幸せの定義

桜舞春音

太陽編

1 馬耳欧風

―――――――――――――――――――――

 篝火の様な弱さを魅せる

 はぐれものではいられないわ

 爆ぜて痛みを誘う刃

 ほつれることを恐れないの

 心あつらえ酔えて狼狽

 恨みつらみも持ちはしないの

 電波系でもオーヴァーチュア

 私だけだと気づいたから


 一九九一年一月七日。


 バスのスピーカーから突然警報が鳴れば、うるさくて仕方ないと思うのも仕方ない。


 先進国、というより中国に似た新興国として北欧を占める国家、オペラ。緊急事態を報せるОアラートの内容は、隣国の原子力発電所の事故による放射線への警戒だった。

 ざわつくバス車内、背の低さ外の見えない小学生が覗き込もうと必死である。あくまでバスは変わらず高いエンジン音を響かせて冷静に進んでいた。


 高校への通学途中、そのバスでステラ・バキュロはОアラートを聴かないで済む方法を探していた。

 放送によれば事故現場はこのバスが向かうオペラの首都・ピカレスク市からセレナ市と国境を挟んだ誰も寄り付かない廃墟だらけの田舎。原発なんてそこだけだ。ここには何ら影響ないだろうと判断していた。


 高校へ着くと、まだあまり生徒はいなかったが、担任はここで待機しろとの指示を渡した。

 地震も水害もほぼなく、あるものといえば慣れ親しんだ雪害くらいのオペラでアラートが鳴るなんてことなかったから中には初めての教師もいて、ステラは頼っていいのかなと思った。


「みんなはサルサ市には住んでないわよね?」

 日本から来た教頭のチカコが、ニュースを見ながら原発のある市の名をあげる。

 生徒たちは誰一人として反応しない。それを肯定と受け取ったのか

「それなら、今からまた帰ってもらうことにするわ。手段がない人は送るから」

 チカコは何やら忙しげに、職員室へと去った。

 

 ちなみにオペラと隣国アリアは地域連合をつくっているため国境を超えるのにパスポートが要らない。故に隣国から通学して来る奴もいる。


 バタバタと手配に急ぐ教師陣。やることもなく、ぼーっと過ごしていたステラは窓の外を見た。原発の事故といえば直近のものは一九八六年のチェルノブイリ。それから五年、平穏を極めた二国の悲劇の幕開けは鉛の空に寂れた風の吹く冬の日だった。


 セナ市の自宅に戻り、先ほどもらった書類を処理したステラ。両親も間もなく帰宅する。文化的に離れ離れで避難することに抵抗をおぼえるアリア国民はよく逃げ遅れて死ぬというが、このバキュロ家もまたアリアルーツの家系だから例外ではなかった。

 ニュースではサルサ市と両隣の市が全民避難、もうひとつ隣のソフィア市に加えてオペラ・ニナ市も避難ということが報道されている。

 楽観的で主観的なステラはその画面をこれも経験かーと眺めていた。


 翌日。

 学校は私立も含めて休校を余儀なくされた。サルサ原子力発電所の被害規模は、三基あるうち二基の冷却装置が突然停止、そして炉心損傷とのこと。

 

 ステラはニュースから目を離した。

 原因とかべつにそんなことどうでもよくて、求めているのはこの先どう動けばいいかだ。メディアの優先順位には素直に頷けない。


「向こうも大変よね」

 コーヒーを淹れながら、母親・マリンが独り言のように小さくなにか言ったが聞き取れない。

「どうするつもりなのかな」

「さぁね……でも規模もあるし、オペラこっちの人たちも行くことになんじゃない?」

 原子力発電というのもよくわからないけど、中学のとき核だから放射能がーみたいな話は耳にした気がする。その放射能もよく知らないのだけれど。


 ステラは街に出た。

 大きな事故によって学校が休みになった。それだけで外出しないほど、東欧の子どもはインドアじゃないのだ。そもそも昨日の夜中の時点でここセナ市の安全は保証すると市長が言っていた。だから遊びに行く。


 自転車で駆け回ると、日常なんていとも簡単に消え去っていく。


 一週間が経って、テレビや新聞もようやくいつも通りの流れとなった頃。高校も再開し、帰りのホームルームをしていると、校長のユータ・タリスマンがいきなりドアを開けて

「生徒会役員ー!!C'mon!!」

 と叫んだ。

 担任ノート・アイゼンハワーもさすがになにするんですかーっと叫び返す。それでもユータがひたすら同じことを叫び続けるので耐えかねてこのBクラスの生徒会役員であるステラとアドリア・ブロウは放り出されることになった。


 コツコツとローファーの音が無機質な廊下に響く。三階から一階に降りて応接室に通されると、そこにスーツ姿の男がいた。

「こんにちは。少し提案があるんで、そこに座ってくれるかな」

 優しげな表情をした白髪まじりの初老男性はステラたちに話しかけるなりそう促した。

 言われたままに座ると、ユータが男性の隣に座り、ローテーブルに資料をばらまいた。置くんじゃなくてばらまいた。


「六時間目のあたりかな、さっき大統領が会見を開かれてね。そこで、アリアに復興のための技術者を送る代わりにオペラは労働力として身寄りのない人たちを貰うことにしたんだよ」

 男性は自らを役人と名乗って説明を進めていく。


 原子力発電の仕組みは極めて単純だが、なんでもやはり核燃料が曲者らしく、技術者を必要としているみたいで、それを隣の国で国境が越えやすいオペラから補填しようと考えたらしかった。

 代わりにアリア政府は自国の人間を同じ数だけ差し出してきたというのだ。


 アドリアは違和感を感じた。

「こういうときって、お金とか物じゃないの?」

 そのまま敬語も忘れて尋ねてしまう。

「……それは、たしかにそうなんだけどね、まぁ色々ね……」

 男性はあくまで濁して力なく笑う。

 

 その様子も含めて、アドリアは、アリア政府がこの事故からの復興に加えてついでで厄介払いするつもりなんじゃないかと思った。仲が良いオペラに孤児や人々を押し付けて。


「でも、アリアって言葉違いますよね?地域連合はありますけど」

 ステラが加える。ラテン系のアリア語に対して、オペラ語はルーツ不詳の独立言語。

「うんそうだね、だから君たちのところに来たんだよね」

 それを待っていたかのように、大人二人が動き出した。なんか、踊らされてる気分。下に見られてる気がしてならない。


 二人の前に一枚ずつ差し出されたのは、誓約書。

「ステラ君が言ってくれた通り、彼らは言葉がわからない。だけど大人の人たちは案外わかるみたいなんだよ。それで君たちには”子ども”にオペラ語を教えてやってほしいんだ」

 男性が告げた。


 今回オペラに押し付けられた”労働力”は七五人。そのうち二人が孤児として生きる小中学生だという。その二人をこちらで”使える”ように育ててくれる家を探し回っているのだそうだ。

「それって法的にはどういう……」

 アドリアが口にする。

「ああ、特例法をすぐにでも定める方針でね」

 男性は言いながら手でOKマークをしてみせた。

 勿論問題はそれだけじゃない。こちらにも親はいるし、なんとなくその子達を捕虜にするみたいで気は進まない。でもアドリアは、保護したいと思った。


 この国は以前戦争をしていたことがある。第一次そして第二次世界大戦だ。ここは捕虜を収容しておく場所であり、戦争による経済や社会の混乱のしわ寄せが来たエリアだったという。その映像はテレビでも学校でも何度も見せられた。

 敵国の捕虜兵ということで、殆どが奴隷のように扱われ、二度と帰れなかった兵士もいる。

 もしアドリアが断ったら、写真の向こうのこの子たちはそんなふうになってしまうかもしれない。それが避けられるなら、政府の思う壺だってやってやる。

「私、やります。この子を保護したい」

 アドリアはその勢いで書類にサインした。


 ステラも気持ちは似ていた。過去の戦争のことまでは思慮せずとも、なんとなく、写真に映る幼子の目に本来そこにあるべき活力が見えなかった。働き手?馬鹿馬鹿しい、帰りたいと言われたらすぐにでも帰す気持ちでめいっぱい笑わせてあげたかった。

 ただ、父母がなんというかはわからない。

 たぶんOKだとおもう。お金は政府から少し出されるようだし、スペースもある。建売を買ったために家には部屋が余りまくっているのだ。

 ステラは前向きな意向を示してから保留とした。


「いいわよ。で今日の夕飯シチューでいいわね」

 帰宅するなり訊いたが、母マリンは秒で許可した。父親も同じ反応。

 ステラはその足で電話をとって役所に連絡する。

「ステラ、先月あたし電話しすぎたから手短に頼むわね」

 マリンがしわを寄せてくるのを無視して電話応対を済ませ、自室の隣に子ども一人が入れる部屋があることを確認する。

 これで家問題は解決した。


 手続き後、あの会合から一週間少し経ってからセレナ市役所にて子どもたちの身柄引き渡しとなった。この言い方もなんかいやだが、政府がこう記しているらしい。


 アドリアには一二歳の女の子が、ステラには一〇歳の男の子がつくことになり、それぞれ別で対面した。

 ステラについた少年はオペラではめったに見ない日系の可愛らしい少年だった。名をヤマト・スズキといい、濃い茶髪に丸い顔立ち、細い体躯が年齢より幼く見せている。日本人は顔が薄くて若く見えるとマリンがよく褒めているが、こんなもんなのか。


「はじめまして。今日から一緒に暮らすことになりました、俺はステラ・バキュロっていいます。ヤマトって呼んでいいかな?」

 ヤマトはステラを頭からつまさきまで見て、目を合わせると、うんと頷く。

 少し元気がないように見えた。


「ステラの方どんな子」

 ヤマトたちが荷物をまとめている間に集まった二人。アドリアが訊くともなく平坦に言ってきた。

「日系で結構小さいね。あんまり喋ってくれんのだけど、返事とかアリア語ってか英語に聞こえるんだよな」

「日系なのね。日本ってあんまりイメージわかないけど……名前は?」

「ヤマトスズキ」

「たしかに日本語に聞こえるわね。アリアって親日だったっけ」

「そっちは?」

「女の子で年頃だからどうかなぁとは思ってたけど、明るくていい子よ。お口が達者で流暢に話すからアリア語にあんまりついていけてないけど」

「アリア語って速いからな」

「そーなのよー」


 ガチャッと、扉が開く音がして、ヤマトとアドリアについたミアチ・アライオンという少女が出てきた。二人とももとが施設暮らしだからか荷物は少なかった。

「今からそれぞれお家の方へ送るよ。ステラくんとヤマトくんは僕についてきてね」

 禿頭の男性に優しく言われついていく。裏口から旧いマーキュリーのコロニーパークに乗り込んだ。対米のオペラでは珍しいアメ車。


 できたばかりの高速道路にのり、なかなか飛ばす。セレナ市からセナ市なんてピカレスク市越えるだけで別に遠くないのにな。


「ここでいいかい?」

「はい、ありがとうございました」

 男性は狭い道に入る車じゃないということで幹線道路沿いでステラたちを降ろして帰っていった。

 ステラの自宅は、セナ市東側のモルドバとの国境が見える丘にある。日本好きなマリンが今年買ったカルタスGTIと四年前に納車されたベンツのミディアムクラス・W124Tモデルが並んでいるガレージを横切って、ヤマトの手を引いたままとりあえずリビングに通した。


 プラハの姉妹都市ピカレスク市の影響を受けたセナ市の家はアール・ヌーヴォー建築が多いが、この家も例外ではない。隣の家はもう少し古いゴシック建築。外壁が特徴的だからかヤマトは少し怯えていたが、中にはいってソファに座ったところで安心したらしい。

「今は男三人だけど、すぐ母さんも帰ってくるからな」

 奥の部屋から父タフ・バキュロがつたない英語とともに菓子を出してきた。この人はセナ市だとちょっと有名なダンサー兼スタントマンで、経営するスクールのレッスンがない日とともに休むので不定休。


「ヤマトくん歌聞くか?今は日本で流行りの曲があるぜぇ」

 ヤマトが日本と聞いて反応したのを見逃さない。目配せする。


 どこから持ってきたか、八センチCDを持ち出したタフはそのまま尾崎豊のI LOVE YOUを流し始めた。

 ヤマトには日本語が解るようで、体を揺らして聴き入っている。たぶんこの年頃の男の子が聴く歌ではないんだろうけど、母語という親しみが彼の中にあるのだろう。


 遠く異郷の地で暮らして、独りぼっち。

 それで連れてこられた国は、また言葉が違う。

 その中で聞く母国語って、それだけで嬉しくなるんだろうと思った。


 アドリアは一人暮らしの家でミアチに早速話しかけていた。

「ミアチ、アドリア・ブロウよ。苗字がアライオンってことは貴女音楽の家系かしら?この辺だとそーね、オペラ語の音楽は特殊って言うけど」

「ワタシ、ギター弾けるです!英語の授業でも胸張れるます」

「そ〜なんだ、と言いたいところだけどその前に貴女オペラ語が話せるの?!」

「はい、ここに来るまで役所のオバサンと頑張る!」

 たぶん頑張ったと言いたいのだろうけど、否定はしない。学ぶ意思というのがあることが大事だから。ただオバサンはドラマか何か覚えたのかO-BA-SA-Nと日本語で発音していたので正しておいた。


 預かり期間は二ヶ月。その間に、語学留学のような感じでオペラ語になれさせるカリキュラムだった。

 それが終われば、彼らは”働く”そうだ。


「ヤマト」

 ステラはヤマトを呼んだ。すでに家族の会話から返事くらいは覚えたらしく雰囲気で会話は可能。

 ぱたぱたと駆け寄りストンと机の向こうに収まる。ステラは役所から渡された教材を手にした。


 小学校でおなじみのテキスト”文字とことば”。ヤマトもアドリアが担当したミアチも役所で簡単な読み書きは覚えているらしく、社会の場でオペラ人が使いがちな表現をやれとのことだった。

 今日は「ら抜き言葉」だ。


 基本的に、可能の意味の見られる、来られる、や否定の意味の考えられない、認められないを見れる、来れる、考えれない、認めれないと発音する表現。

 別言語でも似た例があるらしいけど、オペラ語ではら抜き言葉は話し言葉として正しいとされている。

 そしてら抜き言葉の単元にあるのがこの他に、見れん、行けれん、言われせんなどの短縮語。今日はそこをやることにした。


 一通り済んで、ヤマトの言語能力の高さに驚いていると、表に車が停まる気配がした。直後、父タフ・バキュロが大声で歌いながらご登場。最近お気にの日本曲だ。

「父さんうるs

「待って」

 ステラが制裁のため立ち上がった刹那、ヤマトがその歌に興味を示して止めた。

「それ、何」

 途端に目を輝かせるタフ。

「おっ!わかるかぁオオエセンリの魅力が!!」

 そのまままた八センチCDを機器にかけるタフ。

 日本語で流れる音楽。やはりヤマトは嬉しそうだ。

「父さん音外しまくり」

「うるせぇ!俺だって音感さえあれば!リズム感はあるんだ!」

「今聴いているので静かにしてください」

「あっ……」

 ヤマトの声に話を止める。


 ステラは自室に戻り、棚からパンフレットを取ってきた。そのままそれを軽く読んで階下へ向かう。


「ヤマト」

 ヤマトが振り向く。

「明日、ここ行こっか。たぶんいいことあるから」

 ヤマトは頷いた。


 翌日。マリンからカルタスをぶんどって、ステラは国境を越えようとしていた。

 国境警備隊に学生証と免許証を提示して、持ち物検査に移る。ちなみにオペラでは一六歳から普通自動車運転免許が取得可能である。


 ステラとヤマトが向かったのは、隣国モルドバにあるトヨタの博物館。ちょうどクーポンもあったし日本企業ということで、遊びに行くには最適とみた。祖母の家も近くてなかなか気楽に行けるところだ。


「身分証明書はございますか?」

 職員が受付で尋ねる。

 ステラは自分の免許とヤマトの身分証明書である”滞在保証書”を提出する。

 それを見た職員の顔が曇った。


「あっ……失礼いたします、係の者に代わります」

 職員はそそくさと引っ込み、すぐにステラとヤマトは別室に移された。


「その……つまりこの子はアリアから来た……と」

「ええ」

「……失礼だけど……そのアリアの政策についての民意はご存じない?」

「……どういうことです?」

 CustomerModerator《司客》の男性が、これから王様に物申そうとでもいうような姿勢で訊いた。その様子からいいニュースではないことを察しつつ、ステラは聞くことにした。


 彼が語ったのは、モルドバ人、オペラ人、そして一部のアリア人から、今度の”人員異動”に対して怪訝の視線が送られているということだった。

 

 アリア政府の政策の問題点は、身寄りのない成人男性と二人の孤児に絞って労働力としての渡航をさせている点にあるという。

 それはステラもうすうす感じてはいた。

 技術者の代わり。それは人ではないはず。

 アドリアがあのときぶつけた疑問。それに対して大人は濁すようにした。大人の都合。金がないのか、あるいは”面倒な存在”をどうにかしたかったのか……。


「勿論その人選について家族がいない者を送ることで不要に人を動かさないで済むようにするとかいろいろ肯定意見だってあるんだけどね。まあどうしてもね」

 男性は付け足す。

 つまり、その反対派の批判を避けるためヤマトを入れることはできない、と。


「そうですか。それでは」

 ステラはヤマトと手を繋ぐ。

「ヤマト、帰ろう。途中でまた遊べるところに寄ればいいよ」

 ヤマトは頷いた。


 エントランスホールで、ヤマトはさっきの受付とのやり取りを見た人々の視線を恐れていた。噂、噂、噂。人間社会についてまわる、骨のない魚。毒蛸のような安直な思想。尾びれだけを立派にこしらえて、何がしたいんだあいつは。


 帰国し、家に帰ると、何やら庭先が騒がしくなっていた。

 人だかりというにはまばらだが、談笑でもなく詰め寄るようにマリンと話していた。ガレージに車を停めようとして、一人のカメラマンが車とステラを撮った。

 なにごとかと急ぎ車を置き応対しようとして、タフに引っ張られた。

 筋骨隆々なタフは二人を簡単に引きずって家の中に仕舞い込む。


 室内は異常だった。

 カーテンは締め切られ、真っ暗。

 しんと、まるで存在を悟られぬよう暮らしたユダヤのかつての隠れ家のような相貌。

「なにこれ」

 ヤマトもなにかと問う。

「……おまえたちは悪くない。ただな、どこの新聞社か、ヤマトの居場所を突き止めて全国区で報じやがったんだ。それでこの有り様よ」

 外ではマリンがまだ対応している。

 基本的に気と我の強い人なのであまり心配はないが。


「……僕知られちゃいけないの?」

 その時、ヤマトがかすかに言った。字にするならまさに”かすか”。ステラはヤマトを抱きしめた。

「ヤマトは悪くない、悪くない。よしよし」

「僕……おったらあかんの……?」

 ヤマトがなにか言った。でも、アリア語でもオペラ語でもない。


「……日本語?」

「日本語に聞こえるな」

 

 ステラは決心して深呼吸した。

 

「ヤマト。ヤマトのこと、俺全力で守るよ。でも国が、俺とヤマトを引き裂いてる。大人には汚い人がいるんだ」

 ヤマトが悲しそうに震える。

 こんな子ども怖がらせて、何が政策だ。


「成程……そっちも大変ね。こっちはもう奥の棟の方に逃げてるわ。あなたも来る?夜ならよっぽど移動してもバレないでしょう」

 その晩、ステラはアドリアに電話した。

 彼女とミアチの身を案じてだったが、

杞憂。

 逆に救いの手を差し伸べられてしまった。


 アドリアの家。遊びに行ったことはないが、広いらしいし、なにより彼女の家系の土地にあり誰も入ってこられないところにあって、避難には最適と思う。

 避難を決め、マリンに告げると、いってらっしゃいと言われた。

「母さんも来いよ、過激派が来たらどうすんだよ」

「もう、心配性ね〜誰に似たの。私がここをでたら誰がこの家を管理するんですか。この大黒柱は家の事はてんでダメだし、それにこの家が空になったら記者はまた追ってくるわ」

「そうそう、母さんの言うとおりだ。避難するときの車は出すから、おまえたちは荷物をまとめておいで」

 そのまま言いくるめられてしまった。


 出発は明日の夜。

 ヤマトを撫でながら、このか弱い全世界の弟みたいなヤマトを絶対に大人から守ると誓う。


 大人の都合は、たいてい子どもみたいな都合で、それに左右されるのはいつも、本物の子どもなんだ。

 決行の日……。大げさだが、ステラはやに緊張していた。

 荷物を積み、ベンツの後部に乗り込む。

 昼間は鮮やかな赤も、夜の闇に抗わず溶け込んでいく。


 ハイウェイを走ると後輪がゴロゴロと鳴る。ヤマトはそれが心地よく寝入ってしまった。ボサノヴァ系の音楽がラジオから流れてくる。ステラもまた寝た。


「着いたぞ」

「……ん」

 一緒に暮らし始めて薄々わかっていたけど、ヤマトは寝起きが悪いらしい。重たそうに身体を起こして、目をこすりながら歩き出す。

「……っでか」

 車を降りて、細い道を入ったところに勝手口があるとアドリアから聞いていたからそうしたら、めちゃんこ豪邸。

 二階建の城的外観、赤レンガ。広大な庭を持ち、門構えは荘厳華麗。

「いらっしゃ……なにしてるの?」

 ここが本当にアドリアの家なのかなんなのかわからず突っ立っている二人をアドリアが覚ます。


「アドリアおまえ一人暮らしっつってなかったっけ?」

「そうだけど?」

「この家に?アパート借りてんのかと思った」

「ああ、ここお祖母ちゃんの家なのよ。だけど年だし管理しきれなくてしばらく前から住んでたの。で、去年お祖母ちゃん死んじゃったからそのまま住んでんの」

「成程」

 

 アドリアは二階へ上がり、奥側……北の棟の角部屋を使っていいと言ってくれた。小綺麗に整って、暖炉まであるおしゃれな部屋。ウッド調のアンティーク家具も揃っている。これなら問題なく住めるだろう。


 その夜は、少し浅く眠った。


「ステラ」

 ヤマトのか細い声で目が覚める。

 彼は寝起きでなにか怯えていた。

「どーした、どーした」

 慌てて辺りを見回すが、別になんともない。

 だけど、異変はすぐに訪れた。


 Оアラートだ。


 外の防災無線からけたたましく鳴っている。

 ステラは窓から離れつつ、壁に近づいてアナウンスを聴いた。


 ―……が…ゅうと衝突、……へ…う模様です……とかしているかの……のでただちに建物の中へにげ……


 衝突?

 どういうことだろうか。

 このОアラートは、軍事災害問わずとにかく国民に緊急事態を宣言する放送だ。他国からの襲撃や今回のような原発事故、あとは嵐や火山被害の速報など。そこで”衝突”という言葉を使うのはどのパターンか。

 いずれにせよ、建物の中にいれば安全と繰り返されている。ステラはカーテンを閉め切って、ヤマトにその旨を伝える。

「そっか……」

 ヤマトは不安そうにステラの手を握った。


「ステラ、ヤマト!」

 アラートが止まってからアドリアとミアチが駆けつける。

「こっちは大丈夫だ。何があった?」

「……二階が安全なのかもだわね。少し待っていて。ラジオを取ってくるから」

 ミアチを残し、アドリアがどたばた階下へ走る。


「取ってきたわ。下も戸締まりは完璧。さ、ミアチ少し静かにね」

 歌っていたミアチに注意して、アドリアはラジオの周波数を合わせた。時計には八時一七分と刻まれていた。


 放送の内容はこうだ。

 昨晩、セナ市に隣接する首都ピカレスク市から八つの部隊に分かれてデモ行進が行われているという。それは、理不尽にアリア政府が押し付けた働き手の人権侵害に反発するものだった。それが今朝になり、制圧していた警察とついに武力衝突という形で広がっている、とのこと。


「つまりは、居場所が知られると家を襲われてヤマトやミアチが連れ去られる可能性がある……ということね。言ってることは悪くないけど、やり口がだめなパターン」

 アドリアがラジオを切る。


 武力衝突って。

 なんだよそれ。


 ステラは怒っていた。

 なんで政権者を敵に回すんだ?

 そんなことしたら、誰も幸せにならない。ただでさえヤマトたちは国に冷遇されていたのに、そんなことして帰国してもそこに幸せはない。

 そこに笑顔はない。

 

 その時、呼び鈴が鳴った。 

 この住宅街における呼び鈴普及率は低空飛行エアロ擦り状態だが、さすがは資産家の家と言ったところか。

「私見てくるわ」

 アドリアがのぞき穴を覗くと、外には細身の男性が二人と黒人の女性が一人立っていた。そのまま声を張って話しかける。


「Здравейте. Избягахме от демонстрацията. Може ли някой да ни пусне в къщата?」

 アリア語だった。挨拶からして、南部訛りの。

 アドリアはマッハ移動でミアチを玄関まで連れてくる。

「扉は開けずに、向こうの人達の言葉を通訳してほしいの」

「理解理解で〜す」

 ミアチもかなりオペラ語に馴染んできた。


 ミアチはしばらく、鉄の扉越しのくぐもった声と対話を続けた。

「うん、人達、逃げてきたって。デモがあるから、隠せくださいと」

「なるほどね。わかったわ。ありがとう」


 アドリアはもう一度ドアスコープから外の様子をうかがって扉を開けた。


 予想通り、彼らは南部アリアから連れてこられた労働力だった。みんな身寄りのない身分らしい。

 

 二階にある広間で集まり、簡単に茶を出した。


 白人の男性二人、そして黒人と思った女性は服装のせいでそう見えただけで、端正な顔立ちのヒスパニックだった。

「ありがとうございます。私はキャスト・エンタス。ソフィア市で働いていて、今回オペラに派遣された働き手ですわ」

 女性は言った。キャストと呼べば良いらしい。


 二人の男性も、マラ市から来たのがデュルヴ・ストリート、シスル市から来たのがレイ・レボというらしい。二人は同じ職場からの派遣。


「それで、デモ隊っていまどんな?」

 ステラは尋ねた。まだニュースなどは速報段階で、報道のたび先程の訂正はと言われている。それよりは生で見た人たちから聞いたほうが早い気がした。

「う〜ん、アリア人の国民性なんだけど、僕ら労働者の帰還を目的として、賛同する家庭がいくつも集まってる感じ。それがオペラの警察に喧嘩売ってるような形かな」

 レイレボが答える。ミアチが翻訳する。

 こっちもアリア語に慣れないとな。


 それにしても、オペラ警察が民衆のデモ隊に対して攻撃することはないと思うが、事実は違ったのか?

 なんとなく引っかかる説明ではあるが、今確認に外に出るほどステラも馬鹿ではない。


  一九九一年一月二七日、午後一二時四三分。


 二、三日したら落ち着くかと思われた闘いはまだ続き、銃や手榴弾なんていうものまで使われ、デモというよりは紛争という形に近づいていた問題。

 オペラ政府はデモ隊の意見を通そうとしていたが、アリア政府は拒否。議論は膠着していた。


 ステラは浮遊感に襲われて目を覚ます。

 鼻に、喉に、煙と瓦礫の粉塵が襲って咳き込む。そのまま数メートルほど落ちた感覚。

 きしむ体を無理矢理に起こして目を開くと、暗い夜空が地平線まで赤みがかって見えた。

 ここは住宅街のはずだ。なぜ地平線が見える?


 あたりを見回す。

 燃える木材がパチパチと音を立てて、あの豪邸は崩れ落ちていた。


「ステラ!ヤマトはそこにいるの?!」

 自分の身体の痛みさえ判然としない意識の中に、アドリアの高い声が入る。

 そちらを向くと、アドリアはガレージからルノー・マスターを出してきていた。

「詳しいことは後で!すぐヤマト連れて乗りなさい!!」

 アドリアの急かしに脳死でヤマトを探す。

 彼は崩れたアドリアの家の瓦礫後ろで怯えていた。


「でこれは一体……」

 アドリアの運転は相当荒いが、それよりも気になること。

「ああ……」

 アドリアがカーラジオを片手間に操作する。口頭説明が面倒な時に報道を使うこいつの手口。

 

 ―……アリア政府がデモ隊を”OUTSIDER”として宣戦しました。オペラ政府は公認していませんが、アリア政府はオペラ側の国家責任として攻撃を開始した模様です。繰り返しお伝えします。アリア政府は先程、セナ市、ニナ市、黒海のオペラ領域に非核武器を用いて攻撃を行いました。今後デモ隊に対して軍事的制裁を与えるとして宣戦しています―


「なんだよそれ……!」

 レイが奥歯を噛み締めた隙間から絞るように言う。自国への批判であろう。

「落ちついて、レイ。とりあえず逃げましょう。アドリアさん」

「なに?!」

「どこかアテがあるような進路だけれど、何処に向かってるの?」

 キャストがアドリアに問う。

 この緊急事態でしかも荷台で、よくもまあ進行方向のことまでリソースを割けたものだ。


「おじ様のところよ。父方の叔父が自然保護地区で密猟警備をしているの。その家に行ってみるわ」

 アドリアが国道を飛ばしながら言った。

 キャストは頷き、荷物をまとめる。


「ステラ……」

 ヤマトが泣いている。先程のニュースはオペラ語だったが、突如牙を向けられたことは理解したみたいだった。

「大丈夫、俺たち生きてんだろ。だから泣かない」

 ヤマトの頭を撫でて抱きしめる。

 こんなに小さかっただろうか。


 セナ市から国道をベタ踏みで流し、ユ市を抜けると峠にさしかかる。マジカル山脈という山々。

「さすがにノーマルじゃキツイか……」

 アドリアはとりま踏みまくっているが登りじゃバンは走らない。


 車窓からは火事だろう赤い光が差し込む。まるで……いや、この景色は戦争そのもの。繰り返してはいけない歴史が繰り返されている。

 もはや、止まることはないだろう。


「よく来たな、ホラ中に早く」

 叔父は快く迎えてくれた。ちょうどアドリアの家に電話が繋がらず恐れていたところだったという。

「どうしてこうなった……」

 レイはまだ悲観し続けている。キャストは窓を見ながら手持ちのカメラでバシャバシャと様子を撮っている。何と尋ねれば「これが役に立っちゃうときが来る気がするの」と。


 あの日の武力衝突というのはたぶん、デモ隊のバックにアリア軍がいたから起きたんだろう。ラジオによるとオペラ警察が攻撃した事実はないらしい。それが情報統制という可能性もなくはないけれども。

 しばらくは眠れない日が続きそうだった。


 次の日も、次の日も、なんど人が死んでも、両国の亀裂は塞がらない。

 連日轟音が響き、街がみるみる消えていく。

 ステラが家族と会うためヤマトを連れて車を出した今日も、街はすっかり荒野と化して冷え切っていた。


「ステラ!ヤマト!」

 マリンは少し痩せていた。

「ここはもう良くなったの?」

「ええ、戦線は一旦はひいてね。ピカレスクの方はまだ大変みたいだけどね」

 タフが瓦礫で建てた仮設住宅もどきの中に寝具を敷いて暮らしているようだ。


「父さん母さん、俺たち今アドリア叔父の家に隠れてるんだ。来ない?」

 ステラは少し悩んだが、言ってみた。

「なんて?」

 が深刻な声色で低すぎて聞き取れなかった模様。声が低いのも悩みどころである。

 改めて伝える。二度手間。

「そうね。いいならお邪魔させてもらうわ。正直ここにいる理由ないもの」

 

 アドリアたちは快く迎えてくれた。


 ステラは眠れない夜に、よく山を降りた。

 なんの変わりもなく星はそこにあるのに、その明かりを頼りに生きる命がない。殆どの住民はどこかへ消えた。それが冥土なのかは知らない。

 深い青の中に朱がふちを取る争いのさなか。

 

 ヤマトは環境の変化に弱いようで、疲れた様子。アドリアやマリン、ミアチもみるみる影を濃くしていっている。


「疲れたよ……」


 割れたアスファルト、土、コンクリート。

 しめっぽい地面を触る。

 

「……」

 後ろだ。さっきから妙に感じていた視線。

 振り返る。と、瓦礫の向こうに人の髪を捉えた。

「誰ですか」

 気味悪くなって圧をかけると、キャストがひょいっと現れた。


「ごめんなさい。家を出ていくのが見えて、つい」

 長い髪をまとめながら言う。

「どうしてこうなったのかしら」

「さあ……」

 山道を登りながら、また街を見下ろした。

 東欧の町並みはすでに、すっかり戦地になっていた。


「ヤマト、朝だぞぅ」

「んん〜」

 起きろ。

「起きないとご飯やんないぞ〜」

「んん」

 起きた。


 ここでの暮らしにも慣れてきて、山で遊べることも増えてきた。ステラたちよりも、アドリアとヤマトの適応能力の高さには脱帽モノである。


 原発事故の処理はあらかた終えたらしく、本来であればもうヤマトたちとは別れだがアリア政府とオペラ政府とそれぞれの国民とで確執が解けずそれどころじゃない。


「おはよう二人とも」

 挨拶をしながら、デュルヴがデニムのエプロンをかけて木目が目立つ明るい色の皿をテーブルに並べる。レイと同じ工場で働いていたチェコ系の青年で、料理が特段うまい。

「うま〜!」

「私には作れないわ」

 ミアチとアドリアは毎日異なる語彙で褒め称えている。ミアチもだいぶオペラ語になれてきた。


「そうだ!ミアチのバイオリンって皆聴いたことないわよね?ちょっときかせてあげて」

 キャストが突然立ち上がり、そのままミアチの部屋まで走りに行く。歩くときからそうだが、彼女は足音がしない。


「どういう風の吹き回し?」

「たぶん、昨日弾いてたから」

「へぇ。音楽の家系だったかい?」

「はい、ピアノは弾けませんがそれ以外なら」

「じゃあ何弾いてもらおうかしら?」


 談笑の影で、ヤマトが席を立ったのをステラは見逃さない。

「どうした?」

 影に入って小さく尋ねる。

 

 一九九一年二月二〇日午前七時四三分。

 地上が冷たい感情を睨む中に白い光が差している朝だった。


 真新しいフローリングに立ち尽くしたヤマトは、日本語でこう返した。


「黒い目に月が映る人間はみんな、わるいひと」


 篝火の様な弱さを忘れ

 上等な常套句 もう済んだの

 爆ぜて痛みを誘う刃

 ほつれることを恐れないの

 心誂え酔えて口裂

 奪えた物は離さないわ

 電波系でもオーヴァーチュア

 すべて私が知ってるから


 月の瞳が虹に勝る―

  

       太陽編 完

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