第8話 実技試験4

 ――記録――

Q:使者を殺すににはどうすればいいのですか?


A:研究結果によると、使者はまれなケースを除いて「死」という概念が存在しておらず、生命活動自体を停止させることはできない。加えて、自然治癒力が非常に高く、一度手足を切断しても多少の時間の経過で元通りになっていまう。ならばどうすればいいか。答えは使者の「脳」に相当する部分を完全に破壊する、もしくは首に深い傷を与えたり首を切り落とすなどして、人で言う脊髄せきずいを断ち、脳と体のコネクションを分離させることである。そうすることで使者は強力な自然治癒力を失い、実質的に活動を止めることができる。

 ――終了――




 靜慈たち3人はあまりの衝撃に立ちすくんでいた。

 第一に、使者ダミーが想像以上に大きかったこと。そして第二に、その見た目があまりにも悍ましかったこと。その2つが原因だった。

 赤いラインが入った白い外皮に覆われた全身、まるで手をそのまま移植したかのような脚、首から腰にかけての脊椎が異様に浮き出たかのような突起、深く裂けた口以外の器官をもたない動物のような頭。それらを兼ね備えた何かが、まるで猫背の人間のような姿勢で立っている。

 3人は使者アポストロスを見たことがないわけではなかったし、彼らの前にいるのが比較的普通の二足歩行型の使者アポストロスであることを知っていた。

 そんな情報はニュースでも見ていれば、この時代では誰でも知ることも見ることもできた。

 しかし、画面越しで見るものと直接対峙して見るものとでは、全てが圧倒的に違っていた。

 その個体には目がついていないのに、3人はまるで睨まれているかのようにその場にただ立ち尽くしていた。

 使者ダミーが3人の方を向き、裂けた口をゆっくりと開く。


「◆&〇▽X$▲Ω@@■!」


 この世のものとは思えない使者ダミーの咆哮が辺りに轟くのと同時に口から液体が飛び散る。

 そして次の瞬間、その巨体に相応しくない軽快な動きで使者ダミーが3人に向かってきた。


「おい! 後ろの路地までいったん退こう!」


 先ほどの咆哮で我に返ったのか、秋人がハッとした様子で呼びかける。


「ああ!」


 靜慈がそう答えると、2人は後ろを振り向き一歩踏み出す。

 秋人が一歩先を行き、その背を靜慈が追おうとしたその時、靜慈はもう1人の存在を思い出した。


「おい! 高宮! 何ボーっとしてんだよ!」


 振り向くとそこには陽菜が突っ立ていた。

 彼女は自分の意思でその場にとどまったわけではない。彼女はあまりの恐怖とそれによる身体の震えにより、声を出すことも、身体を動かすこともできずにいたのである。

 彼女の近くまで使者ダミーが接近する。そして動けない彼女めがけて使者ダミーの拳が今に振り下ろされようとしている。


「チッ」


 靜慈はこの状況に対して舌打ちすると同時に身体を後ろに向け、脚の先に力をこめる。そして次の瞬間、靜慈は突撃するかのように陽菜に飛んでいった。

 本気のスーツの力は凄まじく、彼のそのスピードは、"飛んでいく"という言葉が比喩表現ではなく文字通りの意味で捉えられるほどに速かった。

 使者ダミーの拳が彼女に直撃する寸前、靜慈は彼女の横を通過するその刹那に彼女を脇で抱え、間一髪で攻撃をかわすと、そのまま使者ダミーの股をくぐり抜け、急いで少し離れた路地へ向かう。そしてサイズ的に使者ダミーが入れない路地に入ると、抱えていた陽菜を下ろし、ぐったりと腰を下ろした。

 この間わずか数秒。靜慈の額は汗でびっしょりと濡れていた。


「靜慈! 高宮! 大丈夫か!」


 離れ離れになってしまった秋人の声がインカムを通して聞こえる。

 「あぁ、なんとか」と答える靜慈の横で、陽菜小さく丸まって震えながら、「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と、内なる恐怖に怯えながら謝罪の言葉を連呼している。


「謝る必要なんて全くないよ。そもそも陽菜ちゃんが動けないことに気づかないで退こうとした俺が謝るべきだ」


 秋人はそう言うが、その言葉は陽菜の耳には入っていないようで、彼女は未だ言葉を繰り返しながら焦点の合わないうつろな目でどこかを見るばかりだった。


「ところで秋人は大丈夫か?」


「ああもちろん。俺も今は路地に隠れてる」


「ならよかった」


「しかし直接見てみるととんでもないな」


「そうだな。正直言うと、ダミーって分かってても普通に怖いよ、俺」


「それで、陽菜ちゃん助けるためとはいえよく使者ダミーの方に向かって突っ込んでいけたな」


「体が勝手に動いてたってやつだよ」


 2人は会話を繋げる。会話を繋いでいないと心が恐怖に支配されてしまいそうだった。


「さぁ、そろそろあいつを倒す方法を考えようぜ。試験監督様が言うには今回の目的は制限時間いっぱい逃げることじゃなくて倒すことなんだからよ」


 秋人は嫌味ったらしく言う。


「でもどうする? あいつでかいくせに動きが速いから、馬鹿正直に真正面から行くのは無理だぜ。あと高宮の様子を見る限り多分動けそうにない。だから俺たち2人でやるしかないぜ」


「分かった。陽菜ちゃんはそこでそっとしておこう。今2人は狭い路地にいるんだろ? それだったら使者ダミーは入り込めないだろうし。それと、俺にあいつを倒す算段がある」


「聞かせてくれ」


「簡単さ。俺があいつの正面で注意を引き付ける。その間に靜慈は後ろからあいつの首を一斬りだ」


「なるほど」

 

 それは作戦と呼んでいいのか分からない程に至極単純だった。

 しかし他に良い案も浮かばないので、靜慈は秋人の作戦に乗ることにした。


「俺はそれでいいけど秋人はいいのか。お前の方が大変だと思うけど」


「任せとけって。自分から危険なことに突っ込んでいくのは慣れてんだ」


 秋人はそう言って、深呼吸をする。


「よし。靜慈は俺が合図したら路地から出てやつの首を狙ってくれ」


「ああ」


「頼んだぜ。それじゃあ、作戦開始!」


 作戦立案から数秒。秋人の行動力は化け物じみていた。

 秋人は自分を鼓舞するかのような大声を上げて、路地から通りへ飛び出た。少し先に標的である使者ダミーが立っている。秋人が標的めがけて走り、近づく。すると使者ダミーも彼に気づき、素早く振り向いて、彼めがけて拳を叩きつける。巨体とは思えないほどの俊敏しゅんびんさである。


「ふぃー。間一髪だ」


 後ろに退いて、使者ダミーの拳をすれすれでかわし、一呼吸する。

 しかし、また次の瞬間にはもう片方の拳が飛んでくる。そしてその次には脚による踏みつけ、次にまた拳……といった具合に彼めがけて素早い攻撃が次々に繰り出される。

 秋人はしばらくの間、それら全てを躱し続ける。

 そして標的が自分に集中していることを確認すると、彼はさらに少し後ろに跳び、靜慈に合図をだした。


「靜慈! 今だ! 行け!」


 秋人が叫んだ。

 靜慈はその合図を聞くや否やすぐに路地を飛び出した。


「了解!」


 靜慈は少し離れた場所に標的を発見すると、大通りを全速力で駆けていった。

 その一方で秋人はさらに後退しつつ攻撃を避け続ける。

 彼が後退するのには訳があった。なぜなら攻撃を避けるのにはその方法が最も簡単で安全だったからだ。標的が繰り出すパンチも踏みつけも、後ろに下がってリーチの外に出てしまえばまず当たらない。障害物もほとんどなく、周りに背の高いビルばかりが並ぶ大通りで、自分に対して正面を保たせたままでいるには、これ以上ないほどの得策だった。

 そして靜慈に合図をして数秒後、秋人は後退を、標的は前進を繰り返して、1人と1体は交差点の中心にいた。秋人がそこでふと標的の脚の間に視線を向けると、すぐ後ろに靜慈の姿が見えた。標的は自分に釘付けで、後ろの靜慈の存在には微塵も気が付いていない。

 秋人が勝利を確信した、その時、マップを表示する左腕の画面が目に入った。

 何か白いマークが、大通りと交差している通りから、こちらをめがけて猛スピードで迫っている。

 その瞬間、全ての状況を理解した秋人の額を気持ちの悪い汗が伝った。


「靜慈! 止まれ! こっちに来るな!」


 秋人が絶叫する。しかしもう遅かった。

 なぜなら靜慈は標的の首を獲ろうと、スーツの力を最大限に借り、宙に飛び上がっていた。

 靜慈の跳躍が標的の頭より高い高度で最高点に達し、そのまま重力の力で落下して、首をねようと空中で剣を構える。

 その時だった。靜慈は右半身にとてつもない大きな衝撃を感じた。いや、感じた頃には既に、靜慈は地面と鋭角をなす直線軌道を描いて吹き飛ばされ、地面に叩きつけられていた。

 スーツで守られていなければ即死だった。


「靜慈!」


 秋人が叫ぶ。


「◆&〇▽X$▲Ω@@■!」


 秋人の叫びをかき消すかのように、形容し難い咆哮が轟く。

 秋人がその方向を見ると、そこには彼らの標的ではない別の使者ダミーがいた。

 そう、靜慈は交差する通りからきた別の使者ダミーの助走のついた拳を空中で、横から直にくらって撃墜させられたのだ。秋人のいる地点からでは靜慈の姿が見えない程に彼は吹き飛ばされていた。

 秋人が正面を向くと、2体の使者ダミーも彼の方を向いた。


「クソッ……忘れてたぜ、白い表示のこと……」



 白い表示はリタイアしたチームの標的だった使者ダミーを表す。

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