10 恩
龍氏が選んだのは何処にでもある若い女のファッションだ。どちらかと言うと地味目かもしれない。簡単に言えば、イエローニットとグレージュパンツの組み合わせで、それに時計、ブレスレット、バッグを添えたものだ。わたし自身がもっとも選ばなさそうな服のタイプだろう。それに黒髪ロングのウィッグに眼鏡と大きなマスク。これなら誰でも非特定の人物になれる。
「眼鏡とマスクは定番ですからね。海外では却って目立つのでお勧めできませんが……」
因みにシューズのヒールは低い。これは万一のときの逃走用だろうか。
「アパートを借りておきました。元の名城さまのお住いの隣町にです。名城さまのお住まい、アパートの住所も記し添えておきました。これでお気に召すまで調査が続けられるでしょう」
「わかりました。龍氏に、感謝している、とお伝えください」
「長くて二週間で真相を究明できなければ海外に逃げろ、と龍は申しております。その折、名城さまがまだ警察に捕まっていらっしゃらなければ、もう一度、龍の遣いが参ります」
「龍氏は何故、そこまで……」
「名城さまは龍と龍の娘の命を救ってくださったのです。あのとき名城さまは大怪我をなされました。幸い、大量の輸血で無事にお命を取り止めましたが、あのときの御恩を龍は忘れていないのです」
「大量の輸血か。何の覚えもないな」
「ご用意ができましたら、わたくしどもの車でアパートまで移動します」
「検問はないのか」
「ご窮屈でしょうが、特殊な車に乗っていただきます」
数分後、着替えを終えたわたしがビルの地下駐車場で乗せられたのは前輪駆動のバンだ。けれども、まるで後輪駆動であるかのように床下にシャフト入れる膨らみがある。
「あそこに入るのか」
「念のための用心です」
わたしは溜息を吐き、ついで男たちの指示に従う。不思議な場所で三十分ほど車に揺られ、吐き気を催したところで車が止まる。
「こちらです」
座席がずらされ、わたしがバンの中に姿を現す。
「この状況を見られたらマズイな」
「バンの窓には通常の光景が投影されています」
「用意周到だな」
「部屋までは若い男と一緒に歩いていただきます」
「わかったよ」
二分後、わたしはアパートの中にいる。思ったより豪華な三部屋のアパートだ。
「では、くれぐれもお気をつけて……」
「ありがとう。ご協力してくださった皆さんにも感謝します」
わたしの言葉に若い男が首肯き、無言で去る。また一人になったが、不思議と怖さを感じない。龍氏がわたしを守ってくれている、と思っていたからだ。もしかしたら、それさえも龍氏の計画なのかもしれない、と僅かに疑いながら……。けれども今は自分の判断を信じるしかない。
落ち着いて部屋を見まわすと三十代前半の女性の部屋に必要なモノが揃っている。クローゼットの中には服があり、デスクの上にはPCにスマートフォンさえ用意されている。ベッドも布団も真新しい。直に明け方だが、寝た方が良いのかもしれない。
可愛らしい模様のパジャマに着替え、布団に潜り込む。目を瞑ると龍氏が煙草を吹かす姿が見えてくる。龍氏の表情は落ち着いている。わたし自身は煙草を吸わないようだが、龍氏の安堵した気持ちがわかるような気がする。
……と、そのビジョンの何処かに引っかかりを覚える。何だろう。わたしの勘が発動している。煙草か、その連想で大麻か。それとも紫煙、雲、霧、靄……。
いや、そうではない。
キセルだ。その別の意味。中間無札(ちゅうかんむさつ)の意味のキセルだ。旅客の旅行区間において有効区間が連続せず乗車駅および下車駅についてのみ有効な乗車券を所持し、中間の区間の運賃支払いを不正に免れようとする行為のことだ。
キセルでは吸い口とたばこを乗せる雁首(がんくび)にのみ金属を用いる。すなわち、入るときと出るときは金を使うが中間には金を使わない、ということから『キセル』と呼ばれるようになったらしい。
が、わたしが思ったのはキセルそのものではない。前後を何かで挟み込む、という様式の方だ。すなわち、テリー=TELYとEGONの組み合わせ……。
組み合わせの方法はいくらでもあるが、あのときのメッセージにあった『一年を数えたら』の言葉が気にかかる。一年は十二か月、すなわち『12』に意味があるのではないか、と……。
アルファベットでTとEの間に入る文字の数は14、EとLでは6。が、LとYならば12だ。EとGだと1、GとOだと7、GとOならば0。
すなわち、キセルの金は『TEL』『Y』であり、その中に『EGON』は挟まれる。すると現れる単語は『TELEGONY』。聞き覚えのない言葉だが、インターネットで調べると確かにある。それも、かなり変わった概念を表す専門用語だ。
一言で説明することは難しい。が、あえて説明すれば、テレゴニーとは、ある雌が以前ある雄と交わり、その後その雌と別の雄との間に生んだ子の中に前の雄の特徴が遺伝する、という理論だ。これまでヒトではタブー視されてきたが、噛み砕いて言えば、未亡人や再婚した女性の子は先の夫の性質を帯びる、ということになる。
が、それが、わたしとどういった関係が……。
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