麒仁国の後宮では、いつの間にか後宮妃が消えているようです。

花橘 しのぶ

(一)

 

 ――遠くから眺めているだけ。


 それでいい。それだけでいい。

 声をかけてもらえなくても、一目だけでもかけてくれなくたって。


(それでも、ここ——麒仁国きじんこくの片隅で働けているだけで、私は幸せだ)


 幸福感で胸をいっぱいにしながら、小鈴しょうりんは敬愛する主——紗月さげつの姿を見やった。


 美しい礼服に身を纏った紗月の姿は、天女と見紛うぐらいに美しい。純白の襦裙に、薄桃色の帔帛。たっぷりと施された金糸の刺繍は、陽の光に照らされるたびにきらきらと光を放ち、まるで夜空の星々を集めてきたかのようだった。

 ぴんと背を伸ばした紗月の容姿は、豪奢な衣装に負けず劣らない。艶やかな黒髪は後ろで一つにまとめ、色とりどりの宝玉がそれを飾りつけている。ほっそりとした首筋は抜けるように白く、今にも消えてしまいそうな儚さを醸し出す。皇帝のもとへと向かう一挙手一投足のすべてがたおやかで美しく、小鈴は紗月から目を離せない。


 皇帝の元へとたどり着いた紗月は、その前で跪いた。


「――じょ紗月さげつ。そなたに貴妃の位を与える」


「拝受いたします」


 鮮やかな朱を差した唇から、紗月の凛とした声が響いた。紗月が礼をするとともに、頭に挿していた髪飾りがしゃらりと音を立てる。金の枝に、宝玉で彩られた花々。華奢な紗月の身体には不釣り合いなほど飾り立てたそれは、代々貴妃の位が与えられる際に身につけるとされる、由緒正しい簪であった。


 たった今紗月に貴妃の位を与えたこの国の皇帝――青瑛せいえいは、すこし緊張の残る紗月の手を優しくとる。艶やかな黒髪に、がっしりとした体格の青瑛は、齢三十に満たないにもかかわらず、歴戦の戦士を思わせる風格を持つ。

 先帝の皇子は五人。青瑛は四番目の弟だった。一人の弟を除いた異母兄弟をすべて失脚させ、皇帝まで上り詰めた策士だ。位につく前までの血生臭い戦から一転、彼の御代は現在まで平和で穏やかなものである。


「紗月、そなたなしの人生はもう考えられぬ。これからも私と共にいてくれるか」


「陛下……! もちろんです。わたくしは、いつまでも陛下のお側にいます」


 うっとりと見つめ合う二人の姿は、まるで一つの絵画のようだった。列席していた者たちから、感嘆にも似た声が漏れる。この麒仁国きじんこくの歴史上、これほどまでに美しい二人がいただろうか。


(私は、いつまでも紗月さまを……お守りいたします)


 幸せに満ちた紗月の表情。

 それを見るだけで、胸がいっぱいになって、方なくなる。この笑顔を見るために、小鈴は生まれてきたのだ。そう確信する。


(だから……あなたはどうか、笑っていてください)


 そのために自分に出来ることは、なんだってやってみせる。

 


 ――あなたは、私の光だから。


 

 

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