5 逃

 やっとのことで外部廊下の斜め上までまで辿り着く。が、そこには人がいる。だから三十秒ほど待たされる。円城寺刑事はまだ部屋に戻っていないようだ。その幸運がいつまで続くか。わたしは祈るしかない。

 外部廊下から人の気配が消える。それで滑り落ちるように一気に飛び降りる。そのとき、壁のコンクリートで右手を擦り剥く。が、身体の他の部位に異常はない。軽く服の埃を払うと背後に人の気配がある。慌てて振り返ると、小さな女の子が一人、わたしに向かって目を見開いている。わたしは咄嗟に右手の人差し指を唇の前に翳し、シッ、の仕草をする。すると女の子が共犯者になったように自分も同じ仕草する。わたしは声を出さないで、ありがとう、と口にし、笑顔とともに、その場を去る。速足で外部廊下を抜け、別棟に入り、思案する。

 病院内にいる限り、患者着は、わたしの身を守る。女性患者全員が同じ服をきているからだ。けれども病院の外では厭でも目立つ。だから私服を手に入れなければならない。それでナースのロッカー室を探す。患者が入って良い場所ではない。だから見つかれば不審者扱いされる。当然だ。けれども、この病院のナースに怠け者はいないようだ。ナースのロッカー室に人の気配はない。申し訳ない、と頭を垂れ、他人の服を盗む。財布も盗む。

 その頃にはもう騒ぎとなっている。わたしの脱走が発覚したのだろう。が、円城寺刑事も関係者以外にわたしの事情を話せないはずだ。現時点では別の刑事もいない。警察から応援が駆け付ける前に、わたしにも逃げるチャンスがある。その可能性に賭けるしかない。

 着替えた服は少し小さい。それで胸が強調される。目立ちたくはないが、この程度ならば仕方がない。別の服を探す時間がないからだ。靴は機動性の良いモノを漁り、服とは別に盗む。いずれ円城寺刑事と遣り合うときの用心だ。

 何気なさを装い、ロッカー室を出る。円城寺刑事に知恵があれば、駐車場を見張っている可能性がある。だから車での脱出は考えから退ける。

 ……とすれば、どの方法が良いか。

 思案しても仕方がないので廊下を巡る。とにかく病院の外に出れば何とかなるだろう。角をいくつか曲がると、一人の看護婦にハッとされる。服の持ち主かもしれない、とすぐに思い至り、角を戻る。すると、その先に円城寺刑事がいる。まだ、こちらには気づいてはいないが……。

 仕方がないので、ドアが開かれた診療待合室へ入ってみる。血圧計が開いていたので、それを利用し、看護婦と円城寺刑事を遣り過ごす。ついで廊下に戻り、ドアを開け、内階段を降りる。病院の階段には人が少ない。大抵の人間がエレベーターを利用するからだ。

 階段で一階まで降りるとドアを開ける。円城寺刑事刑事と例の看護婦が連れ立って歩いている。だからまた内階段に戻り、思案する。三十秒待ち、廊下に出、今度はトイレに隠れる。わたしが既に病院から去ったと思わせる作戦に切り替えたのだ。

 ……とすれば、一階にいるのは危険だろう。

 今度はエレベーターを利用し、階を上がる。多くの病院は屋上には出られないので最上階で喫茶室に入る。ここが大きな病院で助かった、わたしは思う。小さな病院だったら、今頃、捕らわれていたことだろう。けれども長居は禁物だ。病院を去るタイミングを計らなければならない。

 窓の近くの席を選び、窓下を見下ろす。駐車場と思しき場所に円城寺刑事の姿が見える。あの場所で張っているなら、まだ、わたしが病院から去ったと考えていないのかもしれない。それとも半分くらいは、わたしが去った、と考えているか。

 曙署からの援軍はまだ到着しないようだ。

 暫くすると、円城寺刑事が駐車場を去り、病院内に戻る。

 ふと思いつき、わたしは外階段を探してみる。視界の範囲にはないが、高層の建物には外付けの非常階段が設置されているからだ。それを利用しようか、と考える。財布まで盗んで本当に申し訳ない、と心で詫びながらお茶代を払い、喫茶室を出る。そのままエレベーターで三階まで下り、外階段を探す。すぐに見つかるが、却って目立ちそうだ、と考え直す。

 正面突破が正解なのかもしれない、と判断し、階段で一階に向かう。そのままエントランスまで進み、守衛に会釈し、病院の外へ……。雑踏に紛れたところで円城寺刑事に発見される。物凄い勢いで、わたしを追いかけてくる。だから。わたしも物凄い勢いで逃げる。

 勝手知ったる街ではない。だから、何処に何があるかわからない。通行人を突き飛ばしながら、わたしが逃げる。入り組んだ歓楽街に至ると路地に隠れる。わたしの息は上がっている。が、これはまだ序の口だ。

 暫くすると円城寺刑事に再度発見され、わたしが逃げる。それを数回繰り返し、わたしが漸く自転車を見つける。それに跨り、今度は本当の脱出だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る