第14話 戦闘科の朝
大変な出来事が立て続けに起きた入学初日、の翌日の朝6時。靜慈たち生徒は少し古びたホテルのような外観を持つ寮の周りを走っていた。
それもただ一部の生徒が自主的な体力づくりに励んでいるというわけではなく、大学校の戦闘科に属する数百人の生徒全員が寮の周りを回ったり、直線を何度も往復するなどしてただただ走っていた。
早朝に広がるこの異様な光景の
靜慈たち生徒がまだ寮の自室の寝具ですやすやと眠っていた時だった。
――ジリリリリリリリ
寮内に非常ベルのような音がけたたましく鳴り響いたのである。
さらにそれに引き続いて、構内のスピーカーから爆音の放送が流れ始めた。
「全員、起床!」
その声と共に靜慈は飛び起きた。
「なんだなんだなんだ」
寮の狭い1人部屋に声が響く。
突然の騒ぎに驚いた靜慈は激しく首を左右に振った。他の生徒も同様に驚いているようで、壁を隔てた周囲からからドタドタと激しい物音が聞こえてきた。
状況がつかめない混乱の中、眠気と耳を切り裂くような一方的な爆音がさらに続いた。
「皆さん、おはようございます! 突然ですが! ただいまから皆さんには、ランニングをしてもらいます!」
あまりにも大きすぎる声が脳に突き刺さり、疑似的に頭痛を体験しているかのような感覚に陥る。しかし放送は終わらない。
「今から午前7時半までの間に15キロメートルをゴールとして走ってください! 場所はOWDCの敷地内だったらどこでも大丈夫です!」
靜慈はそれを聞いて自分の耳を疑った。彼の脳は既に覚醒していたため、完璧にその言葉自体を理解することはできたが、あまりに理不尽すぎる内容のため、脳がそれを受け入れることを拒んでいた。
しかしいくら集中して聞けども、声の主はやはりその馬鹿げた要求を確かに提示していた。
「走った距離は、計測器をエントランスで配布するのでそれで測ってください! 7時半までに15キロ走り終わった人は、食堂で朝食をとるなりなんなり自由にしてください! 記録は自動的にこちらに転送されるのでくれぐれもさぼらないように! 以上!」
その言葉を最後に、早朝の騒がしい放送は耳障りなハウリングの音と共に終了したのであった。
そしてそれからしばらく経ち、今の彼らの状況に至る。
「あと……6キロ」
靜慈は寮の周りを1人で黙々と走っていた。
彼は人並み以上には運動ができたが一度にこれだけの長距離を走ったことはなく、慣れない運動からくる激しい疲労に顔を歪ませていた。口の中に溜まった唾液を飲み込もうとするが、上手くいかず喉が音を鳴らす。そして口を開くと同時に荒い息が漏れた。
上手く呼吸ができずに呼吸が不規則で激しくなると、空気が器官や肺を痛めつけて体力を奪った。
残り少ない体力を効率的に消費するため、靜慈は走ることに全神経を集中させていた。そのため彼はいつの間にか自分を挟むようにして並走している存在に気が付いていなかった。
「よっ、靜慈」
「おはよう、靜慈君」
その2人の声で靜慈は自分が何者かに挟まれていることに気が付いた。靜慈が左右に目を向けると、そこには秋人と昨日できた友人の誠が隣を走っていた。
「……おはよ」
靜慈は残り少ない体力の浪費を抑えるため、最小限の挨拶で返す。
「いやー、にしても靜慈、お前死にそうな顔してるけど大丈夫か? あと何キロ残ってる?」
普段と全く変わらない調子で秋人が言う。彼の顔には全く疲れが浮かんでいなかった。
「……5キロ……2人は?」
「俺たちは最初から一緒に走ってるから、えーと……あと3キロかな」
「いや、今ちょうど残り2キロになりましたよ」
「あ、ほんとだ」
靜慈を間に挟んで話す2人は、長距離を走っているとは思えないほどの穏やかな口調だった。
「よし。これまでは誠に合わせて走ってたけど、本気出そうかなー」
秋人がニヤリと悪い笑みを浮かべる。
「望むところですよ、秋人さん」
「よーし、それじゃあ行くぜ。じゃあ靜慈、また後でな」
「それじゃあ僕もこれで。靜慈さんも頑張ってください」
2人はそう言うと、靜慈の前からあっという間に走り去ってしまった。
一方で彼らとは違い普通に疲れを感じている靜慈は、彼らがいつの間に仲良くなっていたのかという疑問を解消することも、彼らのタフさに驚くことすらもできずに、ただ遠ざかる背中を無心で眺めていた。
そして時は過ぎ、1時間半後の午前7時半。ついに制限時間を迎え、15キロを丁度走り終わった人も終わらなかった人も、
靜慈はしばらく前に走り終えて寮に戻っていて、部屋に備え付けられている簡易的なシャワーを放心状態で浴びていた。
シャワーを浴び終えると靜慈は
もうとっくに食堂は開かれていたはずだが、靜慈がそこに着いた時はまだ人はあまりおらず、早くに走り終えた戦闘科の生徒と他学科の生徒が広大な食堂構内にぽつりぽつりといるだけだった。
靜慈はここに来るまでの間の廊下で大勢の戦闘科の生徒が、自室に戻ろうと
靜慈は決められた献立の朝食をお盆の上に受け取ると、どこに座ろうかと周りを見渡して考えた。空いている座席が多すぎるゆえ、逆に迷う。
するとその時、少し離れた場所から座ったままで誰かがこちらに手を振っているのが目に入った。
誰だろうと靜慈は目を凝らす。
しっかりした体つき。特徴的な青い髪。秋人だった。そしてその向かいには誠も座っていた。
「ちょうどいい」と靜慈は早速彼らの元に駆け寄った。
「おつかれ~」
靜慈がテーブルに近づくと、テーブルに頬杖をついている秋人が真っ先に口を開いた。
「2人もおつかれ」
靜慈はそう言って、秋人の隣に座った。
先にいた2人はもう既に食べ終わっているようで、お盆の上には残りカスが乗った皿が置かれているだけだった。
靜慈は「いただきます」と軽く手を合わせて、勢いよく食べ始めた。
「そうそう、それで学校って何時からだっけ」
隣でがっつく靜慈を気にも留めず、秋人は正面に座る誠と話す。
「確か戦闘科は9時までに登校していればいいみたいですよ」
「そうかそうか」
2人の普通の会話が繰り広げられる。
そんな会話を食べながら聞いていた靜慈に、ここでようやくいくつかの疑問が湧き上がった。靜慈は口の中のものを急いで飲み込んでから口を開いた。
「そういえば2人はいつの間に仲良くなったんだ? 確か昨日が初対面だろ。それに秋人ってかしこまった口調で話しかけられるのあんまり好きじゃないんだろ? かしこまった口調で誠に話されてるのにも違和感あるんだけど」
「それが寮の部屋がそこそこ近かったみたいで今朝廊下でばったり会ったんだよ。そこからすぐ仲良くなった。それと口調なんだけど、俺も最初は靜慈と同じようにタメで話すように言ったんだけど、こいつ何度言ってもこの感じでさー。結局俺が折れたってわけ」
「当然ですよ秋人さん。人とは礼儀をもって接するんです」
「俺は別に礼儀もなにもいらないんだけどなー」
秋人はやりにくそうな表情を浮かべる。
「あれ、そういえば誠って年いくつだっけ」
食べ物を口に運ぶ手を止めて靜慈が言った。
「そういえば言ってませんでしたね。15です。前まで中学生でした」
「あ、俺と同じか」
「そうなんですか。じゃあ靜慈君ですね」
同年代に対してほんの少し口調が柔らかくなった誠を見て、秋人がテーブルに突っ伏しながら羨ましそうな目で2人を見ていた。
「そういえば、さっきのランニング、というかほぼハーフマラソンに近いけど……2人とも大分速くなかったか?」
「まぁそうだな。俺は元々体力には結構自信あるし。誠もそうなんだろ?」
「はい。僕はOWDCに所属するのが夢だったので昔から身体を鍛えてましたから。持久力には自信がありますよ」
誠は得意気に眼鏡を指先で上げた。
「ちなみに俺ら2人のタイムは1時間45分だぜ」
「ブフォッ」という音と共に靜慈は丁度飲んでいた水を吹き出した。
「ゲホッゲホッ……早すぎだろ、お前ら……うぇ」
「まぁ、僕は慣れているので。でも靜慈君も完走できただけでもすごいですよ。この食堂を見るにおそらくほとんどの人は時間までに完走できなかったんでしょう」
靜慈がついさっきの廊下の様子を思い出す。
「そりゃまあそうだけど……うーん」
靜慈は初めてで15キロを、しかも制限時間内に走り切ったことを確かにすごいと自分自身でも思っていた。しかし、すぐ近くにいる自分を優に超える存在を前にして喜びきることはできなかった。
「もしかして2人が1番早かったり、する?」
「まさか。僕らの前にも少しいましたよ。そんなに多くはないですけど」
誠がそう言うと、突然、勢いよく秋人がテーブルに手を叩きつけて少し腰を上げた。
「そうだおい! 聞いてくれよ!」
秋人が靜慈の方を向く。
「昨日靜慈をぶっ飛ばしたやついただろ。えっと、旭ちゃんだっけ?」
「あ、あぁ。そいつがどうかしたのか」
「俺たちは走り終わった後すぐに寮に戻って、確か7時ちょっと過ぎくらいか?……まぁそのくらいの時間に食堂に来たんだけどよ。その時、俺たちと入れ違うようにあいつが飯を食い終えてこっから出てったんだよ!」
「と言うと」
「俺が確認した中では多分あいつが誰よりも早く走り終えてる。しかもおそらく、俺たちトップグループのタイムより相当早い」
「……」
靜慈の手から一瞬だけ力が抜けて箸が滑り落ち、カランカランという音と共に床に転がった。
「昨日のことに引き続いて今回のことときた。あいつはどう考えても俺たちと生きてる次元が違う。大変なヤツに目をつけられたな、靜慈」
「……そうみたいだな」
靜慈の返事は反射的で心がこもっていないようだった。
靜慈は床に落とした箸を拾おうと、腰を曲げてゆっくりと手を伸ばす。その時の頭の中は、制限時間いっぱいまで走っていた生徒たちが一気に食堂に集まってきたことによる喧騒に気が付かない程にごちゃごちゃしていた。
「人も大勢集まって来たので僕たちはそろそろ行きましょう、秋人さん」
「ん? あぁそうだな。それじゃ、俺らは一旦部屋戻るわ。じゃあまた学校でな」
「それじゃあ靜慈君、また後で」
「あぁ、また」
軽く別れの挨拶を交わすと、2人はさっさとその場から立ち去って行った。
靜慈は肩を落としその背中を力なく見つめていた。
「こいつら一体何なんだ……」
靜慈の頭には、秋人、誠、そして例の女、旭のシルエットが浮かんでいた。
「はぁ~あ」
靜慈は変な溜息を吐きながら姿勢を正す。
そして、皿に残っている冷めた朝食を一人で黙々と食べた。
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