第29話 ジーアポット


「冷たい? ナンデ? ツメタイナンデ?」


 炎天下、とまではいわないけれど普通に暑い日である。

 降り注ぐ陽光の下に肉なんか置いていたら、あっという間に傷んでしまうだろう。壺に入れていようがいまいが同じだ。


「論より証拠。焼いて食べようか」


 女の指示に従って、小僧さんが肉を受け取り、屋台の横の焼き網で肉を焼き始める。塩を振ってね。


 普通に良い匂いだよ。

 美味しそうだよ。


 やがて、香ばしく焼かれた肉が一口分ほど串に刺されて私とメイコンの前に差し出された。


「ふむー。美味しいね。メイコン父様」

「ついに父親なてしまいました。出世なのか格下げなのか……」


 苦笑しながら、メイコンも肉を頬張っている。


 不思議だ。


 この状況で考えられるのは、朝からここに置いてあったってのが嘘か、それとも本当に魔法なのか。

 冷却魔法ってのは私も聞いたことがある。


 氷のつぶてを撃ち出したりできるって。

 けど、さすがに実物にお目にかかったことはないよ。魔法使い自体がものすごく稀少だしね。


 万人に一人の才能って言われてる上に、魔法を学ぶにはすごいお金が必要だからね。

 持って生まれた才能でふるい分けられ、さらに親の財力で選別される。

 狭き門なんてレベルじゃないんだ。


「魔法……でも魔法使いが商売をするなんて話、きいたこともないし……」


 魔法協会アカデミーに認められた魔法使いなんて、一生食いっぱぐれがない。あくせく商売なんかする必要もない。


「種も仕掛けもあるって言ったろ。壺の中に手を入れてみな」


 いやいや。

 いやいやいやいや。

 魔法の壺に手を入れるなんて、そんな恐ろしいことできるわけがない。


 なにかあったらどうするんだよ。

 噛みついてきたり。


 く、でも、どうして肉が冷たかったのか知りたい。


 種も仕掛けもあるってことは、再現性があるってこと。

 それはつまり、私たちが作ることができるかもしれないってことなんだ。


「ええい! ままよ!」


 意を決して手を壺に入れる。


「アイヤー、アリアそれ蛮勇ねー」


 メイコンが呆れ、女が愉快そうに笑った。


「お嬢ちゃん、あんた勇気あるよ。今まで誰一人、手を入れようとしなかったのにさ」

「いや……でもこれ、中に何もない。でもひんやりしてる」


 氷でも入れて冷やしているのかと思ったけど、そういうわけでもない。


「不思議かい? この壺の秘密、なんと今なら四ミクルで教えようじゃないか」


 ミクルはこの国の通貨で、四ミクルってのはだいたい七百シーリンくらいの価値がある。年収五十シーリンあれば平民の四人世帯がかなり余裕のある生活できるから、ざっと十四年分だ。


 露店で売り出すような品物の価格じゃない。

 観衆がざわめいている。というより怒っている。

 たしかに、ふざけてるのかって値段だもの。


 だけど……。


「買うわ。その秘密」


 私は、きっぱりと言い放った。





 欺し騙りの類いだったら大損だ。

 無駄遣いの極致といっても良いだろう。


 私たちを殺すために傭兵を雇った商売敵より金の使い方が悪いわってレベル。

 けど私は、ここが勝負どころと読んだ。


「アリアの肝の太さ相変わらずね。大上段から斬りかかてくる戦士みたいね」


 やれやれと肩をすくめるメイコン。

 お金は半分彼が持つってさ。師匠として。

 騙されたときは、二人で勉強したってことにしようと。


「パパ大好き-」

「でもつぎ勝手ことしたらお尻叩き刑ね」


 釘を刺されちゃった。


 笑いながら、女が小僧たちに露店を片付けさせている。

『秘密』が売れたので店じまいなのだそうだ。


 さて、七百シーリンもする魔法とは、果たしてどのようなものか。


「先回りして言うとね。こいつは魔法ではなく科学さ」


 場所を私たちが逗留する旅籠に移し、ラティーファと名乗った女性が解説を始める。


「科学?」


 あまり聞いたことのない言葉だ。


「自然にあるものが、なぜそうなっているのかを考えるってこと」


 そう言って、ラティーファはぴんっと親指でコインをはじく。

 それはくるくる回りながら宙を飛んで、軽い音を立ててテーブルに落ちた。


「さあ、この銀貨はどうして落ちてきたと思う? アリア嬢ちゃん」

「どうしてって……?」


 そりゃあ銀貨に羽があるわけじゃないんだから、落ちるのは当たり前と思うのだが、ラティーファが言うにはどうして当たり前なのかを考えるのが科学というものらしい。


「つまり、この冷たくなる壺も科学の産物なの?」

「そういうこと。言われてみれば当たり前に起きていることなんだよ」


 雨に打たれた後、濡れた体を拭かないでいれば風邪をひく。体が冷え切っちゃうからね。


「なぜ体が冷えるのかっていえば、気化冷却が起きるからなんだ。これが二重ポット式冷蔵庫ジーアポットの原理さ」


 よくわからない単語が並び、なかなか理解が追いつかない。

 ようするに、水が乾く……蒸発っていうらしいけど、そのとき周囲の温度を奪うんだそうだ。


 これは世界のどこでやっても、同じ条件なら同じ結果が出るんだってさ。

 そこがすごく大切らしい。


 誰がやるとかで結果が違ったら、それはもう科学じゃないという。

 よくわからん。


「論より証拠さ。自分で作ってみれば良い。科学ってやつは実験と立証が一セットだからね」


 そういって笑うラティーファだった。



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