第17話 東からきた男
宿に戻ると、オリバーとトムスが壺を見ていた。
じーっという擬音が聞こえるくらいに。
「なにやってんの? あんたたち」
「あ、義姉さんおかえり。ちょっとこれ見てくれないか」
声をかけるまで気づかないとか、どんだけ集中していたんだね? 義弟よ。
護衛のアウィも、呆れたように肩をすくめている。
「のみの市でそれを買ってから、ずっとこの調子なのよ。呪われてるんじゃない?」
「やだ、呪いの壺なんか買ってこないでよ?」
思わず嫌な顔をしちゃったよ。
美術品にはとかく呪いがつきものだ。高価なモノになればなるほど、それは顕著である。
「義姉さん、鑑定してくれよ」
「ちょっと。こっちに持ってこないで。私まで呪われるじゃない」
「俺がすでに呪われてるみたいに言うのはヤメロ」
きゃいきゃいと騒ぎながら壺を受け取る。
重さはそうでもないけど、なんとも微妙な手触りね。間違いなく金属ではないし、かといって木製ってわけでもない。
柄も彫ってなくて、のっぺりとした感じ。
「
なんだろう、これ。
素材も判らないなんて。
「それにしても不思議な壺ねえ。ほのかに青というか緑というか、淡いような深いような味わいだし。吸い込まれそうだわ。どこで手に入れたのよ。こんなもの」
のみの市とアウィは言っていたが、さすがにそれだけで詳しいことは判らない。
「
「東方? ミルニー王国とか?」
「いやいや。もっとずっと東だってさ。大陸公用語もカタコトだったし、肌も黄色かったぜ」
「黄色って。まさかセルリカ人ってことはないでしょうし」
「お? 義姉さん知ってるのか? そいつセルリカからきたっていって」
「どこ! その人どこにいるの!」
オリバーの言葉にかぶせるように私は訪ねた。
まさか、まさかこれってセルリカの土器なのか。
たしか青磁といったはず。それがフィルスバート王国に渡ってきたというのか。
一年以上もの旅をして。
会わなきゃ。
なんとしても会わなきゃ。
壺をトムスに手渡し、義弟の肩をかっくんかっくん揺する。
「なになに!? これってそんなに良いものなのか?」
「良いもなのよ! この壺は良いモノだー!」
「やった。買い叩いてやった甲斐があったぜ。なんと百デーナル」
ぐっとオリバーが親指を立てた。
「この、おバカ!」
「ぐぴょっ!?」
必殺の
ていうか私もけっこう痛い。
そしてそれどころではないのである。
「すぐに捜さなきゃ……。オリバー、案内して。トムスはジュリアンに事情を説明して。いま起きたことをそのまま話せば、義兄さんなら判ってくれるから。アウィも一緒にきて」
矢継ぎ早に指示を出し、私は宿を飛び出す。
まだ王都にいてくれれば良いけど。
もしすでに出発しちゃっていたら最悪だ。
閉会時間が近づいているのか、のみの市は人もまばらだし店じまいをしている露天商もけっこういる。
「あ、まだやってるみたいだぜ。品物はあんま残ってないみたいだけど」
視線の先には中年の商人。日に焼けて浅黒くはなっているが、あきらかに私たちとは違う肌の色をしている。
髪も瞳も黒。すごく異国風の顔立ちだ。
私は彼の元へと全力疾走する。
「ちょっとアリア! どうしたの!」
慌てたようにアウィとオリバーがついてきたけど、かまっていられないのよ。
だって商人の瞳には失望が浮かんでいたから。
「あ、あの!」
「どしたね? おじょさん」
カタコトの大陸公用語をききながら、私は商人の前で両膝をつく。
書物で読んだ東方の謝罪は、たしかこうやるのだ。
そのまま両手と頭を地面に擦り付ける。
「このたびは、義弟が大変に失礼なことをしてしまい、申し訳ありませんでした!」
「ちょっと義姉さん!?」
「アリア!?」
後ろの二人が驚いている。
そして、正面の商人は穏やかに言った。
「顔あげてください」
と。
視線をあげた私の目には、苦笑している男の顔が映っている。
「どして謝るですか? 弟さは、あの壺に百デーナルの価値みた。だからその値で買ういったでしょ」
「とんでもありません! 義弟はまだ修行中の身。ものの価値など判ろうはずもなく、あなた様の商品に対して見当違いな価格を提示してしまったのです」
そう言って、私は腰の隠しから財布を引っ張り出す。
覗いてみるとシーリン金貨は十枚くらいしかなかった。厳しいな。
「とても足りないのですが、まずは手付けということでお納めください」
商人の前に金貨を積む。
「ちょっと義姉さん!?」
うしろでオリバーが悲鳴を上げるけど無視だ。
青磁の壺の価値を考えたら、こんなんじゃぜんぜん足りない。
「半金です。のこり半分は明日、必ず」
「おじょさん。それ高すぎ。十七シーリン、充分ね」
ごく穏やかに男が微笑した。
やっぱりね。
この人は試していたんだ。王都にいる人たちが商売相手に相応しいかどうか。
だから利益なんか度外視で無茶な価格交渉にも応じた。
もちろん審美眼をはかるために。
安く買えたぜとか喜んでいる場合ではない。
この国の人間はものの価値が判らない、と、判断した商人は、もう二度とフィルスバート王国を訪れることはないだろう。
そして、ちゃんと価値の判る相手と取引する。
オリバーはたった百デーナルで、十七シーリンの価値のある壺を手に入れたわけだが、長期的に見ればまったく得をしていないのだ。
一回こっきりの取引でも得したからいい、というのは、すくなくとも商売人としては落第点である。
「差額の三シーリンは迷惑料と思ってください」
「迷惑料だけです?」
にまっと男が笑う。
私もまた同様の表情を浮かべた。
「お近づきのしるしということで。アリアニール・マコロンと言います」
「オオ! マコロン織物の!」
「お耳汚しでした」
「ワタシ、メイコン・リ名乗ってます。アザナね。本名はリェイ・リ。どかお見知りおき」
すっと右手を出してくる。
この動作は洋の東西を問わず、商人の万国共通語だ。
微笑して握り返す。
「明日、ちょと良いもの持ってくる。アリアニル目利きする」
「どうかお手やわらかに」
そういって私は立ち上がった。
新たな商売の予感を、たしかに胸に感じながら。
「義姉さん。どこへ?」
メイコンの露店から充分に離れたところで、オリバーが話しかけてくる。
申し訳なさそうな口調なのは、自分のせいで義姉に恥を掻かせたと思っているからだろうか。
そこはあんまり気にしなくて良い。
リカバリできた上に、次の商売に繋がりそうだからね。
成功に繋がる失敗というのは失敗ではないのだ。
反省し、分析し、教訓にすればそれで良いわけで、引きずるのは本人のためにもならない。
私は手を伸ばし、義弟の頭を撫でる。
「良い勉強をしたって思いなさいな」
「ああ。判った。次に活かす」
「それじゃあ、とっとと用事を済ませましょう」
金策である。
お金を作らないと、メイコンに支払いもできないのだ。
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