第16話 田舎のスーパーはテーマパーク

田舎のスーパーは結構大きいし周りに様々なお店が集まっている。

薬局や百金ショップ、ホームセンターなど、生活テーマパークだ。

普段人と会わない私にとって、多くの人と会う場所で、なぜか安心したりする。


スーパーには様々な印刷物が有り、料理のヒントになったりする。季節の美味しい物も格安で買えたりする。

また、特売品があったりポイントで商品券が発行され突然500円の商品券がもらえたりする。


私の買い物かごの中身は大半が半額や特売品の商品なのでその上に商品券を頂くと悪い気もする。

しかし、落ちぶれている身分なのでなにとぞご容赦ください。


スーパーでは四季の変化が良く分かる、旬のものは新鮮でわりと安い。

しかし、それが素晴らしい季節の物だ、いわゆる路地で不通に育つものでその時期にはあちこちで採れる。

なので安く購入できる、ただ生産者としてはどうなんだろう。この旬の美味しい物を高く買って美味しく食べてほしいのではないだろうか。現実はどこか不自然だ。


昔冷蔵庫などが無かった時代に外国では沢山取れればそれを必死に食べ、食べきれなければ吐き出す道具が有りまた必死に食べ続けたらしい。気持ちは分かる気がするが、吐いてまでまた食べるのはつらそうだ。


仕事を依頼され京都に行ったとき、打ち上げで京野菜を食べた。これはすごく美味しかった、改めて京都の歴史と野菜を美味しく食べる知恵はすごいと実感した。

しばらくして近所のスーパーで京野菜を見つける、この地域ではあまりなじみが無かったので大量に売れ残って、価格も半額以下で大量に残っている。私は沢山買い込み焼いたり煮たりとたっぷり頂いた。

料理はやはり知恵で、どんなものをどうやってより美味しく楽しく頂くかにあるのだろう。


日本の出汁文化は世界で評価されている、そして水の美味しい海産物の豊かなこの国は美味しさがあふれているに違いないと思う。


近所のおじいちゃんの話では、昔はこの地域では魚が食べられなかったそうだ。

だからたまにさんまを焼いて食べると大騒ぎだったそうだ、しかもさんまは焼くと小さくなってしまう、だからほんの少ししか食べられなかったそうだ。

私は、さんまを焼いても小さくなることは無いと思った、しかし真相を究明するには方言と言う大きな壁が立ちふさがっている。

結局、どんな魚だったのか、どんな焼き方をしたのかその謎は今も究明されてはいない。


現代では流通や保存技術も進み、海無し県の田舎のスーパーだって普通に刺身が食べられる。良い時代何だと思う。

そんな事を考えながら、改めてスーパーって楽しいかもと思い、にこにこしてカートを押していたら店員さんに不審そうな顔で見られた。なので、出来るだけ普通の顔をして歩く事にした。


世間は色々と難しいのだ。

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