」
「あぁ、なるほどね」
「帰ったその日に、町の中をぶらぶら散歩して、公園に行ったんですよ。小学生くらいの子どもたちがサッカーをしてて、その様子をブランコに乗って眺めてたら、栞が声をかけてきたんです」
「栞さんは、ずっと実家?」
「栞も大学進学と同時に実家を出て、そのままずっと一人暮らしだったんですけど、今年の春に仕事を辞めて、戻ってきてたんです」
「あぁ、そうなんだ」
「叔父さんが……、がんで余命宣告を受けたんです」
「えっ……、そうなの?」
「短ければ一年、っていう可能性もあるみたいで……。でも、今のところは、そんなに症状は出てなくて、日常生活にもほとんど支障がないんですよ」
「じゃあ、入院はしてないの?」
「そうですね。通院しながら、一旦仕事は辞めたんですけど、今はうちの会社で校正の仕事してます」
「働けてるんだ」
「僕が見る限りでは、本当、普通に働けてますし、叔父さんも、そのことに自分で驚いてるくらいです」
「じゃあ、栞さんと付き合うようになったのって、その頃から?」
「いえ、違います」
「えっ、違うの?」
「その頃は、栞もまだ気持ちの整理がついてなかったみたいですし、叔父さんの話を聞いたそばから、『じゃあ、付き合おうか』って言うのも、突拍子ないじゃないですか」
「まぁ、そうだけど……」
「濱本さんを、これ以上やきもきさせるのもあれなんで、言っちゃいますけど……、告白もしてないですし、付き合ってもいません」
「えっ、どういうこと?」
僕は少し首を傾げたのだけど、藤田はすぐには答えず、手を上げて店員を呼んだ。
「カルーア頼みますけど、濱本さんは?」
「あぁ、じゃあ、僕も」
カルーアミルク二杯の注文を受けた店員が下がると、藤田は不敵な笑みを浮かべた。
「十月に有休を使って帰省したとき、プロポーズしたんです」
「プロポーズ?」
「はい」
「付き合ってもないのに、いきなり?」
「そうです」
「はぁ……」
「またまたきょとんとしてますね」
「いやいや、そりゃするだろ」
「まぁ、しますよね」
「いきなりプロポーズって……、何て言ったの?」
「えっ、プロポーズで何て言ったか、ここで再現しろ、ってことですか?」
「あぁ、いやいや、違う違う」
「どんな罰ゲームですか」
「そういうつもりで言ったんじゃなくて、その……、いや、でも、何て言ったのかを知りたい、っていう気持ちはあるから、そういうつもりで言ったことになるのかな……」
「もう、何言ってるんですか」
藤田は呆れたように言ってから、グラスに残っていたカルーアミルクを飲み干した。
「完全に再現しちゃうと、栞に申し訳ないんで、濱本さんにプロポーズ……じゃなくて、告白する設定で言います」
「どんな設定だよ、それって」
グラスに残っていたカルーアミルクを飲み干すと、今度は僕が呆れたように言った。しかし、藤田は黙ったままで、真剣な眼差しを向けてきた。
「えっ、本当に……」
「濱本さん」
僕は何か言ってはぐらかそうとしたのだけど、藤田は僕の名前を呼んでそれを遮った。
「濱本さんだったら、僕じゃなくても、他にふさわしい人はいると思います。でも、僕が付き合うとしたら、濱本さん以外の誰かは考えられないんです」
藤田は一呼吸おいてから続けた。
「僕と、付き合ってもらえませんか?」
藤田にじっと見据えられ、僕は本当に告白されたような錯覚に陥りそうになったのだけど、カルーアミルクを運んできた店員の声が耳に入ってきて、現実に引き戻された。
「そんな感じです」
何となく怪しい雰囲気になっていたのを、店員に感付かれないようにと思ってなのか、藤田は明るい声で区切りをつけた。
「たまんないって」
「えっ?」
「藤田君に、じっと見つめられながら、そんなこと言われちゃったらさぁ……、たまんないって」
「どきどきしました?」
「どきどきしたし、店員さんが来るの、もうちょっと遅かったら、はい、って答えてたと思う」
「いやいや、だめですって。松尾君がいるんですから」
「それくらい、たまんなかったんだって」
「そんなにですか」
藤田は僕から視線を外すと、照れ臭そうな笑みを浮かべながら、二杯目のカルーアミルクに口を付けた。
「松尾君……」
呟くように言ってから、藤田はそっとグラスを置いた。
「何?」
「いや、濱本さんを通して、松尾君と知り合えたのは、僕にとって大きかったなぁ、って思うんですよね」
「会社を継ごうと決めたのも、結婚しようと決めたのも、松尾君の影響を受けたところがある、ってこと?」
「いつかはそういう日が来るんだろうな、とは思ってたんですけど、気付いたら、もう三十過ぎてて……。松尾君と知り合って、将来の話を聞いたとき、僕よりも若いのにしっかりしてるなぁ、って感心しました。それで、待ってるだけじゃ、そういう日は来てくれない、自分が腹を括って、そういう日を迎えなきゃいけないんだな、って考えるようになったんです」
「腹を括って、そういう日を迎えなきゃいけない、かぁ……」
「それに、男を好きになる自分にけりをつけるわけですから、相当な決心だと思います」
「そうだよなぁ……。でも、僕からしたら、二人ともすごいよ」
「まぁ、そうですね。僕としても、相当な決心だったと思います」
「それにひきかえ、四十五にもなって、僕はまだ宙ぶらりんだよ……」
僕は溜め息をついてうなだれた。
「長内さんとは、どうなんですか?」
「どう、って言われてもなぁ……」
「別に、濱本さんにプレッシャーかけるつもりはないですけど、三人とも来年に結婚式、なんてことになったら、素敵な話ですよね」
「そんな話、プレッシャー以外の何でもないって」
「まぁ、結婚だけが人生じゃないですけど」
「慰められると、それはそれでなぁ……」
「でも、結婚どうこう関係なく、濱本さんには幸せでいてほしいです」
藤田の言葉には誠意がこもっていたのだけど、どこか寂しさを含んでいるようにも感じられた。
「ありがとう。藤田君も、幸せになってね」
僕は微笑みながら言葉を返したのだけど、何だか泣きたいような気分になってくるのだった。
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