友とゼリー

春水栗丸

1話しかないよ。

午前で仕事を上がったオレは心の中で法螺貝を構えた。

そして鞄を取り落とした。

家のドアを開けたその先に、友人がソファーで優雅にくつろぎながらゼリーを食べていたのだ。

オレのゼリーだ。


「お、お、お」

「尾?」


靴も脱がず、玄関に突っ立ったままわなわなと震えるオレに、友人はスプーンをくわえたまま首を傾げる。

かわいくない。


「お前ぇぇぇぇぇ!」


オレは両手を振り上げて絶叫した。

ここはおんぼろアパートの六畳ワンルームだが、なぜか防音だけはばっちりなので隣には聞こえない。


寒いほどに風を出し続けるクーラーに煽られていた天井付近のハンモックが、さらに揺れた気がする。


「それ! オレの! ゼリーだろ!」


白いレースの柄がプリントされた透明なパッケージ。

そこに黒の油性ペンで、小学生の持ち物のようにでかでかと書かれている名前は、まごうことなくオレの字だ。


だが、友人はきょとんとして言う。


「じゃあ、ちゃんと名前書けよ」

「いつも書いてるだろうが」

「なんだよ、『あかつき ごろうまる』て。ラグビーなめてんのか」

「オレがなめてんのはお前だけだ」

「よしきた戦争だ」


友人は押入れを無駄に勢いよく開け、しなびた羽毛布団の隙間から剣(スポンジ製)を引き抜いた。


革靴を脱ぎ、踵をそろえて玄関に置く。

そしてオレも手近にあった洋服箪笥を開け、ヨレヨレのジーパンの中から刀(スポンジ製)を抜く。


両者、剣先を相手の喉元に合わせる。

衣擦れの音一つしない、張り詰めた空気。

ついに心の法螺貝が鳴った!


「今日はオレが勝つ!」


オレは走り出した。

真下に振り下ろした一太刀は横に向けた剣であっさりと止められる。


「あれはオレのゼリーだ! 勝手に食べるな!」


オレの猛攻は続く。

剣道の面を打つような一太刀に、袈裟切りや突きを混ぜながら前進する。


「甘いな」


オレの攻撃を受け止め、薙ぎ払い、友人は反撃に転ずる。


「名前を書かないお前が悪いんだ! 名前を書いていないものは、共有財産と見なす! 当然の権利だ!」


お返しだと言わんばかりに友人は力任せに剣で薙ぎ払う。

狙いはオレの武器を吹き飛ばすこと。

あわよくば武器ごとオレをぶん殴るつもりなのだろう。

オレは柄を握り込み、攻撃に耐えながら吠える。


「この部屋の住民はオレとお前だけ。明らかに自分の買った覚えのないものなら、どう考えてもオレが買ったものだろうが。確実に自分以外の誰かが買ったものを勝手に食べるなど、言語道断!」


流れを変えるべく、オレは刀を真横に振るった。

器用にも、友人は真上に跳んで回避する。


「忘れてたな――ハンモック」


オレは思わず舌打ちしそうになった。

友人は真上に跳んだ後ソファーを踏み台にし、壁を蹴って天井近くに吊るしたハンモックへと飛び移ったのだ。

引っ越した当初、おふざけ半分で取り付けたハンモックがまさかそんな使われ方をするとは。

オレは友人を睨み上げた。

ニヤニヤと笑い、両足をハンモックからぶら下げながら友人はオレを挑発する。


「お前、強くなったな。あの日とは大違いだ」

「ああ、お前がオレのゼリーを勝手に食べた。あの日から今日で半年だ」

「僕から刀(スポンジ製)を渡されてオドオドしていたお前の姿。昨日のことのように思い出せるよ」


そう言って天井を見上げる友人の顔は実に楽しそうだ。

視線の先には謎の黒い染みしかないが。


オレは刀の切っ先を友人に向けて言った。


「なんで平日の昼間から家にいるんだよ」

「今日は仕事休みなんだよ」

「このシフト野郎」

「僕の勤務形態を馬鹿にするなぁぁぁぁぁ!」


かかった。

喚くような大声を出し、剣を振り上げて飛び掛かってきた友人。

迎え撃つため、オレは鞘に納めるように刀を構える。

そして、一気に振り抜いた。




決着がつくこの瞬間、オレはいつも思い出す。

それは半年前、つまり友人と同居生活が始まって一年経ったときのことだった。

夜八時を回った頃に帰宅したオレを待っていたのは、ソファーで優雅にオレのゼリーを食べている友人の姿だった。

毎日が絶望の繰り返しで、いつしかオレの食事がゼリーになっていた時のことだった。


アイロンもろくに当てられずヨレヨレになったスーツを着たオレ。

さらにその日の絶望に打ちひしがれ、ゼリーを食べられて動揺しているところに、友人が放り投げたのがスポンジ製の刀だった。


それからオレは何かと寂しいときは必ずゼリーを仕込むようにしている。

毎回謎の名前を書いて。




次の休みの日、オレはいつものように友人に代わりのゼリーを買わせるのだった。




おしまい

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

友とゼリー 春水栗丸 @eightnovel0808

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ