ハニーなトラップ
「つ~ばさくん♪」
「わっ」
蔵の町、コンビニさえも蔵の古風な屋根を模した形をした二つの時代が生きる街。その時代情緒の遊歩道で後ろから肩を組まれた。
後ろに人がいる事も気にせず腕を首に絡めてくる誰かは、
「やめてくれよひとみさん。人前だよ?それに胸当たってるし……」
「いいじゃないいいじゃない、少しぐらいあたしの洗礼を受け取りなさいっ」
「はあっ……」
ひとみの華奢な腕を掴み、払い落とすように外す。むうっ、なんて隣でふてくされるひとみに無頓着に歩みを進めた。
校門をくぐり、靴を脱ぎ、上履きに履き替える。
由希に告白されて数日が経った。あれから、だ。まだそれだけしか時は過ぎてない。が、由希とは一緒に帰るだけで、進展はまだなにもない。ーー話すらできない。
でも会話を強いるのは酷だし、こちらとしても話題を振る勇気がない。それに一緒にいるだけで、いれるだけで心地いいから。楽しい、とはまだ違う気がするけど、相手もそれでいいならいい。今はそれで。
「なに?ニヤついて」
「ニヤついてないよ」
「あっ、まさかあの女とセックスでもしたの!?」
「っしてねーよ!!なんでそーなるんだ!?」
思わず声を張り上げてしまう。なにを言い出すんだこの女は。こくられて数日でやっちゃうスピード結婚ならぬスピード性行為をするか。
「ったく」
「ふーむ、違うか。じゃあさっきのあたしのおっぱいが当たってた事に興奮してんの?」
「君は痴女か」
「違います」
「じゃあ、ヘンタイなの?」
「違いますぅー、ヘンタイなのはあんたですぅー。こくられた女にデレデレして一人エッチのおかずにしようとしてるやつに言われたくありませんー」
「まだおかずにしてねぇーよッ!」
「えっ?まだって言った?これから頭の中であの子とやるの?」
うっわキモ~、なんて口元に手を添えて引いた態度をとるひとみに、はめやがったな、と唇を噛む。
まあ、彼女になんと言われようが仕方ない。彼女は少なくとも僕を想ってくれてるのだから。これぐらい言わせとけばいい。
「わーったよ、ヘンタイでした。これでいいだろ?」
すると、ひとみは瞠目。のち、そっぽを向いて頭がちょっと上下。揺れる。クスクス、クスクス。
「やい、ヘンタイ。やい、ヘンタイっ」
びすっ、びすっ。
つんつん僕の肩に人差し指を突き差す彼女をうざったらしく思いながら階段を上がる。うぜぇ。そして最後の一段を踏みしめた時、
「おい」
通路に立っていた男子生徒に呼び止められた。いや、待ち構えられていたというべきか。
教室がある方に曲がろうとした時、後ろから肩を掴まれた。
「お前か?」
なにが?
「ひとみの彼氏は」
……何言ってんだこいつは。
「僕はひとみの彼氏じゃないんだけど」
「嘘つけ、あれだけ高島さんといちゃついてて言い逃れできないぞ」
……勘違いも甚だしいな。
「僕はひとみさんの友人だ。彼氏でもなんでもない」
「お前と話しても埒が明かない」
こっちの台詞だ。
それにしてもこいつ見覚えあるな。このキザったらしい顔つきとツンツンヘアー。確かお前は、
「ウチのクラスの学級委員長だっけ?」
「だっけじゃない!クラスメイトを忘れるなよっ!?」
糾弾してくるツンツンヘアー。
「仕方ないじゃないか。僕は人に興味がない」
自慢じゃないが人の顔は覚えられても名前が一致しないぐらいだからな。ひとみと由希は特別だが。
「俺は神野卓磨だ、覚えとけっ!」
「へえ~……、ーーで誰だっけ?」
名前が耳をすり抜けてしまった。ーーいっけない、てへ。
「おん前ええぇぇ~っ!高島さんはこいつのどこがいいんだよっ!?」
と、いう本人はというと。
「……」
僕の背中に隠れて嵐を凌ごうとしている。ーーなんてやつだ……。
しかし、後ろにいるひとみはどこか怯えた表情をしている。ちかちかと瞳孔が震えてる。
そして、
ぎゅっ。……僕の制服の袖を掴み、握り締めてくる。
「ひとみさん?」
「翼くん、こいつどうにかして……」
ぽつりちっちゃい声で呟くひとみに当惑しながらも一応彼に注意してみる。
「彼女は嫌がってるみたいだぞ?何したんだお前?」
「何ってこくっただけだよ。それを彼氏がいるからごめんなさいって言われたんだっ」
……あ"っ?
「聞けば高島さんに付き合ってるやつなんていないそうじゃないか、でもお前が怪しい。それっぽい噂は流れている」
あれっ?いつの間にか僕、ひとみの彼氏になってね?彼女いるんだけど。
後ろのやつに視線を向ける。
「……」
じーっ。
「ーー」
視線に無視するひとみ。
「ねえ、ひとみさん」
じとーっ。
「……えっ」
やっと反応した。
「君の彼氏って誰?」
「い、いや~」
ひとみはそっと目を背ける。
「確信犯め」
「ぐっ」
ひとみはぐうの音も出ない様子。いや、『ぐっ』て声出してるか。
「仕方ないじゃない、こいつしつこいんだもの」
「だってさ、お前しつこいって」
「ッ!?ーーッ!ーーーーッ!!くう~ッ、くそーー!!覚えてろよーッ!!」
だッと駆け出して、悔しげに叫び声を上げていくツンツンヘアーを見届けると僕は振り返る。
「君は小悪魔かね?」
「むっ、ひど~い」
「助けたんだからひどいはないだろ」
「そうだけどさ、あたしが性悪みたいに聞こえるじゃない」
いや、実際そうだろ。僕を勝手に彼氏設定して告白の防御に使ったんだから。ずるいわ。
ーーとは言わなかった。言えなかった。殴られそうだったから。しかもひとみの場合、股間を狙いかねない。
「まったく、僕には交際相手がいるんだから、勝手に彼氏として使わないでくれ、分かったな?」
「は~い」
唇を尖らせて不満げに応じるひとみに嘆息し、ツンツンヘアーが逃げていった先を一瞥して、教室に向かう。
小悪魔というよりひとみは悪魔かもな。
放課後、職員室に呼び出された。なんだろうか。
放送の指定通り生活指導の日ノ原先生の元に寄る。
「なんですか、先生」
「なんですか、じゃない。お前、女子の胸を揉んだそうだな」
急な歓迎だった。まさか、そんな言葉が待ち構えてたなんて。迎撃の威力が強すぎた。あまりの衝撃に、
「はあっ?」
なんて生意気な声を出してしまった。
何を言ってるんだこの先公は。いくら美人女教師で有名だからって言っていい事と悪い事があるぞ。
日ノ原先生はとてつもなく綺麗な人だった。それは由希やひとみに負けないぐらい美人な大人っぽい先生。ロングヘアーの茶髪が色気のある顔立ちを引き立たせている妖艶な雰囲気の先生。だからなおさらその言葉の威力はでかかった。
「何言ってるんですか先生?」
あまり感情が漏れないよう気取って喋る。口調が怪しくないか、表情は露わにしてないか、ただそれだけが今は気になった。
先生は嘆息し、職員用の机の引き出しから一枚のプリントを取り出した。
「これを見ろ」
「?」
ーー停学処分書?なんだこれ?
「これがどうかしたんですか?」
「ちゃんと下まで見たか?よく見ろ」
……じーっ。
大体の文面に目を通し、目線をずらしていく。……んっ?
自分の名前が載ってる事に気付いた。なぜだ。
停学処分書に自分の名前。
視覚で捉えた情報を反芻。そしてようやく事実に気付く。
「まさか、嘘ですよね?」
「いんや、本当だ」
「本当ですか」
「ああ、よく見てみろ」
「いや、もう充分です」
バッサリ。断った。
「そうか、まあいい。保護者にはもう通知しといたからな」
「えっ……」
あまりに恐ろしい発言だった。自分でなんとか弁明して直接伝えようとしたが、叶わなかった。無理な願望となってしまった。どうすればいい、どうしたらいい、どうやれば、
「それにしてもセクハラをしてないような反応だったが覚えはないのかね?」
「……えっ?」
先生の言葉に意識を戻された。邪な思考から現実に回帰した、そんな感じ。
「ああっ、はい。まったく覚えはないですけど」
なんとか応じる。
「どこ情報なんです?」
「いやな、今朝、下級生がお前と高島がいちゃいちゃしてる所を写真に撮ったらしくてな。それを見せられたんだ」
「はあ……」
今朝のやりとりか。人前だという事は懸念したが、まさかここまで発展するとはな。人って怖い。
「胸を揉んだのは昇華捏造かもしれんが肩を組んでたのは事実。だろ?だから校則に則ってお前を処分しなければならない」
「……?」
よく分からない。それでなぜ処分されなければならないんだ?
僕は首を傾げて問う。
「校則ってなんですか?」
「不純異性交遊はなしって事だ。分かるだろう?ここは学校だ」
「でも肩を組んだぐらいセクハラになるんですか?それに組まれた側ですし……」
感情を抑える。
「それでも、だ。気持ちは分かるが、上からの命令で仕方ないんだ。私だってこんな事はしたくない」
上からの、命令?なんだそれ?
「上からの命令ってなんですか?なんで僕がこんな目に合わなくちゃならないんですか?」
先生は溜め息を吐いて、言葉を紡ぐ。めんどくさそうに。
「だから校則だって言ってるだろう?」
……。
「もういいです、話にならない」
僕はぱんっ、と紙が破れるような勢いでプリントを受け取り、振り返る。早足で出入り口の扉に近づき、ぴしゃっと開けた。一瞬、室内にいる教師らの視線が集まる。それに逃げるように、そして静かに扉を閉めた。
「……ぅ、ふう、ふうッ!!」
怒りがふつふつと込み上げてくる。煮えたぎってくる。
なんだよ、あいつ。仕方ない私もこんな事したくないとか言っててあんな態度とるか。鬱陶しそうな、飽きれたような、嫌そうな態度をとりやがって。視線を送りやがって……!
むかつく。むかつくむかつくムカつくムカツクッ!!
「くそッ!」
毒づき足早に下駄箱のロッカーに向かおうとした時、後ろから手首を掴まれた。
「ッ!?」
咄嗟に背後の人間を睨みつける。すると、心配げに見つめていたひとみがいた。
僕の反応に瞠目し、おののいた怯えた表情を見せたが、ごくっと喉を鳴らすと、唇を震わせながら言葉を舌に乗せて、こう喋りかけてきた。
「だっ大丈夫?すごい怖い顔してるけど、なんかあったの?さっき呼び出されてたのって……」
放送を聞いて待ち伏せていたのか。人がどんな目に遭っているのかも知らずにのうのうと心配だけして、ここで待ってたのか。こいつが、ここで……。
こいつの、こいつのせいで僕はこんな目に……ーー、いや違う、か。違うのか?でも、無自覚に無邪気にあんな行為をしたこいつを憎むのは間違って……、でも、でも。でもそうしたら僕のこの行き場のないこの気持ちは、感情は、憤りはどこに向かえば。
クソ、どいつもこいつも。どいつもこいつもーー死ね。
「ひとみ」
「あっは、はい!どうしたの!?」
「うせろ」
「えっ?」
「うせろっつってんだよッ!!」
僕が叫んでもひとみは動じなかった。否、
「なによ……」
「ーー」
ひとみの声が響く。涙ぐんだ声。哀調の声音。哀切に満ち満ちた音色に僕は、その、そこに立ってるひとみの双眸を見やる。
「いきなり呼び捨てにしたからなにかと思ったら、なんなのよ、心配してあげてるのにそれはないでしょうっ!?」
ひとみの揺れた怒声。悲憤が僕を責め立てる。でもそれすら鬱陶しかった。
彼女の悲哀と憤怒が込められてる両眼が、恋い慕う恋情が、恋々とした恋歌を連ねる恋慕が、鬱陶しかった。
だから僕は、
「もうお前とは友達じゃない」
その情感を根本から薙ぎ払った。失墜、滅却した。
僕との友好の断絶、拒絶に彼女は、ひとみは、
「ーーッ!!ッバカーーーッッッ!!」
バシンッ。
僕の頬をありったけの力を込めた右腕で、強く強かに叩いた。酷く甚だしい破裂音をたてて。
これが僕の、いや僕らの決裂の別れだった。
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